2022年4月29日 読書記録(嫌悪感の記録更新!!)

情況2022年04月号キャンセルカルチャー特集

 ネットで話題なので買ってみた。
 そして案の定、最初の50ページくらいで苦戦している。

 とても正直な感想を言うと、いわゆる文系のよくない部分が濃縮された感じがしてとにかくうんざりする……。話をちゃんと理解できているわけでもない読者がこんなことを言うのもド失礼だとは思うけど、読んでいて嫌悪感を感じる本って生まれて初めてだな……。

 この本の(冒頭50ページの)嫌悪感を感じる部分はふたつあって、ひとつは意味があるかわからない話をひけらかすところ、ふたつめは事実に即しているかわからない話を膨らませたがるところだ。

 例えば20ページ前後、有識者?のインタビューではサルトルの群衆論を引き合いに(サルトルは辛うじて自分でもわかる)「暴動にも二種類あって、扇動者と被扇動者が分かれているものと、全員が扇動者であり被扇動者でもある暴動がある」というような話をしている。
 その主張自体はなるほどな~と思えるものの、その話をするためにル・ボンやガブリエル・タルドやサルトルの話を引き合いに出す意味は、本当に全く純粋に知識のひけらかしだけだと思う。
 たくさんの専門用語を出さなくても2行くらいで言える(もちろんその2行に対して質疑はあるだろうけど、2ページの専門用語集に対する質疑ほどではあるまい)ことを、なんで無暗に難しくするんですか? 文章とか会話とか、コミュニケーションに難がある人か???

 21ページではB.J.ボブズボームの『反抗の原初形態――千年王国主義と社会運動』や『水滸伝』、『七人の侍』、『カラマーゾフの兄弟』なんかを引き合いに……取り留めのない話をしている。とにかくたくさんの用語を登場させることが目的で、意味のある主張をしたり意図を伝えたりすることができなくなってしまっているんじゃないか。
 これを語る側も大概だと思うし、これをありがたがる・問題視しない側にも、自分はもはや邪悪さすら感じるよ。自分の知人がこんなだったら、自分なら病院に連れていきます。

 ふたつめの嫌悪感ポイントは45ページ前後。このパートの寄稿者というよりも、言及先のラカンやファルス関数に関してだ。
 "読み物としては面白いけど、現実に即しているかはわからないな"、"エンタメ性のある推理(笑)だから、他人に迷惑をかけないために小説家になった方がいいですよ"って出来だったフロイトの主張を前提にして、その上に建築された議論。それって真実味あります???
 うまく現実に対応しているかわからない話は、いくら精巧に積み重ねても意味なくないですか。つまりおれが言いたいのは……哲学者はみんなフィクション作家に転身した方がいい。

 文系・インテリ・リベラルの、現実に即しているか不確かな前提を鵜呑みにして議論できる悪癖はどうやら偶然ではなく根深い話だったんだなって実感できたという意味では、とてもよい経験になった。
 集団ストーカー対策を政策に掲げる政治家が道義的に問題(特定の傾向を持つ病人をターゲットにすな!)なのと同様に、事実かどうかに頓着しない人を囲って票田にするのも、政治思想としてどうかと思いますよ。政治は現実の問題に対応するものなので……(マックス・ヴェーバー並感)。


 自分はいわゆる理系の出身なんだけけど、フロイトやユングの精神分析って「読み物としてはともかく、反証可能でないのでこれは決して科学ではないです」と授業で教わるくらいのやつなんですよ。少なくとも科学サイドから見れば。
 これからのひとつの態度として、フロイトやラカンに基づいたフェミニズムは全部読み飛ばすというのもアリだなと思った。もちろん誠実に読むに越したことはないけど、おれは馬鹿なので読解に割ける気力は有限なんだ。
 本当か嘘か発話者も把握していないような妄言にリソースを割かれてたまるか。


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