1年前は特撮の「と」の字すら分からなかった人物の「『常磐ソウゴの平成提言』最高でした」というクソ長感情感想文



特撮という単語自体は知ってますけども、特撮作品のいろはの「い」すら分からなかったという意味なので、若干語弊あるよなーと思いながらも、でも結局こういう表現が自分の中では一番しっくりくるのでそうさせてもらいます。

更に言うと考察系はこの文では余りしません。どーーーーせ、小説やエロゲ育ったオタクなので別途で考察はすると思います。し……じ、時間があったら……。

で、改めてテレビ版最終回と劇場版を受けてのジオウを完走した感想文なんですけども、「なんでそんな自分がクソ長感情感想を書くに至るまでの経緯の説明」を最初にやらせてください。

そう、あれは若き日(2018年10月)の私がTLを眺めながら、ふと呟いた一言が全ての始まりだった―――

まぁ、この言葉の通りにそれまでの自分の生涯の中で「特撮作品」には一度たりとも掠っていなかったんですよね。子供時代にニチアサが放映されている時間にテレビを見る機会も、おもちゃ売り場でニチアサ系統をうろつくこともあまりなかったんです。

それこそ当時の自分の中での知識って「特撮? ゴジラとかウルトラマンとか戦隊ものがそうだよね?(内容は全く知らない)」レベルだったんです。

これを呟いたとたんに、周辺に想像以上に存在していた沼に生息し……じゃなかったフォロワーからあれこれと紹介されて、余りの量と熱の多さを受けて「そんじゃ、自分で調べて感性に引っかかった奴でもみるかなー。丁度グラブルの周回用に何か長いもの見たかったし」となった結果、

即落ち2コマ漫画かな???

こーやって改めて見返したら四コマ漫画で言ったら、起承転結の承の時点で思いっきり嵌っているのが見え見えですね。せめて転べよと思ったけれど、承の時点で転んでいるので問題ないですね。いや、問題しかないぞ、お前。

ちなみに何でダブルから選んだのかというと、僕が小説のジャンルの中で一番好きなのは推理小説だったので軽く調べた時に、「探偵の片方の名前がフィリップ……。んん? あのフィリップ=マーロウのオマージュかな。うーわ、でも、見た目全然ハードボイルドじゃなくてのは思いっきり狙ってるな~~~~うわ~~~~~気になる~~~~」ってのと、レンタルで一気見した探偵物語が大好きだったので「あ~~~、これ(翔太郎)!工藤ちゃん意識しまくってる!!でも、工藤ちゃん意識しまくってるなら最後……え、どうなんのこれ」ってところか……

ダブルも何時か参考文献を読み終えたら書きたいなと思っていますが、主旨から大分逸れるのでここは棚に上げておきましょう。

ちなみにこの後も1作品(龍騎)は完走したんですけど、当時からの現行のジオウについては触れなかったんですよね。タイムトラベルものとは聞いてましたし、この手の作品はずーーーーーっと大好きなのに、当時そうしなかった理由としては簡単で、「もう始まっているのに1話から現在の話まで見返せる環境がなかった」からですね。公式配信あるじゃないですか!と言われても、いやぁ……、僕が契約している配信サイトでは見れなかったので……。

なので、何処かで巡り合ったら、見てみようかなぁって思ってたんです。

おも……って……たん……です……

強火の友人A(仮)によってその環境が整ってしまったんですよね。

有難う友人A(仮)。ただ、ぶっちゃけるとジオウに関してならお前以上にズブズブに嵌ってるんじゃないかなって思う……。それで「年末年始だし、1クール位なら追いつけるんじゃないかな」って思って見始めて、

明光院ゲイツに"即落ち"した時点で、""運命""決まってたんですね。

2話の時点で落ちてるの早すぎない?? 本編でのゲイツ君がソウゴ君にデレ始めた時期に匹敵するような速度では??? でも、これ通じる人には通じると思うんですけども、悠木皆守の雰囲気をこの時点で何処となく感じてたんですよね。そう、黒髪短髪生真面目系育ちが良い素直になれないツンデレ男子高校生概念……。

そりゃ後に夏映画を見終えた直後に、思いっきり感情長文書くよなって……

その後も案の定怒涛の如く、数日も満たない内に転がっていく感じで、

甘い甘いと既に言っているけれど、一番甘いのは速攻で転がり始まった俺だと思うんだ。

足を取られたどころかそのまま地面深くまで突き進んでいきましたね。残りも色々とあると思うんですけど、これ以上一人語りしまくってもな~~~と思うのでここで割愛。


で、冒頭に戻りますが「そこから8月間リアルタイムで追い続けてどうだった?」って感想としては題名にもある通りに「超絶楽しかった」というセンテンスになるんですよね。

よし、これで終わり!!!としてもある意味ケリはつきますが、「1500文字オーバーしている癖に、前振りの後がこれだけ?」ともなりますので、「じゃぁ、具体的にどういうところが超絶楽しかったのか」について考えていきたいな、と。


