「別人が描いたみたいだね」の話

作風が幅広い。と言えば聞こえはいい。自分の作品発表意欲に反して(?)、全く画風が定まらないことに焦りを感じていなかったと言えば嘘になる。
でもそもそも画風なんて定めたくなかったのかもしれない、という話をする。

自分の行動決定の動機に占める「他人にこう思われたい」「他人にこう見られたい」という欲の割合がかなり大きい。発言がはっきりしているせいで誤解されるが、恐らく本当は誰よりも"確固たる自分"みたいなのがない。
そして「他人にこう思われたい」の「こう」というのは、大体の場合「マイノリティでいたい」「自分のキャラを確立したくない」というもの。
好きなアイドルが知られすぎると冷めるし、服の系統はバラバラだし、「君ってこうでしょ」って言われるとその真逆の方に行きたくなる。先ほど"確固たる自分"がないと述べたが、ひとつ確実なのは、ものすごい天邪鬼だということ。"◯◯が好きな人"とか、"◯◯系"に絶対になりたくない。天邪鬼という事実しかないのに、ブレない自分というものに対する並々ならぬ執着があってしまうから、ずっとブレている。

それもまあ22年付き合ってきた私自身だから、そういう性格なのは変えるのが難しいし仕方ない。

サトウカホという"作家"として一歩を踏み出してから、こういう自分にとって作家をやるのはすごく難しいかも、と思った。
作家活動というのはいわば自分自身のブランディングである。自分はこういう人間で、こういう絵を描いてます!っていうセルフプロデュースの繰り返しだ。でも私は自分を、自分という型にすらはめたくない。サトウカホというコンテンツになりたくない。だからいつまでも画風がブレて、サトウカホらしさが出ない。
視点を変えればそれでも全然構わないと思う。だってまだ22歳だし。本気で絵を描き始めて4年目だし。でも同年代で売れっ子の人を見るとそれに比べて自分はこんなことをいつまでも…となってしまう。

さっき作家活動難しいかもって書いたけれど、今はまだ、です。まだ私は変われます!!変わらせてください!!

画風が定まるきっかけがあるとしたら、子供産んだ時とかじゃないだろうか。そのくらい気長にやりたいタイプだと思う。ただはっきりした性格だから本当に誤解される。実は大器晩成なのかもしれません。ていうかまず大器でありますように。

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