絵を見てもらうということ

絵を描くことと、絵を見てもらうこと、私にとってどっちが好きで、どっちが先なんだろうと最近よく考えます
今年、二年生はたくさん展示に参加するぞという目標をたて、実践していく中で、絵を見てもらうということにえも言われぬ快感をおぼえました
小規模ですが地元の公募展に出したとき、家族や恋人、恩師が足を運んでくれたし、それ以外にも私の絵を目にした人がたくさんいたことでしょう
ギャラリーで展示を行うとき、来てくれるお客さんというのは展示者のファンだったりギャラリー自体のお客さんなわけで、知名度のある公募展とはやはり違うなと感じました
違うなと感じたそこから、私の興味は公募展に向けられるようになりました
知名度の高い公募展に入選すれば、たくさんの人に絵を見てもらえるのかな?と
画家としての第一歩として、というのとも少し違って、純粋に多くの人に絵を見てもらいたい!そしてできれば私にとって大切な人に見てもらいたい!という気持ちでした

この気持ちの大元はどこなんだろう、と考えたときに浮かんだのは、幼稚園のとき、銀行主催の絵画コンクールに入選し、銀行に飾られた絵を家族みんなで見に行ったときの記憶でした

私は長子で下に妹がいる上に、もともとの性格がとてもしっかりしていたので「加歩は昔からおりこうさんで」と母親によく言われたものでした
けれど幼い頃は妹のことが本当に目障りで嫌いで、妹を泣かせて母に「○○(妹)にいなくなってほしいの?」と聞かれた際に、うん、と答えて、悲しい顔をされたことをよく覚えています
父母が私より妹につきっきりになっていたか自体はあまりおぼえていないのですが、そのやりとりはよく覚えているので、親が私のことを見てくれない、という寂しさがあったんだと思います

前述の絵画コンクールはそんな大嫌いだった妹が産まれる直前だったようですが、"おりこうさん"の私は親が自分のために手を焼いてくれるという経験をしたこともなく、なんとなく心の底で私のことをもっと見てほしいという気持ちがあったのだと思います
絵画コンクールでにわとりと自分の絵を描いて、それを親が見に来てくれて、そのことがとても嬉しかった
自分のことを見てくれた気がしました
そんな思い出が私の絵を描く原動力になっているのだと思います

おりこうさんの私でしたが、思春期には暴走し、中高一貫校に行かせてもらい、せっかくの中高一貫校なのに嫌になって高専に行かせてもらい、それすら嫌になって中退して美大に行くなんて始末です
中学〜高校はずっと病み散らかしてましたが、親が私に手を焼いてくれたという初めての経験でした
半不登校で布団にこもる私を会社遅刻ギリギリまで説得したり、結局遅刻してまで学校まで送ってもらったり…高専時代は離れて暮らしていたので泣きながら電話をして、今から行くから!なんてアパートまで2時間かけて来てくれたりもして、本当に親としては大変だったと思いますし申し訳ない…と思いますが今思えば私のことを見てくれてるかの確認行為だったような気がします、今思えば
当時は本気で病んでいたしそんな気はさらさらなかったのですが
父親にはこの前「加歩は人生がわがままだからなあ」と言われました その通りすぎて笑ってしまいましたが

自分を見てほしいという気持ちから絵を描くのはさみしいかな?と少し悩んだりもしていたのですが 思春期に暴れまくっていたのを考えると、自分を見てほしいという欲求を絵で発散するというのを身につけられて本当によかったと思います
このやり方が私には一番合っているんだと思います、絵を描くことも楽しいし、好きだし
私はこれからも絵を描くことをやめられないというか、人に見せたくなって描いちゃうんだろうなと思います

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