2024年1月1日 読書記録

リトル・マーメイド

 100周年記念でリバイバル上映していたので。
 幼い頃、妹がVHSを繰り返し見ていたのが懐かしい。

以下、箇条書きで。

・冒頭の海底の風景だけが流れているシーンがとても良い。子供の頃は単なる本編が始まるまでの(興味のないCMにも似た)時間だと思っていたけど、実際に劇場で見ると期待を膨らませるための時間だった。水面下で揺らめく光の作画も美しい。

・水中の景色、Ace of Seafoodで予習したやつだ……! この世界の魚は射撃能力を持たない。

・スカットルのパイプの説明(コイツは人間たちの音楽の道具だな)から「いけない! コンサートのこと忘れてた!」に繋がるの、脚本が綺麗。

・エリック王子の船が難破するシーン、雨の作画が凄い。腕だけの力でロープを上るアリエルの腕力も。これはもう実質ポルプリだ(?)

・セバスチャンは6本脚だった(カニはふつう8本脚)。いつもはオーバーに動いたり、弱気になると内股になったり、表情豊かな脚たちだ。地面を歩くシーンではそれぞれに足音が鳴っているのも細かい。

・アリエルが人間になったタイミングでフランダーとセバスチャンがいないと即窒息死する。セーブ&ロード前提みたいな罠。

・たった3日間の恋愛なのがとてもスピーディで驚いた。初日に泊まり込んで、二日目にデートして、三日目に結婚!? 三日目に介入を決意するアースラの決断力も凄いよ。

・水中のアースラに銛で一撃入れて即水上へ離脱するエリックの戦闘センス。確かに水中に留まる理由はないけど、「一撃離脱するぞ!」と思って一撃離脱のために水中に潜る判断を咄嗟に……!?

・ディズニーヴィランが魔力を使うと緑色に光るの、あれは一体なんなんだろう。野獣派の肖像画か?

緑に光ってるからディズニーヴィラン?


すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ

 公開当日に見てきたんだった。
 すみっコぐらしにしては刺激が強くて驚いた。面白いけど、映画1作目からこれだったら「ちょっと違う」って言ってそうな感じ。月間MVP社員制度があって、手を繋いで仲良くゴール式じゃないのは、おれたちには刺激が強いよ……!

 おもちゃたちのゾンビパニックしかり、巨大ロボットとのチェイスしかり、物質的なホラーも当社比5倍くらい。なんでゆるキャラで資本論の話してるんだろう……。


鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 なんで鬼太郎でFate/zeroしてるんだろう……。
 いわゆる因習村シナリオで、その手のシナリオの中ではたぶん王道展開だ。全体的にとても面白かったからこそ特に取り上げたい箇所がない……。

 因習村は因習村でも時代が戦後だったので、政治的に正しめ(オリエンタリズム弱め)だったのが良かった。妖怪モノの国民的タイトルなだけに、いろいろと自覚的にちゃんとやってたなぁ。


代表作でわかる世界の建築史入門

 もう建築への興味は冷めてるんだけどな……。
 ベッドの下をのぞき込むと、だいぶ昔に買った建築系の本が何冊も積まれていた。億劫だなあ……。


英国の民家 解剖図鑑

 ひとくちにイギリスの伝統的な民家と言っても、実際には地域ごとに算出する素材や気候に合わせた様々な民家があるよ!という本。

 もとがイギリス人向けにイギリス人が書いた本らしく、都市名と地域が結びついていない状態で読んでもさっぱり頭に入ってこなかった。
 そもそも各論をまとめた総論がないので、たぶんあまり説明がうまくないぞ……。



言語学入門

 どのくらい具体的な情報を得ようとするべきか、なかなか難しい。
 音節とモーラの違いとかは覚えられる&覚えるバリューがあると思ったけれども……。

 ある程度の浅さのことは、ゆる言語学ラジオで聞きかじってるしなあ。


ブリキとトタンとブリキ屋さん

 技術・歴史。製鉄会社で働いていた著者による、どこからそれほどのモチベーションが湧いてきたのかわからないほどのちゃんとした本。

 ついじっくり読んでしまったけど、一般人がこの本を読んで身に着けられる知識はそれほど多くなかったと思う。お菓子やジュースの缶の製法くらい?


ユリイカ 2020年9月号 特集=女オタクの現在 ―推しとわたし―

 これは後日長めの感想を単品で書くつもり。
 間違ってはないけど欺瞞ではある、自分にとっての主観的な満足感は薄い……という感じだった。まあジェンダー系の本なんてこんなもんか。 

 「『推し』って女オタクの文化ですよね。男オタクはそんなに『推し』って言葉や概念に囚われてないし」という単刀直入な話を誰もしない・できないんじゃ、話にならない。
 特集のタイトルが「女オタクの現在―推しとわたし―」になっていて、どの寄稿者も「女オタクであることと推しの話って無関係じゃない?」とは言っていないことから、実態としては「女オタク」と「推し」の強い関連性を認めているにもかかわらずだぞ? 

 ここ数年、推し文化を表面上だけ(実態としては女オタク文脈に比重を置いているのに)脱ジェンダー化して語ることで、推し文化を都合のいいように簒奪されているように感じる。
 自分自身のジェンダー的な偏見に気づけないジェンダー論者、ちゃんとご飯を食べたり散歩したりして頭をはたらかせてほしい。


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