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「普通の障がい者」を描きたくて

もうずいぶん昔の話、人生で一度だけナンパらしきものをしたことがある。

土曜日、その頃毎週のように買い漁っていたCDを物色した後、昼飯に立ち食いそばでも食べようか、と、駅前をぶらついていた。

その時、ベンチに養護学校時代の先輩がいるのをみかけた。先輩はほとんど会話はできなかった。だから首から下げた五十音順の書かれたシートを一文字一文字、指先でさすことで、まわりとのコミュニケーションを取っていた。脚も硬直が強いので、電動車いすが移動手段。手も脚とおなじような感じなので、食事は介助が欠かせなかった。

その先輩はその時、女の子数人に囲まれていた。学生のボランティアだと、すぐにわかった。先輩の隣に座っていた女の子が、笑顔で先輩にジュースを飲ませていた。

私は車いすを反転させた。そして「先輩、お久しぶりです」と挨拶した。いかにも親しげにだが、養護学校時代、私と先輩はそんなに親しい間柄ではなかった。卒業後は実際疎遠で、この時会ったのはかなり久しぶりだった。

私は先輩への挨拶をすますと、すぐ女の子たちに話を向けた。聞くとやはり学生のボランティアだった。社会福祉関係の学部に在籍していて、ハンディを持つ方々といろんなお話をさせてもらってるんです、とのこと。

それならおれとも話そうよ、とでも言ったか、詳しい会話は忘れたが、当時ひたすら彼女が欲しかった私は、これはチャンスだとばかりに必死にしゃべった。そしてこれからみんなでカラオケに行こう、という流れにまで持っていった。先輩が眉をしかめて私をみているのに気づいていたが、無視した。

近くにあるカラオケボックスに入った。当時流行っていた小室ソングやらシャ乱Qやら、皆で歌いまくった。飲み物もフードメニューもどんどん頼んでおごるから、と、金もそんなにないのに気前いいことをいってみんなをとにかくはしゃがせた。

そうしているうち、女の子たちのなかのひとりが気になってきた。最初に先輩にジュースを飲ませていたひとだった。身も蓋もないことをいうと、メンバーのなかでいちばん可愛いと感じたのだ。

私は彼女にひたすら話しかけた。なにを言って、なにを話してくれたか、これもすっかり忘れたが、なかなかに盛り上がった。ほかの女の子たちは先輩に気を使ってか、なにが歌いたいですか、とたずねていたが、発声のできない先輩は首を振るばかりで、黙々とジュースを飲んでいた。機嫌がよくないのはすぐにわかったが、私はやはり無視した。

カラオケが終わった。私は先輩や友人たちと帰ろうとする彼女を、送っていくからふたりで帰ろうと無理やり引き留めた。押しに負けた彼女は友人たちに断りを入れ、私の車に乗った。

彼女の住んでいるアパートは、車で十分そこそこの距離だった。私は楽しかったね、などと言った後、はじめて顔をひきつらせながら、連絡先を教えてもらえませんか、と訊いた。

彼女は、あー、と困惑そのものの声を出してから、すみません、わたし、お付き合いしてるひとがいて、と答えた。あっさりと。

それからはもう、私も彼女も無言だった。というより、わかりやすく落ち込んだ私が黙り込んだ。あっという間に彼女のアパートに着き、別れた。それからはすぐ家に帰って、ゲームかなんかして、飯を食って、風呂に入って、CDを聴き流して寝た。いつも通りの、味気ない週末の夜だった。

もちろん、それ以来彼女とは会っていない。どこでなにをしているのかも知らない。

今から、二十年以上前の話である。

この記事は本来、先日連載終了した「ふたりだけの家」のあとがきを書くつもりで筆を取った。

でもなぜか気がつくと、先に書いたような若気のいたりとも呼べない恥と、眉をひそめられるような人間性をさらしていた。

こんな話は、私のなかでいくらでも転がっている。太宰治ではないが、恥の多い生涯を送ってきました、というやつだ。

障がい者が聖人君子のように、心清いひとたちだ、という幻想を信じているひとは、もうだいぶ少ないだろう。

ネットで「障がい者 性」と検索すれば、いくらでも赤裸々な告白が出てくる。障がい者が発信しているSNSもあまたあるし、このご時世だから車いすのユーチューバーも幾人もおられ、自分のありようを語っている。テレビ、映画、漫画、書籍、ドラマでも美しくもあり醜くもある障がい者の姿が描かれている。いまだにかつての「理想の障がい者像」を描いた雰囲気のものもあるが、そういう障がい者の幻想を砕くようなものの方が増えているし、求められている気もする。

