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セスブック 個人的現実の本質 第1章生きた世界の絵

第1章生きた世界の絵

さて、口述しましょう。第1章の表題は「生きた世界の絵」です。生きた世界の絵は心の中で育ちます。
あなたの目に映る世界は、さまざまな人が参加している三次元の立体画のようなものです。
その中に見えるどんな色や線も、まず心の内側で描かれてから外側に具現化しています。
ただしこの場合、画家自身もまた絵の一部としてそこに登場します。
外側の世界に現れるどんな結果も内なる源から生じています。あらゆる活動は最初に心の中で生じるのです。
そういう意識のすばらしい創造力を、あなた方は生まれながらにして持っています。
人間だけでなく生きとし生けるものはみんなこの創造力を備えていて、
お互いの自然な協力関係によって生きた世界が成り立っています。
そのような協力関係は最小のものと最大のもののあいだにも、偉大なものと卑しいもののあいだにも、
そして原子と分子と意識つまり思考する心のあいだにも存在します。
あらゆる種類の昆虫や鳥や獣たちがこの冒険的な試みにおいて、協力し合いながら自然環境をつくっています。
このことは、ガラスに息を吹きかけると曇るという事実と同じくらい正常で当然のことです。
すべての意識が「感情のトーン」から生じ、世界を創造しています。

世界は、あなた方の意識から自然に生まれた産物なのです。
感情や感覚が一定のプロセスでリアリティ現実の中へ現れ、
思考はすでに敷かれた苗床から発芽して表面化します。季節は太古からの深い永続的なリズムを持った
「感情のトーン」によって形成されます。それらもまた、あらゆる生命に生まれつき備わる創造的性質の結果です。
こうした古来の有り様は、いまも全生物の種の魂に深く埋もれていて、そこから個としてのパターン、
すなわち新たな差異化のための固有の青写真が現われます。
地球はそれ自身の魂あるいは心を、どちらの呼び方でもかまいませんが、持っているといえます。
この比喩に従えば、すべての出来事や製造物が人間の心あるいは魂から生まれたように、山も海も、谷も川も、
ありとあらゆる自然現象が地球の魂から生じているのです。それぞれの人の内なる世界は、
地球の内なる世界と結びついています。そしてスピリットが肉体になります。一人ひとりの魂の中には、
わたしたちが「世界の魂」あるいは「地球の魂」と呼ぶものと密接につながっている部分があるのです。
草のほんの小さな葉や花などはこの関係に気づいていて、あれこれ考えることなく自らの立場や独自性、
生命力の源を理解しています。人の身体であれ、テーブルや石ころ、あるいはカエルであれ、
あらゆる物質を構成している原子や分子は、自らの存在の下に創造性というすばらしい

受動的な推力があることを知っているし、それの上に別個の、
明確な、確固たる自分の個性が漂っていることを理解しています。人間もまた、
古来のものではあるが、常に刷新される自らの魂の源泉から、獲得した独特さをなして立ち現れます。
自己は未知から知へと生じ、絶えず自身を驚かせます。たとえばこれらの文章を読んでいるときも、
あなたはその知識の一部を意識的にわかっていてすぐに利用することができます。
一方であなたが知らないうちに知っているものもあり、それらは意識されていないけれども,
無意識の知なのです。あなたは自分で気づいていなくても、自分が何をしているかを常に知っています。
あなたの目は自らが見ているということを知っていますが、自身を見ることは鏡などに写った像を通してしかできません。
同じように、あなたの見ている世界はあなたの像が、鏡にではなく三次元のリアリティ現実に映し出されたものなのです。
あなたは自分の考えや感情や期待を外側に投射し、それらを外側のリアリティ現実として知覚します。
ほかの人々があなたを観察しているように思われるときも、実は、あなた自身が投射した観点から、
あなたが自分自身を観察しているのです。
さて、あなたはあなた自身の生きたイメージであり、あなたが自分自身と見なしているものを身体に投射しています。
あなたの感情、意識的な考え、無意識な考えが、

