2022年7月23日 インモラルな笑いの難しさと安易なモラル称揚とかの話

社会性の本質的なチキンレース

 過激な作風で売っていたYoutuberが急に道徳的な正論(自分の過激なジョーク動画と安倍元首相射殺テロを絡めて不謹慎な盛り上がり方をするのは良くない)を言ったので、かなりびっくりした。
 過激・不道徳・不謹慎なジョークを提供する人たちって、やすやすと「自分の中でこういう基準に反するものはやらないようにしています」とタネ明かしができないせいで、本当にモラルのない人間と低い位置に確固としたモラルを持っている人間の区別がつかない。そういう区別のつかない状態を意図的に作り出して、みんなで面白がっているのが自分たちなわけだけど……。

 それにしても今までノーブレーキだった人が急にブレーキを踏んだものだから、心の底から「えっ?」と思ってしまった。
 こういう表明が道徳的に正しいのは言うまでもなく、自分のスタンスを固持することは斜に構えたワルの視点で見ても格好いいことのはずなのに。むずかしい……。

 むずかしいよな、低い水準の確固たるモラルの話。
 ある程度ふだんから「僕は僕のモラルに反さない範囲で自由にやるし、僕のモラルに反することは絶対にやりません」って言ってれば低刺激だろうけど、そういう奴が面白いと思ってもらえるかは未知数だし……。
 ひどく低い位置で行われているけど、これは人の社会性の本質的なチキンレースの話だ。


意図しない一般論に回収されることへの懸念

 それとは別に、こういう有名人の良識的な言動が「〇〇さんっていい人なんだな」とか「モラルの高さが素晴らしい」みたいな感想に意訳されるのが僕はとても嫌いだ。
 その人個人の具体的な価値観のはずなのに、たまたま世間の良識と方向性が一致していたばかりに抽象的な一般論としての「モラルが高いことは素晴らしい」に回収されてしまうのは、(全然仕方のないことだとは思うけど)本人の意図からも離れた意訳だと思う。
 油粘土マンも壱百満天原サロメも「モラルを高めましょう」「モラルが高いのは良いことです」とは言っていないのに。


愚痴

 大前提として人はそれぞれ自分が納得できるだけの、責任を持てる高さのモラル持つべきであって、「社会のみんなで同じ水準のモラルを持ちましょう」ではないことがたぶん共有されてない。モラルの話になると、概ねみんな全体主義に傾いてる。

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