感情論は悪なのか

思考のメモメモ

感情論か悪なのか。よくtwitterなどで議論される、vs感情論の話。
往往にして、感情論は悪として描かれていることが増えた気がする。それ感情論じゃんって言われたら負け、みたいな。

論理は感情と切り分けることができない

感情だけで動くと、もちろん大変である。やりたい放題、法律を犯すことだってどんどんしちゃうことになる。人には「理性」があり、それによって、この社会は成り立っている。「理性」なき世界は混沌だとしている。

Amazon創業者のジェフ・ベゾスは『人は感情では動かない。仕組みでのみ動く』という発言をしているが、周りの労働者を見ていてそれは思う。
大きな会社で性善説的に設計している組織はかなり少ない。
遅刻は評価点の減点や減給じゃないと止まらないし、自分で仕事を生み出す人間はそんなにいない。

しかし現実問題として、感情は0にできないし、むしろ思考を増大させる。
行動経済学者の研究で、『正当な意見と、不正当な意見を見分ける能力は、感情が高ぶった時に、高まる』という研究をしていた。
確かに議論が盛り上がると、少し感情的になるが、それが合理的ではない発言を産むかというと、そういうわけではない。論理的思考は感情によって高まることもある。人というもは面白いなぁ。

人は論理的思考の中にも、感情を持つし、それを完璧に切り分けることはできない。

感情はすごい

僕自身は、感情論を別に悪いと思っていなくて、むしろ人間の行動の源なので、すごいパワーがあるというか。

アイドルが好き、だから数万どーん。
こんな感じで、感情というのは人を大いに動かす。
特にアイデンティティに関わるようなことは、人の感情を強く揺さぶるので、めちゃくちゃ突き動かすことがある。
ナチスだったり、恋愛だったり、親についてだったり。

人の感情をどう設計するか、ということはすごく面白いし、上に立つ人間なら一度は悩むこと。
人の感情を目指す方向に向かせたら、とてつもないパワーを発揮する。
組織の採用において、その人のやりたいことだったり、組織のミッションとマッチするかをチェックするのはここが大きく絡んでいる。

人間の感情の生み出すパワーは凄まじい。
時に革新的な物を生み出し、時に人を殺すほどの悲劇を産むほどに。

なぜ感情論は悪なのか

感情は常に自分の中にいる。ある意味で生まれた時から付き合わなければいけない親友である。なぜ、感情論は悪として描かれるのか。

一つ、これかな、と思うのが、
「感情論は悪ではないが、他人を受け入れず否定する感情論者が悪とされる」
ということである。

理論・主張に色はない。白かもしれないし、黒かもしれない。いいことを言っているかもしれないし、間違っているを言っているかもしれない。お金も同じかな。

しかし、その理論を振り回す論者が、自分と違う意見を全て否定し、受け入れず、適切な返答をしないのであれば、それは悪とされることが多いと思う。

というか、放置されることになる。
好きの反対は無関心というが、何を言っても聞いてくれない人は、何も言われなくなってしまう。

私はそれが好きなの!というのは大いに結構だが、異なる意見を持った人のことをリスペクトする姿勢を求められているのかなぁ。

先日、自宅の猫の首輪がボロボロになっていることに気づきました。サポートしていただいたら、猫の首輪にして、noteに投稿します。