セスブック 個人的現実の本質 第2章リアリティ現実と個人の観念 その1
口述を再開しましょう。
あなた方は、観念と期待によって経験の構造をつくり上げています。
自分自身や、リアリティ現実の本質についての個人的な概念は、あなたの想念や、感情に影響を与えます。
あなたは、自分がリアリティ現実について、信じていることを真実と見なし、それらを、あまり疑おうとしません。
それらは、わかりきったことに思われます。あなたには、それらが、調べてみるまでもない、
あまりに明白な事実のように見えるのです。したがって、ほとんど何の疑いもなく受け入れてしまいます。
それらを、リアリティ現実についての自分の観念と、認めるのではなく、現実、そのものの性質と見なします。
そのような、観念は、たいてい疑う余地のないものに見え、あまりに、自分の一部となっているので、
その正当性を、改めて問おうとはしません。それらは、目に見えない前提となっているのですが、
やはりあなたの、個人的な、経験を、色づけたり形成したりしています。たとえば、ある宗教的信条を、
疑いもなく、事実として、受け入れている人々がいます。しかし、一方では、自分の観念について、
宗教的な、文脈の中では、比較的容易に、自覚するものの、他の領域ではまったく、気がつかない人もいます。
宗教や、政治、その他それに類する事柄に関しては、自分の観念に容易に気づけるでしょう。
けれども、自分自身について、自分が、誰で、どういう人間で、あるかというもっとも根底的な観念を、
特に実際の人生と、結びつけて正確に見極めるのは、ずっと困難です。たいていの人は、自分自身や、
リアリティ現実の、本質について、自分が抱いている観念に、まったく気づいていません。
あなた自身の、意識的な考えが、すばらしい手がかりを、与えてくれます。頭に浮かんだ考えを、
ほかの普通に、受け入れられている概念と、一致しないからといって、受け入れようと、しないことがよくあります。
あなたの意識的な心は、常に明確なイメージを与えようとしていますが、あなたは、この情報を先入観によって、
頻繁に締め出しています。現代では、個人的な、問題や、トラブルを、潜在意識のせいにすること、
つまりそこに、咎められるべき得体の知れない、遠い昔の出来事が、しまわれているという考えが、よく見られます。
この国の人々は、数世代にわたり、意識下の部分は信頼できないと、信じて育ちました。潜在意識には、
ネガティヴなエネルギーが満ちあふれ、忘れてしまうべき、不快な過去が、封印されているだけだというわけです。
彼らは、意識的な心は、比較的に無力であると、そして成人後の経験は、幼年時代に定められると、信じて育ちました。
こういう概念は、それら自体、不自然な壁を生じさせます。そのせいで、人々は、「潜在意識」、の中身に、関心を、
持つべきではないということを、悟りました。内なる自己への扉は、きっちりと閉ざされているべきでした。
それを、開けることができる、または、開けるべきだとするのは、長々しい精神分析だけで、普通の人々は、
そのような領域など放っておく方が、いいと考えていました。それで、自己のそれらの部分を、断ち切ることで、
自然に、湧き上がる喜びに対しても、障壁を打ち立てることに、なってしまいました。そうして人々は、
自身の、リアリティ現実の、核から切り離されたと感じていました。原罪という概念は、とても貧弱で、
制限のある歪曲されたものでしたが、少なくとも、それによって手続きはかなり単純になりました。
つまり洗礼によって、救われるかもしれないし、一定の言葉や、神聖な儀式によって、しょくざいの道が、見つかるかもしれません。
けれども、「けがれた潜在意識」、という、概念は、そのような、比較的に、安易な解決法を、人間に残してはくれませんでした。
考慮に値するわずかな儀式も、長年の分析を要し、それを、経験する特権を、与えられたのはとても裕福な人々だけだったのです。
不快な、潜在意識という概念が、強力に浸透したのと、ほとんど同時に、魂という、概念は、どこかへいってしまいました。
その結果、何百万人もの人々が、自分は、魂という概念を奪われ、明確に悪とはいえないまで、もひどく、当てにならない、
潜在意識という概念に、苦しめられているという、リアリティ現実を、信じ込んだのです。彼らは自分自身を、
不本意な成り行きによって、荒れ狂う波間に、無防備で危なっかしく漂う、ぽつんと、孤立した傷つきやすい、
エゴ自我だと見なしました。
同じころ多くの、知識人たちが、組織的宗教でいうような、神という概念や、天国と地獄という、考えは、歪曲された不当な、
子どもの、おとぎ話じみたものだと、いうことに気づきました。そういう人々にとって、救いを求めるところは、なくなりました。
そういう状況において、自分の内側を、見るなどということは無謀な行為だと思われるように、なっていたのです。
