絵の中の女性はだれだったの!?
絵の中の女性は誰?! 誰 誰だったの!❓
乙巳の変って 変ですよ。
上の絵をよ~~く見てほしい。
これは、談山神社の祭神、藤原鎌足(614-669)の伝記をまとめた多武峯談山神社の縁起絵巻のデジタルデータとして公開されています。
蘇我入鹿は、天皇が座る一段高い御座に居たのです。彼は皇極天皇だったのです。
乙巳の変の関係者の墓はフェニックスコードで特定できている
藤原鎌足の墓は、鎌足公古廟から東南東14.88㎞の場所に移されている。
おそらく第50代桓武天皇の命で動かされたと私は思っている。
その藤原鎌足の墓から天智天皇の墓までは36.52㎞であり、斉明天皇の墓までは38.16㎞であり、凡そ同距離で二等辺三角形を描いている。
斉明天皇が最初に産んだ子は、大海人皇子(天武天皇)であり次が漢皇子(役行者)。 二人の父親は、蘇我入鹿である。
斉明天皇が次に産んだ子が、中大兄皇子(天智天皇)。その次が中臣鎌足(藤原鎌足)である。この二人の父親は、杉山古墳に眠る百済の31代、最後の王、ウィジャ(義慈王)であり舒明天皇である。
その義慈王と斉明の間に生まれた子が豊(豊璋)であり中大兄皇子(天智天皇)。
その弟が勇(百済王善光 くだらのこにきしぜんこう)であり、中臣鎌足(藤原鎌足)である。そして舒明天皇との間にもう一人、女の子を授かっている。
斉明天皇は重祚していない。蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に殺された時、彼は皇極天皇だった。
・・と言うことで、絵の中の女性はだれ!❓ 分かりますか。
つづく
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