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お金を貸すのが実はヒドい理由

神楽です、

「お金を持っているなら貸して欲しい」

と思ったことはありませんか。

僕はあります。

僕の大学時代の親友には
毎年数千万を稼ぎ、3つの会社の役員
という肩書きをもった人がいます。

お金がなくて、ここで100万円あったら
人生逆転ができるのに…お金を貸して
と、親友に頼もうかなと思ったことは
恥ずかしながら2度、3度以上あります。

だって、彼はお金をもっているし
100万円なんて彼からしたら
端金だろうから…と思ったからです。

その時、億万長者の方に教えてもらった

「小善」は「大悪」に似たり
「大善」は「非道」に似たり

という言葉を思い出しました。

「小善」とは、この例では

親友が僕にお金を貸して
といったら、ポンと100万円貸してくれる

ことです。

お金を貸して助けてあげることは
他から見たら「良い」行いにみえます。

親友の彼なので、僕が困っている
僕の人生が大きく変わる可能性がある
と、泣きついたら

もしかしたらホントに
100万円貸してくれるかもしれません。

でも自分で稼いだお金以外は
自分の器に合わないモノです。

器に合っているなら
すでに僕が100万円以上のお金を
稼げているはずです。

器に合わないお金を
他人から借りて手にしても

道をふみ外して
もっとヒドい状態になるキッカケに
なるかもしれません。

ヒドい状態にならないにしても
借りた100万円を一瞬で使ってしまい
親友に返すことができなくなる可能性が高いです。

つまり「良い行い」=「小善」
と思ってお金を貸したのに

結果もっとヒドい状態や、お金を返せず
僕がより困ってしまう状態
「大罪」を作り出してしまいます。

それよりは僕のことを思って
僕が器を自分で広げる機会を作るため

「お金を貸さない」

ということを選択する。

必要な時にお金を貸さない
周りから見たら「ヒドい=非道」をした方が
長い目で見れば

「相手のためになる=大善」

になることがあるのです。

この言葉を思い出して
僕は親友に甘えてしまいそうな気持ちを
おさえこみ

自分でなんとかしようと
器を広げる努力をすることにしました。

誰かの力を借りたくなったら

「小善」は「大悪」に似たり
「大善」は「非道」に似たり

この言葉を思い出してみてください。

神楽ほまれ

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