というのは、彼らは、そもそも自分の内側にこそ自分たちが、抱える問題の原因があると、教えられていたからです。
セラピーを受ける、余裕のない人々は、野蛮で幼稚な、感情に飲み込まれてしまわないように、内なる自己からの、
どんなメッセージも、懸命に押さえつけようとしました。しかし、何よりもまず、自己には、限界も分割もありません。
もっとも、話を進める便宜上、ここでは「エゴ自我」、のような言葉も使うかもしれません。なぜならあなたが、
それが、意味すると思うものを、理解しているからです。あなた自身の、一見無意識の部分は、実はとても頼りになります。
後でわかってくるように、あなたはますます意識的に気づけるようになり、自分自身のはるかに、広大な部分を自分の意識の中へともたらします。
あなたは絶えず息をし、成長し、無数の微細な活動を行なっていますが、自分が、どうやってそのような、巧みな操作を成し遂げているのか、
意識的には気づいていません。驚異的な、その身体の気づきを、肉体と時間の世界で、どのようにして保ちつづけているのか、
自覚することなく、生きているのです。あなた自身の無意識のように、見える部分が、空中から原子と、分子を、引き寄せ、あなたの姿を、
形づくっています。あなたの唇が動き、あなたの舌が、あなたの名前を言います。では、その名前は、唇や舌の原子、あるいは分子のものでしょうか。
原子と、分子は、休みなく活動し、細胞や組織、器官を形成しています。どうして舌の言う名前が、分子や原子のものでありえるでしょう。
それらの、原子や、分子は、読み書きなどしないけれども、複雑な音節を発音し、単純な感情から、ひどく込み入った情報まで、何でも、
あなた自身に、似たほかの存在に伝えます。一体、どうやっているのでしょう。舌の原子や分子は、自らが話している、言語の、文章構成法を、
知りません。あなたも、一つの文を話しはじめるとき、それをどう終えるか、意識的に、これっぽちも考えていません。
けれども、それらの言葉が意味をなし、自分の言わんとすることが、たやすく出てくると信じ込んでいます。こういうことが起こるのはすべて、
あなたの、存在の内なる部分が、自然に楽しく自由に作用しているからです。つまり、たとえあなたが、自分の内なる自己を信頼していなくても、
内なる自己の方はあなたを、信頼しているのです。あなたの、存在の無意識部分は、あなた自身が、しょっちゅうそれらの性質や働きを、
ひどく誤解するにもかかわらず、また、あなたの思い込みが、激しく妨害するのを、ものともせずに、驚くほど、うまく作用してくれます。
それぞれの人が、ほかの誰とも、異なる自分だけの、リアリティ現実を経験しています。そのリアリティ現実は、あなたの思考や感情、期待、観念、
などからなる、心象風景が外側に表れたものです。内なる自己が、あなたのためというよりはむしろ、あなたに不利に働いていると思うなら、
あなた自身がそれの働きを、妨害している、ということになります。もっと正確に言えば、あなたは、あなたの思い込みによって、内なる自己に、
無理やり一定のやり方で、機能させようとしている、ということになります。意識的な心は、物質的なリアリティ現実における、あなたの立場について、
明確な判断を下すように、なっています。それを、誤った観念が、しょっちゅう妨害します。というのは、自己本位に抱かれる観念は、
意識的な心の明確な洞察力を、曇らせてしまうからです。
あなたの観念は、あなたを取り囲む囲いのようなものと、いえるでしょう。まずそのような、障害物の存在に気づかなければなりません。
それらを、知る必要があります。さもなければ、あなたが、自由でないのは単に囲いの向こうを、見ようとしないからだということに、
気づきさえしないでしょう。その囲いは、あなたの経験の限界を、表わしています。けれども、知覚に対する見せかけの障害物を、
打ち壊し、誤った妨害をする考えを、おのずと突き抜ける発展的な観念があるのです。
自己は制限されない。
これは事実を述べたものであり、あなたが、信じる信じないにかかわらず、その事実は存在します。
これに続いてもう一つ、
自己には限界もないし、区分もない。
あなたが、経験する限界や区分は、誤った観念の結果にすぎません。
次はすでに述べた概念です。
自分のリアリティ現実をつくっているのは自分自身である。
あなた自身を、そしてあなたが誰であるかを理解するには、自分についてのあなたの観念は、さておき、自分自身を、
じかに経験できるように、なればいいのです。ここで、わたしは、それぞれの読者にまず静かに座ってもらいたいと思います。
そして目を閉じてごらんなさい。自分の内部で、わたしが前に話した、深い感情のトーンを感じてみましょう。
これは難しいことではありません。感情のトーンが、あるということを知っていれば、あなたに、内在する奧深いリズムに容易に気づけるでしょう。