あなたの物質的なイメージをすっかり変えたり形づくったりしているのです。
このことはあなたにとってかなり理解しやすいものでしょう。けれども、それと同様に、
あなたの感情や考えがあなたの外側の経験をつくるということや、たまたま自分の身に降りかかるように見える出来事が、
あなたの心的な環境のなかであなた自身によって引き起こされるのだということを理解するのは、それほど容易ではありません。
あなたの身体はたまたま太っていたり痩せていたり、背が高かったり低かったり、健康あるいは病気だったりするのではありません。
そういった特徴は観念的なものであり、あなたが外側の自分のイメージに押しつけたものです。冗談を言うつもりはありませんが、
あなたはきのうきょう生まれたのではありません。それどころかあなたの魂は、
あなた方の考える時間の記録が始まるよりもっと前から生まれているのです。生まれたときにあなたのものであった特性は、
理由があってあなたのものになりました。内なる自己がそれらを選んだのです。内なる自己は現在でさえ、
それらの多くをかなりの程度まで変えることができます。あなたはいわれなしに誕生に至ったのではありません。
あなたの個性は魂の中に常に潜在していました。あなたの一部である「歴史」は、
あなたの精神の内部にある無意識な記憶の中に書かれるだけでなく、あなたの遺伝子と染色体の中で正確に解読され、
全身をかけめぐる血となって成就されます。

あなたの魂があなたを通して自らを表現するとき、あなたは自分が自覚しているよりずっと多くのリアリティ現実に気づき、
気を配り、関与しています。普通の日中の意識つまりエゴ自我の意識は、「地下」から生える花のように、
あなたのリアリティ現実の苗床である無意識から現れます。あなたは気づいていないでしょうが、
このエゴ自我は現れるとふたたび無意識へと落ちていき、そこからまた、春になって大地から新しい花が芽吹くように別のエゴ自我が現われるのです。
あなたの現在のエゴ自我は5年前のものと同じではありませんが、あなたはその変化に気づきません。
言い換えれば、エゴ自我は「あなたであるところのもの」から生じているのです。それはあなたの存在と意識活動の一部であるにもかかわらず、
あなたはエゴ自我がたえまなく変化しつづけ、死んではまた生まれ変わっていることを知らないのです。身体構造で言えば、
細胞は自らを組織している物質が絶えず入れ替わっているあいだでさえ、自らのアイデンティティーを保持しています。
細胞はそういう自分のパターンに従って自らを再形成していますが、その最中でもたえまなく出現する活動の一部でありつづけ、
数えきれない死が起きつづけている中でも生きて反応します。そして心の構造も同じように形成され、
それぞれの名前で呼ばれることになります。名前そのものに意味はなくとも、その背景となっている構造には意味があります。

こういった心の構造も絶えず変化し、死んだり生まれ変わったりしながらそれ自身のアイデンティティーを、
つまり独自のパターンを保持しているのです。目は物質的構造から、エゴ自我は精神の構造から生じます。
エゴ自我も目も、自らを見ることはできません。目は肉体から、エゴ自我は内なる精神から、外の世界を見ています。
創造的な身体の意識が目を創造します。創造的な内なる心がエゴ自我を創造します。
身体は大いなる無意識のすばらしい叡智によって目を形成するのです。
心は、目が物理的に知覚するように心理的に知覚するエゴ自我を生み出します。つまり目もエゴ自我も、
外側のリアリティ現実にフォーカス焦点を合わせて知覚するようにできているのです。

物質世界での経験は、あなたの内なる心の中心から外へと生じます。それからあなたがその経験を知覚します。
外側の出来事や環境、状況は一種のフィードバックと定められています。したがって心の状態が変化すると、物理的な環境も自動的に変わります。
ほかに物理的な出来事を変える道理に合った方法はありません。おそらくあなたの内部に活気に満ちた次元をイメージすれば助けになるでしょう。
あなたはそこで、自分の知っているすべての外部の状況を霊的なミニチュア版として創造しています。簡単に言えば、あなたはまさにそうしているのです。
あなたの考え、感情、そしてイメージは、外側の出来事の発端といえます。
というのは、それらのおのおのが何とかして物質的なリアリティ現実の中で具現化していくのですから。

