ジオウ夏映画(over quartzer)の明光院ゲイツに関しての感想文

*当時のフセッターから直接引用。公開してから数日後の当時の文章なので、最終回に関しては全く考慮していません*

夏映画のゲイツが影の主人公なの好きですね。高次元な存在であるウォズから当初取るに足りない存在と思われていた彼がウォズを自分と同じ次元に落とした功績。正に神殺しの救世主だなって。

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初めに自分は「タイムトラベルもの」って基本4次元的な作品だと認識しています。3次元に「時間軸」という更なる次元を通して自由に行き来する―――言ってしまえば、自分達が住んでいる3次元。そこより高次元にいる存在なのが「タイムトラベルものの登場人物」。ジオウで言うと、メインキャラ全員ですね。

もっと噛み砕いて言えば、3次元の存在からしてみたら「神」にもなりえるのがタイムトラベルものの登場人物。
だからこそ、下手したら「神」にもなるキャラを作り手側が上手くコントロール出来るか否かというのも、「タイムトラベルもの」の一つの重要なポイントだと思ってるんです。
で、これに対してジオウはどういうアプローチするかなーって期待してたんですね。

本筋(TV)では「『神』となってしまった未来の常磐ソウゴ、もといオーマジオウへの道から逃れる」=「常磐ソウゴ陣営は『神』になる事を元々否定している」というスタンスで描いている。「神」へは絶対になりたくない……という風に書くと感情的な側面も含まれると思いますが、逆にスマートだと思います。

で、映画ではそれに加えて「4次元存在にいる登場人物。しかも、よりによって味方の中に更に高次元の人物(ウォズ)がいた」こと、「『神』になることを否定してきた陣営の中に実は『神』が初めから居た」という渾身の【飛び道具】で殴ってきたのは、ちゃぶ台返しにしては余りにも渾身の一撃で「あー、そうくるかー、すっげーーーなーー」でしたね、ほんと。


でもって、クォーツァーは「歴史の管理者」と名乗ってました。これって言いかえれば
・歴史の管理者⇒時間の管理者⇒時間を支配できる存在⇒4次元よりも高次(5次元以上)の存在⇒4次元(以下)からみた「神」
なのかなーと。

「いや、5次元にいる癖にあの”本”の中身やたら書き換わって焦ってたやん……」とは思っちゃいますけど、あの本が書き換わったタイミングって、ウォズと同様の(推定)5次元にいそうな人物からの干渉ばっかなんですよね。
ほら、鎧武編の(正真正銘の)「神」といい、友情出演の友情の意味合いが何処となくどんどん分厚くなってきた某破壊者といい、別世界にいるもう一人の自分という名の白ウォズといい……。改めて見直したら、5次元からの事象の書き換え合戦多すぎでは?

今回クォーツァーは神のような力を行使しまくりましたしね。平成生まれだけを選別して消去するホールなんて、完全にそれ。


何の音沙汰も無しにこの【飛び道具】を使って来たら、モヤモヤしたものは覚えていたと思います。
けれども、ウォズに関して言えば、

・第4の壁を2話の時点で思いっきり超えている(=前週振り返りあらすじのアバン)
・生身でも異様に強すぎるのに説明が一切ない
・4次元に位置する常磐ソウゴを初めから導く存在
(=より高次元の存在として見下ろしていたとも考えられる)

などなどと掘れば掘るほど「あー、うん。納得だわ」という要素しか出てこないので、そこは今までの積み重ねの代物ですね。仕込みも用意周到とかいうレベルを遥かに上回っている。

なんで、改めて次元的に考えると今回の映画の登場人物を大きく分けると、
・詩島剛、織田信長や牛三をはじめとする戦国や現代のエキストラ:3次元
・常磐ソウゴ、明光院ゲイツ、ツクヨミ:4次元
・ウォズや常盤SOUGOを始めとするクォーツァー一派:5次元=4次元からみれば「神」
となるんですね。やーやーこーしーいーなーーーー、おい!!!!!

此処まで書くと「え、そんじゃソウゴ達はどうやって『神』に勝つんだ、これ」ってなる訳ですね。
低次元から高次元への干渉なんて正攻法では当然できる訳がない。んじゃー、どーするかとなりますとパッと思いつく解法は2つ。「低次元の側自身が高次元へと上がって同じ次元上でぶん殴る」か、「”抜け道”めいた手段ででぶん殴る」。

今回の映画では
・低次元の側自身が高次元へ上がる:常磐ソウゴのオーマフォームの継承
・”抜け道”めいた手段で殴った:ゲイツによるウォズへの啖呵
と両方とも使っているんですね。そして、どちらが欠けても駄目だったと考えると、この映画対比要素が多い上にどれも鮮やかで綺麗。


此処で急に話が滅茶苦茶吹き飛ぶんですけども、「明光院ゲイツ」ってジオウメイン4人の中だと単なる一般人なんですよね。


いや……、何かちょっと高貴(そう)な感じの苗字に加えて、あの荒れ果てた未来の中でかなりの教養を持っていて、ドアの鍵をチェーンごとフンッと破壊した上に、刀の腕前も相当である(ことが今回判明した)と書くと、「え~~~どこが一般人~~~~??」と思うけども……。俺もめっちゃ思ってるけども……でも他3人に比べたらさ、どうしてもね、ほら、うん……。
一応、本編開始前でライドウォッチをオーマジオウから盗み出したって実績持ちですけど、寧ろオーマジオウというか未来のソウゴがわざと見逃した or 逆に盗むよう促してくれたんだろうな感がしますしね、今だと……。

