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来し方

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花入
小菅小竹堂(1921~2003) 作

不思議な縁で此処に有る花入れ
根曲がり竹で制作されている。

30数年前、別府の竹訓練校を卒業したその足で東京へ移った。
別府を出るとき、神奈川の葉山に小菅さんという竹工芸師がいるよと教えてもらった。

訓練校にいるときから先達を訪ねて歩き、何方に感化されるかは、自分にしてその後が大きいと今にして思う。
竹細工を始めたばかりの若者を快く招き入れてくれた小菅さんに感謝している。

お訪ねした時、小菅さんはアクセサリーを作っておられた。
アメリカのご婦人からの依頼で、この石でアクセサリーをと預かった。
ごろんと透き通る石は、ブルー、グリーン、バイオレットと大きさも形も様々だった。

その石を竹や籐でかがりネックレスを作っていた。
染め竹をあてがい漆黒に染めた籐で緻密に石をかがり繋げていた記憶はスクショのように取り出せて褪せない。

指定された朝8時に伺い、昼をご馳走になり長い時間を割いてくださった。
来し方、仕事の方策、時折混じる四方山な事柄、話していただいた内容の根幹は実務だったと思う。
漆がよれたり溜まったりはいただけないと籠にする前のヒゴ一本一本に漆を塗っていたこと。
行き詰った時は電車に乗り周囲を見渡す。女性のヒールの形にヒントを見つけたりすると言っておられた。笑いながらも形に残らない氏の目に留まる鈍い色彩が言葉とともに残っている。
自分にとってプロと呼べるのは飯塚琅玕斎だ、ちょうど栃木で琅玕斎の展示会をやっているから行ってきなさい。

言葉を若い時なりにとらまえ、お手持ちの籠、道具を拝見し、触らせていただいた。

その時にあったのがこの花入れだった。
三つ。
若くて手持ちもなく他の作品はきっと手がでないだろうし、この花入れだったらもしかしたらと思いはしたが、失礼かもしれないと臆して金額を聞けなかったと飯島が回顧していた。
あれから三十年が経ち小菅さんも鬼籍に入られた。
籠があるからとご子息が連絡をくださる。
届いた箱の封を解くと、あの花入れの中の一つが納まっていた。

小菅小竹堂さんは、昭和33年 日展が新日展と伝統工芸展に別れたのを機に公募展から退かれたため、残念ながら図録がない。

手元にあるのは氏より頂戴した「毎日グラフno17 1982」で、イッセイ.ミヤケ ’82春夏ファッションショーで制作依頼された裃が載っている。


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ネットが流通し
あの時作っておられたジュエリーは
ティナ・チョウのだったと知った。
pinterest

琅玕斎は天の才
小竹堂は鬼の才
手前勝手に思っている。

好きな籠師は玩々斎。


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