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小学校のエアコン設置問題はまず腹をくくることから始めないといけない

昨今、問題になっている熱中症。

そして、その度出てくる小学校のエアコン設置問題。

数年前にも熱中症で無くなった事件があるも、今年も熱中症で幼い命が奪われた。

なぜ、これほどまでに問題はなくならないのか。一般市民には理解しがたい力学が教育現場にはあるのだと思わざるをえない。

もちろん、エアコンを設置すれば解決するのか、というものでもない。

つまり、子供を熱中症から守るには、社会全体で腹をくくって、根深い問題を取り組む、という覚悟が必要なのだと思う。

わたしのような素人が思いつくだけでもこれだけある。

・子供が卒業してしまえば親も関心が無くなってしまい票田につながりにくい。ただでさえ少子化で関心を抱く票が少ない。

・根性論や精神論など、根強い我慢論者がかなりの数いる。

・小学校は学校によって設備がかなり異なり、小学校によっては校舎を建て替えたほうが良いくらいの学校まである。見積もりを依頼するだけでもかなりの調査料になる場所も。

・それなりの数のエアコン可動になるため、相当の維持費の予算を覚悟する必要がある。もちろん、これは命には変えられない、もしくは何かのときの補償額を考えれば安いものなのだろうが。

・子供は減り、だんだんと老人が増えていく。そういう世の中で回しにくい予算配分。

・現場でも設置までは、もしくはエアコンが設置できないときの特別対策を考えるなどのときも、明らかに増える現場のオペレーション。そしてそれに予算はつなない。また、授業数を勝手には減らせない、もしくは行事の移動などが簡単にはできない教育カリキュラム。

・教育行政は聖域のような雰囲気があり、これまでも指導要領の改定こそあっても、行政などのあり方はあまり変わっていない気がする。何かの力学や政治絡みの課題の内在の可能性。

・でもたぶん地球温暖化とかで、今後も、猛暑はおさまるどころか増加傾向のはず。

ざっと思いつくだけでも、これだけのことを解決して、前に進むだけのパワーが必要なのだと気づく。ここでも、教育行政や校舎など古き時代に作られた制度疲弊が垣間見られる思いだ。

もちろん、命とは測りにはかけられないのだが、それでも当面は親や当事者が自衛するしかないのが現状なのだと思う。悲しいけれど。

・教育行政を変えるために声を上げ続ける、そういう党に票を投じ続ける。

・先生に少し怒られたとしても、子供が主体的に自衛する行動をさせるくらいの覚悟を、親も持つ。

すぐにできる対策としては、小市民にはこれくらいしか思いつかない。

ところでこういう問題は、こういうのはトップが声を上げないと現場は動きづらいのですよね。でもトップも、どうも教育に言及する事例は過去にあまり見たことがない気がするんですよね・・・。

なので、声を上げることも大切だけど、現実問題としての自衛もしないといけない・・・。

悲しいけれど。

この記事は吉田喜彦個人が書いています。