本質としては鎧武編でウォズが述べていた「ゲイツ君の事は逢魔降臨暦に記されてない」ってところだと思うんです。ウォズからすれば、「逢魔降臨暦のインクの染み以下」みたいな認識だったんでしょうね。そうでなければ、あのガバガバ常磐ソウゴ育成計画書にゲイツの事が記述されて、驚く理由がないですし。

そんな彼も年末で一度は諦めたソウゴを再度奮い立たせる切っ掛けとなり、アナザージオウ編のラストで常磐ソウゴの友達かつ理解者となり、今ではすっかりウォズと共に肩を並べて協力しあうのもよく見る光景になった。
一時は確かにウォズ(達クォーツァー)の計画の障害物にもなりえたものの、これは当時のゲイツ単体というよりゲイツ+白ウォズが極めて厄介というだけ。現状はゲイツがソウゴの友達&理解者になった上で白ウォズが消え去ってますしね。

だけども、ウォズからゲイツへ向けている態度は依然として「上から目線」なんですよね。それこそトリニティの口上で述べていた通りに、あくまでも「常磐ソウゴの家臣」という認識に留まっていたんだろうと。


本編開始時点ではウォズから「取るに足らない存在」と認識されていたであろう明光院ゲイツが、高次元にいるウォズに対して「お前も自分と同じだ」と思いっきり啖呵を切ったのがね……本当ね……。

「本当に普通の高校生であった常盤ソウゴに感化され、絆され、惹かれていたのは自分だけではない。
何時しか常磐ソウゴを王であると思っているのは俺もお前も同じだろうと」

この内容。
ウォズからしてみれば27話でウォズがゲイツに対して「常磐ソウゴに友情を感じているだろう」と諭し(てやっ)た内容をそっくりそのまま、いや、激情を更に載せて思いっきりぶち返されたんですよね。
その後に動揺して激情したウォズの反応を見るに、このゲイツの啖呵と行動は寝耳に王水、死角外から放たれた渾身のシルバーバレットそのものでしたね。あそこまで綺麗に嵌り込むと、感極まるをグルグルと何周して実に爽快。

その後にウォズが「自分自身もゲイツ君と似た者同士」と認めていましたたけれども、
これはこの啖呵こそが、高次元にいたウォズという存在を言葉で低次元へと引きずり落とした証拠。
このゲイツの行動が無ければ、仮にソウゴがオーマフォームを継承してもウォズの離反は相のままだったでしょうしね。どのような結果であれ、少なくとも映画のような完全無欠なハッピーエンドにはならないのは自明かなーと。


なので、要約すればゲイツがした行動って「神」殺しであり、「救世主」そのものだなと。


はい、此処までで3000文字オーバー!!!この一文を書きたいがために何で此処まで変な理屈を一々こねくり回した文章書いているんだ、自分と思ってますけど、うるせ~~~~~俺はそう思ったから書いたんだ~~~~~~うお~~~~~~~~。

此処のシーン抜きで今回の映画、ゲイツ君がすっげーー細かい所で活躍しているところ大好きなんですよね……。

序盤の戦国時代の時もソウゴへ自分の意見をした上で、ソウゴの「改竄されている(かもしれない)歴史の記述に囚われず今生きているこの時」という意見を許容して、ここでのやりとりが切っ掛けで本当の歴史の一端に気付くのとか……。

戦闘中でバールクスにやられたウォズの代わりに民に対し「俺たちの王に続け」と扇動したところとか……。これ、戦国時代編の影武者状態で織田軍に対して「進め」と扇動した時の対比だと思うんですよね。過去と現在。この何方でも誰かの代わりとして民に促す才覚を持っているという事を示している……んだろうか、そうなのかもしれない、いや、多分きっとそうだろう。少なくとも俺はそう思った……。

あの啖呵シーン以外だと一番はライドウォッチを取り返す為に「コスプレ」姿で潜入して陽動をした上で、無事に奪い返したところとか……。
細かくて通じにくそうですけど、クォーツァーのコスプレを投げ捨てた直後から「FUTURE GURDIAN」のイントロが流れだして、お決まりのハーネスのジッパーを上げるシーン。今思い返すと、キャラソンの題目も合わさって「救世主登場」みたいなテロップが脳裏をよぎるよぎる。

そして、自分が「高次元存在を低次元に落とした」と思った理由についてはもう一つあってですね。
最後のウォズのあらすじ空間の中にゲイツとツクヨミが乱入するシーン。

第四の壁を二人が認識したというより、ウォズがいる次元に対してスムーズに干渉できるようになったと思ったんです。4次元軸にいる2人が容易に干渉できるのは、同じ次元以下でないといけませんしね。
無論、今回の騒動を通して2人が高次元に干渉できるようになった微々たる可能性も否定しませんけど、ほら……それ以上に4人揃って正真正銘完全な仲間になったなら全員揃って同じ次元で仲良くして欲しいという……面倒臭いオタク心情……ですかね……。
始めはネタめいて見えるシーンですけど、思い返すと混み上げるものが湧いてくる。


総括すると、主人公の常磐ソウゴ一人だけでは空前絶後な事件を円満に解決できなかった。
明光院ゲイツもまた全身全霊で動き、滅多に明かさないような本心を晒さければ駄目だった。
やはり、ゲイツ君はこの映画の裏側の主人公であり救世主という言葉がピッタリだと思うよ、我が救世主……。

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