その点では、昔よりずいぶん変わったな、と心底思う。もちろんいい意味で、だ。

だが、ここまで書いてなんだが、私自身はあまりそのようなものに積極的にふれてこなかった。もちろんまったく、ではない。目にしたものには胸揺さぶられたものもあるし、こんな思考のひともいるのか、と、おなじハンディを持つ者なのに別世界にいるように思えたひともいた。

それでも、メディアなり書籍なり、SNSで発信されているそういった障がい者の方々の姿を、目を皿にしてみてきた方とはいえないと思う。

なぜだろう、とそんな自分がずっと不思議ではあった。なぜあまり近づく気になれないのか、と。

それが最近になって、ようやくわかってきた。

私がみたいのは、描きたいのは、そして私自身や私のまわりにいるのは、みな「普通の障がい者」だからなんだ、と。

障がい者に「普通」といい枕詞はあまりつけないだろう。私も書いていて違和感はぬぐえない。だって障がい者は歩けない。話せない。聴こえない。見えない。ない、ない、ない…。いくらでも出てくる「ない」の持ち主が「普通」とは言わないだろう、普通。

だが、そうなのだ。先に書いたようなメディアに取り上げられたり、世界で活躍するパラアスリートだったり、SNSで発信したりするようなひとたちは、私たちからみたら全然「普通」ではない。どうしてこんなことができるのだろう、という特別な対象なのだ。障がい者のなかの、選ばれし者たち、といったところだろうか。

そんな彼ら彼女らを、私たち「普通の障がい者」は、羨望や尊敬、あるいは嫉妬のまなざしでみている。パラアスリートの活躍を応援し、障がい者が出てくる映画に感動し、書籍に衝撃を受け、SNSでの発信に感心する。そうした後テレビを消し、映画館を出、ネットや本を閉じる。

そしてまた、それぞれの普段の自分たちの暮らしに戻る。眠い目をこすって目を覚ます。尿道にカテを入れ、長い排尿をする。いつもの朝飯を食う。仕事のあるものは気の乗らないまま向かう。体調の悪いものは病院に行き、どっさりと薬を受けとる。日が暮れて仕事をすませ家に戻る。やはりいつものコンビニ飯を食う。バラエティに笑いながら酒を飲む。酔って寝る。

かつての私のように恋人がほしいと思う。マッチングアプリに登録してみようとするが、自分のからだを理由に二の足をふむ。出かけたいが、手伝ってくれる家族がみな留守なので、しかたなくひたすらテレビをみる。外出できるひとはふらふらとコンビニに行く。たまに車でドライブに出かける。楽しみだったパチンコやカラオケや飲み会はこの状況だから行けない。会いたいひとにも会えない。会いたいひとすらいない孤独なひとだって、もちろんいる。

こんな毎日こそが多くの、私を含めた「普通の障がい者」の日常。ドラマティックでも華やかでも、激烈な感情の揺らぎも少ない日々。なにごともなく過ぎ去っていく時間。

だが私は、そんな「普通の障がい者」の姿をこそ描きたいのだ。

私たちにはまわりを驚愕させるような才能も、ありあまる知識も、世を変えようなんて意欲もない。

でも、そんな私たちにも、ふっと「なにか」が入り込む瞬間がある。

長い冬をこらえ芽吹く木の芽。満開に咲き誇る桜。夏の日差しの元で食べるアイス。ため息の出るような紅葉。静かにあるいは荒っぽく降り積もる雪。

家族や友人、恋人といった、愛するひとたちとかわす笑み。涙、喜び。あるいは怒り、悲しみ。わかりあえないやるせなさ。

「普通の障がい者」におとずれる、そんな一瞬の、小さくはかない閃光、暗闇、歓喜、絶望。

私たちとは、そういう存在だ。

そんな私たちの姿を、ずっと描いてきた。多分あまり残されていない時間でこれからも描けていくだろう。

そんな一瞬をとらえ、描き、それをみた誰かのなにかをわずかでも動かせたら。

もう、いつ死んでもいい。

私は、本気でそう思っている。

以上をやや無理やりだが、「ふたりだけの家」のあとがきにさせていただきたい。

これまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。これから読んでみようとお思いの皆様、どうかよろしくお願いいたします。

最後に。

先輩とはそれからも時々、駅前で鉢合わせすることがあった。だが挨拶しても無視された。他人とばかりに脇を電動車いすで脇をすり抜けていった。当然の報いだ。私も先輩だったらそうする。

先日もみかけた。白髪も皺も増えたが、あのときからあまり変わりはない。相変わらずボランティアの女の子と出かけている。もう話しかけることはないだろう。でも、できるだけ長くその電動車いすを駆る姿をみていたい、女の子と楽しくいてほしいと願うのは「普通の障がい者」である私のエゴだ。



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