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決定(or仕事)の精度/速度は、脳内のオブジェクトの数と質次第では

思考のメモメモ

優秀な人間とか、賢い人間は「帰納と演繹」の達人だと思っていますが、それが結果的に「決定(or作業=仕事)の精度/速度」を早めるのではないか説

もっと言うと、オブジェクトを集め、それを適応するということこそ、「帰納と演繹」であり、優秀になろうとするなら日常で意識すべきはオブジェクトの収集なのでは説

オブジェクト指向とは

すみません、「概念」として難しすぎてここでは語れないし、僕もよくわかってません。「国民」とか、「幸福」みたいに簡単に説明できないです。結局、体系化されて簡単に解説できないような知識が、とても価値を持ったりするので、僕はこれからも勉強していきます。ここでは、ググって出るレベルの定義をば。

オブジェクト指向プログラミング(Object Oriented Programming: OOP)とは、プログラムを手順ではなくて、モノの作成と操作として見る考え方だ。オブジェクトとは「モノ」を意味する。「テレビ」というモノを操作するとき、中でどういうプログラムが動いているか知る必要はない。リモコンで操作すれば、動く。「こういう”モノ”を作りましょう」「そして、その"モノ"を使いましょう」というのがオブジェクト指向という考え方だと思っていい。なぜモノを作っておくと便利なのか?

オブジェクト指向で重要なのは、「目的語→動詞のシンタックス」であり、まず「目的語(オブジェクト)」を選択することである。
つまり、まずはオブジェクトがないと話が始まらない、ということ。
(ちなみに、これはとても理解が難しく、なぜなら僕らみたいなデジタルネイティブは、GUIに慣れ親しんでしまっているし、iPhoneを触ってしまったが最後、かなりオブジェクト指向的画面を見続けているため、「動詞→目的語」な画面をあんまり見たことがないからである。「開く→どれを開きますか?」みたいな画面はあまり見ない)

すみません、黙ります...本番こっからです

難しい話は割愛するとして(ごめんなさい、僕も完璧に理解できてないっす)、私たちの日常にフォーカスすると、特にオブジェクト(実際はより小さなパーツが近いかな…)とは「単語」として説明されると理解されやすい。

例えば、「青信号」というものを覚えたとする。
すると、少なくとも日本中の「青信号」というオブジェクトと出会った時に「進んでよし」という意味を理解し、素早く行動することができる。

「ご飯」「電車」「ゲーム」など、あらゆることを私たちは、オブジェクトとして認知し、記憶している。そしてそれは、「新成人」「満開」「IT」などの概念もオブジェクトとして記憶していると考えることができる。

あらゆる作業を「オブジェクト」として記憶することも

例えば、新入社員が先輩社員に色々教わったとする。まさに新しいことばかりでてんやわんや状態である。「日報の書き方」とか「経費申請の仕方」とか、それら全てをオブジェクトとして記憶する。

一度、オブジェクトとして記憶してしまえば、次からはどんどんと作業をこなすことができる。
(実際は一度に大量のオブジェクトを噛ませるので、脳が少しエラー、もしくは処理が重くなってショートし、すぐ覚えられなかったりするけど)

こうして、色々な仕事をオブジェクトとして記憶すれば、
「経費申請」→「こうやる」
「日程調整」→「ああやる」
みたいな感じで、サラサラできる。

これが「決定(or作業=仕事)の精度/速度」を向上させ、優秀な人間に仕立て上げる要素なのではないだろうか。

日常にフォーカスするなら、「今日の晩御飯何がいいかな」という問題には、どれだけ「料理」のオブジェクトが脳に入っているか、が重要である。
もちろん、ここでいうオブジェクトには、「それが作れるまでのレシピ」レベルが備わっている前提であり、オブジェクトには「数」と「質」が重要であることはいうまでもない。

現実にはもっと難しい問題(仕事)が降ってくる

しかし現実は甘くはない。
その人のオブジェクト保管庫(脳)にはない、問題(仕事)を振られることは多々ある。そしてそれは、まだ世界の誰も解いたことがない問題という場合も往往にしてある。
例えば、「ある会社の新商品をどうやってプロモーションしたら売れるんかいな?」みたいな。

普通の新人ならば
新商品は出してみなきゃわからんやろ。正直、知らんわ。
となってしまう。

本や歴史、過去の事例という「概念」「本質」をオブジェクト化する

こういった問題にぶち当たったら、「あの時の、あのやり方(オブジェクト)なら使えるんではないか」というように、脳にあるオブジェクトのなかで、「近いもの」や「似ているもの」、つまり「使えそうなオブジェクト」を探し出して対応するしかない。

それはいつかの本で読んだ「手法論」かもしれないし、「組織論」かもしれない。個人の問題(挫折など)ならば、ある偉人の「精神論」が救うこともあるだろう。

この時の、脳内にある「オブジェクトの数と質」こそが、その人の「決定(or仕事)の精度/速度」を決定するのではないか。

だからベテランは新しい大きな仕事でも、まるで「経費精算」をするように流れるように作業し、「オムレツを作るように」結果を出すことができる。
脳内にある、「成功例or失敗例」である「オブジェクトの数と質」が新人よりも多いからである。

「オブジェクトを増やす」とは、帰納と演繹をすること

帰納と演繹というのは、画像で見てください。

帰納とは、「ある複数の現象から、本質的な一つの法則を見つけること」です。日常にフォーカスするなら、何かの本を読んで、あるいは他の本と比較して、何かしらの「成功例or失敗例」を「法則(オブジェクト)」として記憶することです。
つまり帰納する、ということは脳内にオブジェクトを溜め込むことです。

演繹とは、「ある現象に対して、たくさんの法則の中から当てはめることです。」脳内にあるたくさんのオブジェクトから、「あ、これは青信号だから渡っていいんだ!」ってなることですね。
つまり演繹する、ということは溜め込んだ脳内のオブジェクトを現実に当てはめて使うということです。

日常的に帰納と演繹をする人は「優秀」になるのでは説

そして冒頭の結論に戻りますが、
「オブジェクトを集め、それを適応するということこそ、「帰納と演繹」であり、優秀になろうとするなら日常で意識すべきはオブジェクト指向なのでは説」ということです。

日常的に、「オブジェクトの数と質」を意識しながら、そしてそのオブジェクトを適応することで、「決定(or仕事)の精度/速度」は飛躍的に向上するではないではないか。

一流シェフが軽々と創作料理を作るように、熟練の棋士が神速で最適手を打てるように、あらゆる「質の高い」「オブジェクトを」「たくさん」持っていることが、「優秀」になるための近道ではないか。

そんな「帰納と演繹」を繰り返している人であれば、「優秀な」もしくは「優秀な人間になれる」人間ではないか。

ふーむ。どうなんだろ〜
オブジェクト指向は面白いな〜

先日、自宅の猫の首輪がボロボロになっていることに気づきました。サポートしていただいたら、猫の首輪にして、noteに投稿します。