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一種の賢さ

賢さにも色々あると思う。
その中で、思慮深いという賢さついて、最近大学の友人と話したことを書いていきたい。

一般的にいう「賢い人が好き」というのは思慮深い人のことを指しているのではないかと思う。


この話に明確な結論はない(と思う)。

話を始める前に前提を3点置く。

1点目は、この記事では、大変恐縮ながら私があまり深く知らない少し危ない?議題にも触れているかもしれない。
僕は全くポジションを取るつもりなく、一例として挙げているだけなのでその点はご考慮いただきたい。

2点目は、これは、僕が考えを吐き出してスッキリしたいという気持ちから書かれた記事なので、どこかで誰かが同じことをおっしゃっていると思うがその点はご寛容な心を持ってどうかご放念いただきたい。

3点目は、残念ですが、ご存知の通り僕は全くこの「思慮深さ」を持っていない。

具体的に、この記事では、
最近下記の3点について大学の友人と話したので、その内容を記載している。(この記事を書き始めるこの時点ではその予定…)

  • 思慮深さ、思慮深い人とは何なのか。

  • それは後天的に身につけられるのか。

  • 後天的に身につけるならその方法は何なのか。


東大志望の高校生との会話

話は変わって、
私は数ヶ月前に東大を志望して勉強している高校生と話した。
(わかりやすいから肩書を書いているだけで、どこを志望していてもこの記事に関係はない。)

この方との出会いはTwitter(X)だ。
色々あって、DMが来て、とても面白い価値観を持っていそうだったので、それが聞きたくて通話をすることになった。

この方をXさんと呼ぶことにする。

いや、Xだと旧Twitterと区別がつかないのでAさんと呼ぶ笑

AさんとはAさんの将来について話した後、世界情勢や日本社会について、他には多様性について話した。
話したといっても、僕はこのことについて全く詳しくないので完全に聞き手だった。
素直にAさんの話が面白すぎた。

Aさんとの会話の中でLGBTQについてどう思うのか。
という話になった。

Aさんの表現は複雑だったので、一旦わかりやすく表現すると
「多様性を許容しようとLGBTQという枠組みを作ることで、またその枠からはみ出る人間・枠にはまらない人間が出てくる。その中間などである。そして次は、そのはみ出た人間が差別されてしまう。」
ということだ。
(Aさんが話した内容を僕がこう解釈しただけで、Aさんの考えは異なっていたかもしれません。)

これに対して、僕は「では、どうすればいいんだろう?」という疑問を持ちったので質問をした。

しかし、この質問に対して回答がなかった。
なかったのではなく、Aさんは出さなかった。
いや、出す必要がないと思っていたのかも知れないと後になって気づいた。

他でも同じで、ほとんどの議題において、僕がAさんの考え方から芯を探すのに対して、Aさんは全くといっていいほど答えを出さなかった。

3時間ほど話して、通話は終わった。

ここからが大学の友人と話したことだ。

大学の友人との会話

最近、大学で新しく出会った人(多分友達だと信じている…笑)とLGBTQの話になった。
この人は、以降も「大学の友人」と呼ぶことにする。
(東大志望の高校生が、Aさんだ。)

大変僭越ながら、その大学の友人はとても賢い。
大学の友人も「思慮深い人」について過去に考えたことがあるらしい。

その友人との話は、LGBTQに関することからそのような枠組みを作ることによる弊害などを話した。
その後に思慮深い人は、事象について枠組みを作らないという話になった。

ここから、下記の内容に移っていく。

  • 思慮深さ、思慮深い人とは何なのか。

  • それは後天的に身につけられるのか。

  • 後天的に身につけるならその方法は何なのか。


初め思慮深い人とは、一般的な学歴に関与する学力ではなく「知識」を持つ人なのではないかと話した。
ここでいう知識は、いわゆる簡単な雑学のような暗記科目ではなくではなく、考え抜かれた知識だ。

例えとして、居酒屋で円柱の串に刺された焼き鳥がでてきた場合を挙げる。

  • 一般的には、串から鶏肉を抜きやすくするために、円柱の串を使用している。(実際は多角柱の方が抜けやすかったかも知れないが、一旦忘れる。)

  • 雑学的には、鶏肉を抜く際に回転させながら抜くことで、抜きやすくなることを考慮して串を円柱にしている。

上記のように考えるのに対して、考え抜く場合はこれよりも他の理由があるのではないかという追求をやめない。
(回転させながらだと鶏肉が抜きやすくなるのは摩擦が関係しているのではないか。
摩擦力=摩擦係数×法線力のどの部分がどう影響しているのだろうか。
他にも串を円柱にしている理由があるのかも知れない。
鶏肉に均一に熱を与えるためか。など….)

しかし、思慮深い人が考え抜かれた知識を持つ人であるということが解として納得できなかった。
なぜなら、自身がその対象の人物を思慮深いと感じるかどうかは、知識を持っているかどうかではないと思ったからだ。

そして色々話した。

この友人と僕が行き着いた「思慮深い人」の結論は、「答えを出さないで、モヤっとした状態を"そのままの形"で飲み込める脳のキャパシティを持っている人」であるという結論だ。

ここで、Aさんのことがスッと入ってきた。
確かにAさんは、LGBTQについてなど複雑な問いに対して安易に答えを出さなかった。
底知れない脳のキャパシティがあるからこそ、何も決めつけないで何かの悩みや問題についてそれをそのままの形で受け入れられたのだと思う。

(”普通”と言う言葉を使ってしまうが、)
普通はそんなことをすれば、脳のメモリそこに使用されるため勉強や仕事が手がつかなくなる思う。

でも例えばAさんはそうではなかった。

答えを出さないことは、一方では判断から逃げていると捉えることができるかも知れない。
でも僕は、安易な解に逃げないで、その問題と向き合い続ける方が、圧倒的にしんどいと思う。
それも踏まえて、思慮深い人を本当に尊敬する。


気づいた方がいるかも知れないが、実はこの辺りで伏線を回収してしまっている。


次に

  • 「思慮深さ」は、後天的に身につけることができるのか。

  • 後天的に身につけるならその方法は何なのか。
    について考える必要があるが、とても長くなったので一旦終わる。


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