「偏見をマネジメントする」#220107
こんばんは。
かぐやです。久しぶりに凍った路上を自転車で進む恐怖を味わって雪がもたらしてくれた恐怖という名のハラハラドキドキにありがとうといいたい気分です。
#この感覚伝わるのだろうか
#雪だるまをつくる元気はなかった
今日までつくばにいてくれた友人が筑波大学のリカレント教育のプログラムを受講していて、そのプログラムを実施している河野先生に一緒に会いに行きました。
そしたら彼のTAが僕の同居人であることが判明し、プログラムで僕の友人(Naoki)と同居人はすでにオンラインで繋がっていたという奇跡が起きました。
Diversity, Equity & Inclusionの分野が教育の根源に来るのではないかという考えを持つメンバーでの対話でしたが、河野先生の言語化は興味深く聞いていました。
・「偏見」はマネジメントする
・違いや違いの壁をなくすことはできない
・「偏見」はなくすことはできないけど差別はなくせる
僕も最近Twitterで「偏見をなくすことはできない。偏見をどう修正し表すのか。」というようなつぶやきをしていたので、"マネジメント"という新たな言語化になるほどなぁとなりました。
言葉の選び方はまだまだブラッシュアップしていきたいなぁという思いです。意識して使わないと言語化は廃れます。いつまでも自信はありませんが、自分の考えの言語化に自信を持てるようになりたいです。
筑波大学に「生理用品やピルなどを無償で提供する拠点を作りたい」という大学院生と繋がって一緒にプロジェクトを進めることになり、河野先生にもお話したところだったので今後も何かしら繋がっていきそうな予感がしているので楽しみです。
「学術的な視点」ってどのくらい大事でしょうか?
もちろん、「学術的な視点」には限度があると思っていますがやはり「学術的な視点」は外せない。という点では僕の理論は幼稚だと思われても仕方がないわけです。
正直なところ、どんな理論があっても現場での実践がなければ意味がないとは思いますが、まだまだ素朴概念で動いているところが多いので、土台づくりの質は考えるべし!と思ってます。(妥協人間なのでどこまでできるのか…)
自分なりに進んでいきます。