あなたは自分の人生でまったく不変と思われる状況でさえ、それらに対する考え方を変えることによって絶えず変化させています。
あなたの内部と無関係の外界の経験というものはありません。もちろんほかの人々との相互作用はありますが、
すべて、あなたが自分の考えや心構え、あるいは感情によって受け入れなかったり自分に引き寄せたりしたものなのです。
これは人生のそれぞれの領域に当てはまります。あなた方のいう人生以前および人生以後の両方に当てはまります。
あなたはもっとも奇跡的なやり方で自分の経験をつくり出す天賦の才能を与えられているのです。
今回の人生で、あなた方は自分が利用できる無尽蔵のエネルギーを扱うことを学んでいます。
世界の集団的な状況とそこにいるそれぞれの人の状況は、自らの世界を形成するときの人間の進歩を物質化したものです。
創造の喜びは呼吸と同じくらいたやすくあなたを通って流れ、そこから外的経験のもっとも精細な領域が生まれます。
あなたの感情には電磁的な実体があり、それが外界に生じ空気そのものに影響を与えるのです。
感情は引きつけあって集まり、集団になり、出来事や状況の領域を徐々につくり上げ、ついには物体としてものに、
あるいは時間の中の出来事として、いわば結集します。

感情や想念の中には、あなた方が「もの」と呼ぶ構造に変換されるものもあります。
それらはあなた方が「空間」と呼ぶ媒体の中に存在します。他のものは「出来事」と呼ばれる心の構造に変換され、
あなた方が「時間」と呼ぶ媒体の中に存在するように思われます。空間と時間はどちらも基本的前提ですが、
それは単に人間がその両方を受け入れ、自分のリアリティ現実は当然、瞬間の連続と一つの空間次元にもとづいていると思っている、という意味です。
それであなたの内的な経験はそうした観点に落とし込まれるのです。時間や空間の中でものや出来事がどのくらい存続するかは、
それらを生じさせた考えや感情の強さによって決まります。空間における存続は時間における存続と同じではありません。
もっとも、同じであるように思われるかもしれませんが。あなた方の観点で言えば、たとえば空間につかの間しか存在しないものや出来事も、
時間の中ではもっとずっと長く存在しつづけているかもしれません。それは空間で消えてしまったずっと後まであなたの記憶の中にあり、
ますます重要で鮮烈なものになっているかもしれません。そういうものや出来事は、あなたの心や記憶の中にただ象徴的な意味で存在するだけでなく、
あなたにとって実際に現存する時間の中で継続しているのです。一方、空間におけるそのリアリティ現実も、それがあなたの心に存在している限り、
消え去りはしません。ごく簡単な例を挙げましょう。人形で遊んではいけないと言われた子どもがいます。

その子が言いつけにそむき、故意か無意識か人形を壊してしまい、結局それは捨てられます。でも人形はその子どもが覚えている限り、
もしかしたら大人になっても、時間の中でまぎれもなく生き生きと存在しつづけます。その人形がタンスの上に座っていたのを鮮やかに覚えているとすれば、
そこに別のものが置かれたとしてもタンスの上の空間はその人形の印象を保持しています。だからあなたは空間の中で肉眼で見えているものや、
時間の中でじかに目の前にあるものだけでなく、それがたとえ失せてしまったように思われても、
依然として自分の中でリアリティ現実でありつづけているものや出来事に反応するのです。
基本的にあなたは、自分についての、またリアリティ現実の本質についての思いを通じて、あなた自身の経験をつくり出しています。
これを理解する別の方法は、あなたは自分自身の期待を通して自分のリアリティ現実を創造しているということに気づくことです。
「感情のトーン」は自分自身や人生全般に対するあなたの感じ方であり、たいていあなたの経験の大きな領域を支配しています。
感情のトーンは全体的な感情の色合いを与え、あなたの身に起こることを特徴づけます。あなたとはあなたの身に起きていることそのものなのです。
感情はたいてい一時的なものですが、それらの根底にはあなた特有のものである一定の感情の質があり、