それぞれの人が、そのトーンを自分なりに感じればいいので、どんなふうに、感じるべきかということは、問題ではありません。
ただ感情のトーンが、存在すること、そしてそれらは、肉体を、つくり出すあなたの偉大なエネルギーによって、構成されていることを、
自分自身に告げてください。それから自分自身に、経験させましょう。瞑想のような用語に慣れているなら、こうしている間、そうした言葉を、
忘れるようにしてください。どんな名称も使ってはいけません。自分を、固定概念から解き放ち、自分自身の存在と、そして、生命力の流れを、
感じるのです。「これで合っているのか。わたしは、ちゃんとやっているだろうか。感じるべきことを、感じているだろうか。」などと問わないこと。
これはあ、なたにとって本書の最初のワークです。
ほかの人々の尺度を、使うべきではありません。あなた自身が、感じること以外に、基準はないのです。時間制限は、特にありません。
きっと楽しい経験に、なるでしょう。起こることは何でも、ほかならぬ、自分自身のものとして受け入れてください。
このワークを、通してあなたは、自分に触れ、自分自身に戻ります。不安になったり動揺したりしたときはいつでも、
少し時間をとって、自分の内部で、この感情のトーンを感じてごらんなさい。そうすれば、あなたは、あなたという存在の中心に、陣取る、
確たる自分を、実感することができるでしょう。このワークを何回か試したら、あなたから、あらゆる方角に打ち出されるそれらの深いリズムを、
それらが打ち出されるままに感じてください。リズムは、あなたの身体を通り、電磁的に放射状に発せられます。
どんなふうにかは、のちほど説明しますが、それらは、まさにあなたの身体イメージを形づくるのと同様に、あなたが、認識している環境をも、
形成しているのです。「自己は制限されない」、と、わたしは言いましたが、あなたはきっと自分の「自己」は皮膚が空間にふれるところで、終わるのだと、
つまり自分は、皮膚の中にいるのだと、思っているでしょう。けれども、あなたのまわりの環境は、あなたの自己の延長部分なのです。
それは、あなたの経験体であり、物理的形態として、結実したものです。内なる自己は、あなたの指や目をつくるように、確実に、そして自動的に、
あなたが、思い描く像を形づくっていきます。あなたの環境は、あなたの考えや感情、観念が、目に見える物質像として、顕在化したものです。
考え、感情、観念は時空間を通り抜けるので、あなたは、自分と一体ではない物理的状況にも、影響を与えています。
あなたの身体の、見事な構造を、物質的な観点から考えてごらんなさい。あなたは、それをほかのすべての物体と同様の固体と見なしています。
けれども、その物体は、詳しく調べれば調べるほど、器官、細胞、分子、原子、電子、などという、特定の形状をとるエネルギーに、
ほかならないということが、明らかになってきます。それらは次第に、物質そのものではなく、それぞれが物体を形成する神秘的な、
ゲシュタルトだとわかってくるのです。あなたの体内で原子は、回転し、絶えず活発に動いています。とても密で堅固に見える身体も、
実は高速で動き回る粒子から、構成されていることがわかるでしょう。それらはたいてい相互に、回転し合って頻繁にエネルギーを交換しています。
身体の外側の空間も、構成比率は、異なるものの同じ要素で構成されています。あなたが、身体と呼ぶ構造とその外側の空間とのあいだには、
たえまない物質的な交換があります。それは化学的な相互作用であり、あなたの知るどんな生命にも、欠くことのできない基本的な交換です。
息を止めていたら死にます。呼吸は、あなたの身体感覚のうち、もっとも個人的で不可欠なものを表しています。それは、「あなた」、であるものから流れ出て、
「あなた」でないように見える世界へと、手渡されなければなりません。物理的にいうとあなたの一部が、絶えずあなたの身体から出ていき、
外部の元素と混ざり合っているのです。アドレナリンが血中に放出されると、どうなるか知っているでしょう。そもそもアドレナリンはあなたを駆り立て、
活動に備えさせる分泌物です。しかし、アドレナリンはあなたの身体の内部にだけ、とどまっているわけではありません。
変容し、空中に投じられて大気に影響を与えます。あなたの、どんな感情もホルモンを発し、それらもまた、呼吸と同じようにあなたから出ていきます。
そしてその点で、あなたは化学物質を空中に放ち、そしてそれが大気に影響を与えているといえます。嵐や暴風雨も、そのような相互作用に、
よって引き起こされます。くり返しますが、あなたが自分自身のリアリティ現実をつくっているのです。天候もその一つで、それは、あなた方一人ひとりの、
反応がひとまとめになった結果です。この点に関しては特に後でもっと詳しく話しましょう。あなた方が、肉体を持ってこの世に存在しているのは、
自分のエネルギーが、感情や想念に変換され、すべての経験を、引き起こしているのだということを悟り、理解するためです。