これまでにも言ったとおりに、本当に何一つ特撮作品は知らなかった――いや、一つだけ訂正させてください。シン・ゴジラを家族と一緒に1度見に行って「面白かったね」と互いに話あって終わりってレベルでした。

確かにジオウ見る前に2作品履修していたってのは事実でしたけど、「前知識ほぼ0で、ジオウという””お祭り””作品」を見始めた僕は、言ってしまえば作品内の「常磐ソウゴ」と同じ立場に居たんだろうと。

そんな風にも思い始めたのは、5/25に放映されたEP37ですね。ツクヨミと一緒に事件の調査をしに来た際に、東京タワーの前で嬉し気に言ったソウゴのセリフ。

『俺は楽しいよ。仮面ライダーにどんどん会えるし、今度もまた会える気がする』

既存の視聴者層の方は「ソウゴらしいな」とサラーーっと流したであろう、このセリフ。リアルタイムで見た時に、かなり胸に引っかかったんですよ。何でだろうと思って後から考え直した時に、ジオウのメイン4人の内、ソウゴ以外の3人は平成ライダーに関する前知識は持っている。


だけど、常磐ソウゴだけは違っていた。


それこそソウゴも2018年の9月までは「普通の高校生」であって、仮面ライダーの知識なんて当然一切合切持っていなかった。その点だけみれば、ソウゴと去年の自分は同じなんですよね。

ジオウメンバーを主軸として進んでいく展開もありましたが、それでも過去作品の時代へ飛んで行ったり、登場人物と交流していったりしていくことも主軸。他の3人から情報として教えてもらったとしても、此処まで来ると伝聞の伝聞。常磐ソウゴにとっては過去のライダーとの出会いは「名前だけ聞いた人物との初めての体験」だったのかなと。それこそ「いつもの4にん」のように仲良くなってきた後半からはソウゴが自発的に調べて教えてくれたり……ってことも可能性としてはあったかもしれませんが、ソウゴ自身は「初めての出遭い」という一生に一度の体験を楽しみたいがために調べなかったなのもあり得そうかなぁと。

この手のシリーズの”お祭り”作品のターゲットって、「既存の視聴者(orプレイヤー)に該当シリーズの作品と出会った時の思いいれを噛み締めさせるか」が最も大きな一つだと思ってます。けども、当然そのお祭りの騒ぎように「おー、面白そうじゃーん」って惹かれてやってくる新規も居る訳なんですよね。自分がまさにこれ。

じゃぁ、新規層も置いてけぼりにならないようにどうするかとなった時に、用意されたのが「常磐ソウゴ」でもあったのかもしれないかなと。事実ソウゴが様々な作品と交流していく中で、僕自身も「この作品はこういう雰囲気」ってのを大まかには理解していきましたしね。

此処で重要なのは大まかかなーと。それこそ取り扱った過去作品の奥底の本質まで触れていったら、「空気だけ吸って満足したからいいや」ともなりかねない。「小説の裏表紙に記載されるようなネタバレくらいは触れていこう」というスタンスは好きでした。お陰で推しのコンポーザーの推しのライダー作品を見て…………おきてぇな。時間があったら……。


で、次になんですけども。初めに唐突にぜんっぜん関係ない音ゲーの話題に飛びます。ごめん、実は俺はクソ雑魚音ゲーマーでもあるんだ。

beatmania ⅡDXという音ゲーに「STARLIGHT DANCEHALL」という神作があるんです。あまり神作品、神作品という例えは乱発したくないんですけども、これに関しては間違いなく神作だと思ってます。

きらきらと輝きを放つかのような実にハッピーでエモーショナルなメロディやムービーとしての単体の質も文句なしの出来栄えですが、一番の特徴は「時折歴代作品で用いられた効果音との音嵌めに合わせ、1作品目から23作品までのテーマをモチーフにし、違和感なく繋ぎあわせた映像作品」であるという事。

(当時で)15年以上続いていた「beatmania ⅡDX」の歴史を2分半という短い時間で一つの作品として綺麗に纏め上げ、美術館で展示されるような傑作に昇華させきった。個人的な意見かつ極論ではありますが、「歴代作品を包括するタイプの”お祭り”作品」としての完成形の一つがこの「STARLIGHT DANCEHALL」とも思っています。


でも、「仮面ライダージオウ」(特に夏映画のOQ)はこれの真逆だった。


「ここまでシリーズ色々とあったけど、綺麗な上澄みだけではなかっただろ?」「”アレ”な時だって沢山あったけれども、そんな”アレ”な時もまた作品の一部でもある」

と怒涛の如く横柄に宣言してきたんですよね。

言っちまえば、こう、炎上案件って、余りにも露悪な部分だからどんな公式も普通は表立って取り上げたくないのは間違いないんですよね。だというのに、「うんうん。炎上案件も含めて、それも一つのコンテンツだからね、オーライ!?」と思いっきりダンプカーに乗って爆走してきたのはスゲェな……って。