それは音楽で言えば通奏低音のようなものです。日々の感情が高まったり落ち込んだりしているそのすぐ下に、
そういうあなた独自の感情のトーンが潜在しています。それらはときどき、しかしかなり長期的な周期で表面化してきます。
感情のトーンは良い、あるいは悪いというものではありません。そうではなくて、それはあなたという存在のトーンであり、
あなたの経験のもっとも内奥部分の表れです。といっても、自分では気づけないとか、気づけないようになっているというわけではありません。
それらはただあなたが、自分の経験を形成する核を表している、という意味です。
あなたが自分の感情やそれらを表現することを恐れるようになってしまっているなら、あるいは内なる自己は野蛮な衝動の集積所でしかないと教えられてきたなら、
この深いリズムを習慣的に打ち消しているかもしれません。そんなものは存在しないかのように無視したり、打ち消そうとしたりさえするでしょう。
しかし感情のトーンはあなたのもっとも奥深い、もっとも創造的な衝動の表れです。それと戦うのは、激しい流れに逆らい、上流に向かって泳ごうとするようなものです。
そういう感情のトーンが、あなたの存在にしみわたっています。

それらは肉体と融合するときにスピリットがとる形態であり、そこから、それらの核から、あなたの肉体が生じているのです。
あなたが経験するあらゆることに意識があり、それぞれの意識がそれ自体の感情のトーンを与えられています。
あなた方の知る地球というものを成り立たせるには壮大な協力が必要で、
ありとあらゆる原子と分子に内在する感情のトーンから地球上の個々の生きた構造物が生まれています。
あなたの身体は、あなたという存在の内なる和音に応じてあなたのまわりに生じています。
そして地球の身体である木や岩、海、山なども、やはり原子と分子に内在する深い内なる和音から生じています。
そういう創造的な協力のもとで、物質化という奇跡があまりにすらすらと自然に成し遂げられるので、あなたはそこでの自分の役割に意識的には気づきません。
感情のトーンとは、動きであり、生地または素材であり、あなたのエネルギーのうち物質的な経験に当てられる部分です。
それは肉体としてのあなたの存在に流れ込み、季節、空間、身体、時間というそれぞれの切り口であなたを具現化させます。
けれども、その源はあなたの知る世界とはまったく関係ありません。いったん自分の内なる感情のトーンをとらえるようになると、
そのパワーや強さ、耐久力に気づくとともに、そのトーンに乗ってある程度まで経験のより深い本質に入っていくことができます。

物質的な経験における途方もない感情的な豊かさや多彩さ、そして壮麗さは、この内なる感情のトーンの物質的反映なのです。
感情のトーンはあなたの人生における出来事、全体的な内なる方向性、知覚の特性に充満しています。
それはあなたの人生のあらゆる面を満たし、解明し、そしてあなたが住まうにもっともふさわしい、主観的風土を大きく決定づけます。
感情のトーンはあなたの本質です。それは広範に及びますが、たとえば具体的な出来事を決定したりはしません。
それは経験という広大な「風景画」を色づける、あなた自身の尽きせぬ感情なのです。
言い換えれば、感情のトーンは純粋なエネルギーとしてのあなたの表れであり、そこからあなたの個性が、
つまり二つとない自分をまがうことなく与えられた「あなた」が生じているのです。
そのエネルギーは「存在」そのものの核、すなわち「すべてなるもの」に由来し、尽きることのない生命力の源を表現しています。
そうした「存在の」エネルギーとパワーのすべてが、あなたを通じてあなたの三次元存在の方に集中され、反映されているのです。
あなたの感情のトーンはほかならぬあなたのものですが、その表現の仕方は物質世界にフォーカス焦点を合わせているすべての意識に共通しています。

