この世の汚いことは、純粋な欲求の表象

社会が汚い的な話をよく聞く。代表的なのが、性生活とか、利権問題とか。
何で不倫なんてするんだろう、とか、目下の人に優しくできないのかな、とか小学生の時に思っていた。

小学生の時は、純粋だった。夕焼けは綺麗に見えたし、スーツの人間がいない公園を走り回っていた。”汚い”大人はテレビの画面の中にしか存在していなかった。

だから、いざ社会の入り口にたつと、初めてリアルを感じる。
大人って”汚い”と。社会って”汚い”と。

しかし、そんなこともないのかもしれないと感じる。

みんな結局、代わりはいる

資本主義社会というのは、効率的に社会が動くようにできている。最大多数の最大幸福である。しかし、そうなるとどうなるか、というと、みんな最大多数であろうとする。

すると、豊かに生きてはいけるけれど失っていくものがある。
アイデンティティだ。

結局みんな、同じようなコンビニやチェーン店のご飯を食べ、同じ電車に乗り、同じスーツを着る。同じようにエクセルを叩き、同じ瞬間にコピー機の前で腕組みをして印刷を待つ人間は、日本のどこかに何百人もいるわけだ。

だから、「お前の代わりなんていくらでもいる」なんて言葉も言われてしまう。個性がなくなっていく。あなたが、あなたであることを証明することはすごく難しい。

それでも自分が選ばれる喜び

だから、「あなたが好き」と言われると嬉しい。
同じようにユニクロの服を着て、セブンでお昼ご飯を買い、iPhone8を使っている自分のことを、”特別”だと認めてくれることは現代では代え難い喜びとなる。

きっと、あの大御所俳優だって、ある会社役員だって、寂しかったのだ。
年を重ねると、どんどんと興味をもたれない。代わりがいくらでもいる。家族にも飽きられてくる。「あなたが好き」なんて、何年も聞いていないはずの人間なのだから。

だから、大人は不倫だったり、してしまうのかなぁ。

純粋な欲求が、”汚い”行動へ

「好きと言われたい」「すごいと言われたい」という純粋な、子供のような欲求が、不倫やパワハラを引き起こしているのかもしれない。

承認欲求なんて難しいこと言わず、「あなたは私にとって特別だよ」というセリフは本能的に人を惹きつける。

時に犯罪とされてしまうかもしれないけれど、そんな愚かな人間の一面が、たまらなく愛おしく感じる瞬間がある方、集まってください。
aikoを聞きましょう。aikoを聞くのです。

汚いこと抜きで、純粋だから。

先日、自宅の猫の首輪がボロボロになっていることに気づきました。サポートしていただいたら、猫の首輪にして、noteに投稿します。