それ以外の理由はありません。いったん、このことを理解したら、自分の観念の性質を調べさえすればいいのです。あなたの観念が自動的に、
あなたに、ある方向性をもって感じさせたり、考えさせたりしているのですから。感情が観念についていくのであって、逆ではありません。
いくつかの、領域にある自分自身の観念に気づいてください。あなたが事実として受け入れているどんな考えも、あなたが抱いている、
観念だということを知る必要があります。そして次に、「たとえ、わたしが信じていようと、必ずしも、それが事実だとは限らない、」と言ってください。
わたしは、あなた方に、本質的な制限を意味する観念を、すべて無視するようになってほしいのです。さて、観念の発生の原因のいくつかについては、
後で論じるつもりですが、さしあたってただ自分の観念を、知るように努めてください。経験に制限をかける誤った観念の例を、いくつか挙げてみましょう。
それらのどれかに共感していることに気づいたら、それこそあなたが、取り組むべき領域だと認識してください。
1.人生は悲哀に満ちている。
2.肉体とは低俗なものである。それは魂の乗り物としておのずと格が劣り、汚れている。肉体は、もともと邪悪なものであり、
肉体が、持つ欲望も間違ったものだと、あなた方は考えているかもしれません。キリスト教徒たちは、魂が肉体に降下したと考え、
身体を嘆かわしいものと思っています。「降下」、とは必然的に、より高い、より良い状態から、より低い状態への変化を意味します。
東洋の宗教の信者たちも、また肉体を否定し、それをいわば超越した、何も欲しない状態(たとえば道教では、「無」)、になることが勤めだと考えます。
彼らは、表現は違えど、地上の経験は、それだけで好ましくないものと信じているのです。
3.自分でコントロールできない状況を前に、わたしは無力だ。
4.自分の性格や個性は、幼年期に形成されたものであり、わたしは自分の過去に左右されている。
5.わたしはいま、支配力のない過去世の出来事の、なすがままなので無力だ。わたしは、過去世で他の人々に不親切な仕打ちをしたために、
罰せられるべきだ、あるいは自分を罰しているところだ。カルマのせいで、わたしは、自分の人生のネガティヴな、面を受け入れなければならない。
6.人は基本的に悪いものであり、わたしをやっつけようと躍起になっている。
7.わたしは真理を知っているが、それを知っている人はほかには誰もいない。あるいは、わたしの属する団体や、組織には真理があるが、ほかのグループにはない。
8.年をとるにつれ虚弱になり、病気がちになり、パワーを失う。
9.わたしの存在はわたしの身体次第だ。肉体が滅びれば、中にある自分の意識も死ぬ。
以上は、かなり一般的な「誤った観念」、の、リストです。
さて、次にもっと個人的な観念の具体例を挙げましょう。
あなたも、それらのどれかを自分自身について抱いているかもしれません。
1.わたしは病弱だが、いつもずっとそうだ。
2.お金には、どこか間違ったところがある。裕福な人は欲が深く、貧しい人より霊性が低い。お金持ちのほうが不幸だし俗っぽい。
3.わたしは、創造性に欠け、想像力がない。
4.わたしは自分の望むことを、けっしてすることができない。
5.わたしはみんなに嫌われている。
6.わたしは太っている。
7.わたしはいつも不運な目にあう。
これらは、すべて多くの人々が抱いている観念です。それらを抱いている人々はそれらなりの経験をします。そのためいつも、物理的な事実が、
あなたの観念を裏づけるように見えます。しかし実際には、観念がそのリアリティ現実をつくったのです。わたしたちは、そのような制限のある観念を、
打ちくだこうとしているところです。最初に、はっきり理解しなければ、ならないのは、だれもあなたに、代わってあなたの観念を、変えることはできないということ、
そして観念が、外から押しつけられることは、ないということです。けれども知識と応用力を使って、あなたは、自分のために観念を変えることができます。
まわりを、見てごらんなさい。あなたの、物理的環境のすべてはあなたの観念が、物質化したものです。喜びや悲しみの感覚、健康あるいは病気、
それらもすべてあなたの観念によって引き起こされます。ある状況がきっと自分を不幸にするだろうと、思っていればそうなっていくでしょうし、
その不幸が、さらにその状況を強化することになります。あなたの内部には、リアリティ現実や自分自身についての考えを変え、自分や、
ほかの人々に、対して果たす個人的な経験を、創造する能力が備わっています。自分についての観念に、気づくたびに書き留めてください。
後でそのリストを、いまは思ってもいない方法で使うことができます。
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