それらの観点からあなたは、他のあらゆる生き物や自然界の生きた構造物と同じように地球から生じているのです。
身体を持っているあいだは、あなたは自然の一部であり、それと隔たってはいません。木や岩はそれ自体の意識を持ちながら、
ちょうどあなたの身体の各部分と同じように、全体で一つのゲシュタルト意識を共有しています。
細胞も器官もそれぞれの意識を持つと同時にゲシュタルト意識を持っています。そして人類という種もまた個人としての意識と、
ゲシュタルト意識あるいは集合意識を持っていますが、あなた方一人ひとりはほとんどこれに気づきません。
そうした観点から、生物種の集合意識はアイデンティティーを持っています。あなた方は人類という種のアイデンティティーの一部でありながら、
なお唯一の、個別の、独立した存在でもあります。しかしあなた方は自ら望んだ程度に物質的なリアリティ現実に閉じ込められており、
あなた方の経験はその状況の範囲内のものに限られます。あなた方は物質的に存在しているので、物理的な法則あるいは前提に従います。
それらが物質的な表現のための枠組みになっているのです。その枠組みの範囲内であなた方は、自分の経験や個人的な人生のあらゆる面を、
つまり活気に満ちた世界の絵をまったく自由に創造することができます。あなた個人の人生と限られた範囲内でのあなた独自の経験が、
あなたがそういうものだと思っている世界を創造するのにひと役かっているのです。
わたしたちは、あなたの主観的な世界について、また個人的な出来事と共有される出来事を創造するに当たってのあなたの役割について話そうとしています。

けれども先に進む前に、あらゆる物理的現象の中に意識があることを知り、大自然における自分の立場をはっきり理解することが重要です。
自然は内部から創造されます。あなたが知っている個人の人生はあなた自身の内部から生じているけれども、与えられるものでもあります。
あなたは「存在」の一部でもあるので、その立場から、自分を通して実現している生を一定のやり方で自分自身にも与えているのです。
あなたが自分のリアリティ現実を創造しているのです。ほかに法則はありません。それを知ることが創造の秘訣です。
わたしは「あなた」のことを話してきましたが、それをあなたが普通、自分だと考える「あなた」、つまりエゴ自我だけと混同してはいけません。
エゴ自我は「あなた」のほんの一部分にすぎないのですから。といっても、エゴ自我はあなたの人格のうちで意識的な心の中身をじかに扱う専門家であり、
あなたの経験の物質的な部分ともっとも直接的にかかわっています。エゴ自我はあなたの大いなる自己のうち、高度に分化した部分です。
それは広大な「あなた」の人生をじかに扱うために生じている、あなたの一部です。けれども意識的な心がエゴ自我に暴走を許すと、
エゴ自我は切り離されたように感じ、孤独になっておびえます。エゴ自我と意識的な心は同じものではありません。
エゴ自我はその人のさまざまな部分から構成されています。

それはいくつもの属性が組み合わさったもので、絶えず変化しながらも一体になって働いている、人格のうちで世界をもっとも直接的に扱う部分なのです。
意識的な心はすぐれた知覚力を備えています。それは内側の気づきに属していますが、知覚する場合は外側の出来事の世界に向けられます。
魂は意識的な心を通して外界を見ます。放っておかれれば、魂は明確に知覚します。
ある意味でエゴ自我は目であり、意識的な心はそれを通して知覚します。あるいはエゴ自我はフォーカス焦点であり、意識的な心はそれを通して物質的現実を見ます。
しかし意識的な心は一生を通じてそのフォーカス焦点を自動的に変えていくので、エゴ自我はそれ自体にとって同じものに見えるのに絶えず変化しています。
ただ意識的な心が一つの方向に固執したり、自らの役割をエゴ自我に負わせたりしたときには問題が起きます。
そうするとエゴ自我は、意識的な心を決まった範囲内でしか機能させなくなり、それ以外の気づきを遮断してしまうのです。
そのようにしてあなたは広大な自己から、あなたの知っているリアリティ現実を創造しています。
深遠な叡知を持つあなたの大いなる自己がこの物質世界で歓喜にあふれて表れるように、
意識的な心を澄ませつつ、喜んで生き生きとリアリティ現実を創造することがあなたの義務です。

章を終えましょう。口述終了。

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