悪い言い方すれば「これまで一杯やらかしたけど、すまんな!」という悪質な開き直りな箇所は多数ありますけれど、そこから「”開き直り”を独特かつ唯一無二のエンタメ作品」へと昇華させたのはそれまでの経験則を緻密に生かしきれたのではなかろうかと。

自分もさっき例として挙げた、「STARLIGHT DANCEHALL」はそれまでのbeatmania ⅡDXの歴史の中での綺麗な上澄みだけを掬いあげたものだと思ってますしね。(自分は弐寺大好きだけど、俗に言う「コンマイ案件」なんて数え上げ始めたらきりがないし……。個人的にはP†Pの例の事件が一番"アレ"だな……)

無論、ただの開き直りと20年という歴史の積み重ねを集大成という形でで殴りかかってきただけではないんですよね。

どちらかというと全体的に「過去を美麗していくだけでは、次に繋がらない」「だから、過去を積み重ねた上でどうやって次へバトンを繋げていくのかが大事だ」というテーマ性も含んでいるし、此方の比重が大きい。


で、そんなテーマ性を具現化したのが、「過去と現在をごちゃごちゃでも受け取った上で、俺の力で未来へ繋げていってやる」常磐ソウゴだったのかなと。


常磐ソウゴを根幹として扱うシナリオとしては、「普通の高校生が如何にして変化していくのか」「周囲の様々な干渉の中で、何処まで許容した上で自分の意志を貫き通せるのか」等も感じられましたけれども、改めて振り返ると、自分の中ではこれがしっくりきますね。


だからこそ最終回での「未来という名の"過去の自分"が得た力を変革しないで、そのまま用いた」という『過去から先に進まない停滞の象徴』である【オーマジオウ】への変身に対し、

夏映画OQでの「"過去のループでの自分"のオーマジオウの力を受け取って、新たに解釈した」という『過去を軸にして、未来へ突き進む現在の意志の象徴』とも捉える【オーマフォーム】への変身の対比が映えてくる。


上で上げた夏映画でのゲイツに対しての感情激振り文章でも書いたんですけど、全体的にジオウという作品は対比の軸が綺麗なんですよね。何よりも周囲から様々な影響を受けたのに、常磐ソウゴの意志は芯が入ったままで変わってないのが特に。OQでの子供時代の回想もそうですが、EP18でソウゴがクズついていた蓮太郎に対して言った

「でも、未来の自分を信じられるのなら、力を捨てる勇気だって持てる筈だ」「未来の自分を信じろよ!」

というセリフがソウゴのスタンスとしては象徴的とも思うんですよ。


「過去や現在の状況から未来を否定してはだめだ。今が駄目であっても未来の自分に賭けていこう」という実に「大言壮語」めいた主張ですけども―――「大言壮語」が名前の由来である―――常磐ソウゴでは厚みのある"勅命"にもなる。


だからこそ、OQのラストでの「人生が醜くても当たり前」「寧ろ、人生においての躓きや挫折があるからこそ、美しいんだ」という言葉にも通じるのかなと。


何処か不安に駆られたり、後ろ髪を引かれているような負い目に対して真っ向から「それも人生の一つだ」と肯定してくれ、「胸を張って生きていけ」と思いっきり背中をぶっ叩いてくれる。それこそ絶対的な力を駆使する自分よがりの王ではなく、誰かに寄り添って応援してくれるような王の物語でもあったのだろうと。


なんで、こうやって振り返ると自分自身の中では色んな意味合いで、仮面ライダージオウは「常磐ソウゴの"平成"提言」だったのかなと。

そして、今度はこの提言を受けた上で、更なる未来でもある令和に向かって頑張っていけという、1年という年月を掛けた一種の応援歌だったのだろうと。


途中で例に挙げた「STARLIGHT DANCEHALL」に対しての作曲者さんのコメントとして

「変わらなければいけないものもあれば、変わってはいけないものもある。変わってほしいものもあれば、変わってほしくないものもある。」

というのがありますが、理念としてはこれに近しいものだったのかもしれません。同じシリーズの包括した作品を別々の方向から切り取った作品であるのに、製作者さんの理念は類似するのかもしれないというのも又面白いな……と、そう、たった今思いました。


そんな風にゼロワン2話で盛り上がっているツイッターのTLを見たり自分も混じったり等と、このように2019年の9月という「8月から見たら未来」という名の”現在”を満喫した上で、噛み締めながら最後に一言。

あぁ、本当に。本当に楽しい8月間だったな―――。

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