なぜ長谷川泰三が銀魂最終回で○○だったかについて

銀魂の重大なネタバレを含みます

【前提】当初の設定が長谷川さんは元々万代屋メンバー想定だった、かつモデルが鬼平である点からの妄想です。鬼平は母親と死に分かれて波津という継母にいびられて育ったらしいです。モデルがそのまま銀魂の世界にはならないのですが当初の設定には多少影響してるのかなと妄想してみました。

当初万代屋メンバー想定であった長谷川さんが万代屋から外れてしまった時点(原作2話)で、長谷川さんの立ち位置は宙に浮いてしまったわけです。銀魂のプロットとしてはいてもいなくても話が進むモブキャラでも問題ない立ち位置です。18巻までは普通のどこにでもいるまるでダメなオッさんとしてギャグのオチで出てきます。登場回数が多いのはお気に入りキャラだからで済むレベルです。

銀さんが長谷川さんを救う話て実は痴漢冤罪の一話しかないんですよね。あの時銀さんが本当に救ったものはなんだったのか。長谷川さんカッコいい回としてカウントされる回ですが、本当は長谷川さんのキャラとしてはあまり良い話ではないのではと解釈してます。

婿養子として最下層に置かれたことがマダオとしての始まりとsrc神が解説している通り、ハツとの口論から物語は始まります。冤罪で捕まり切腹と引換に離婚を迫られる長谷川さん。卑劣な手を使う破賀検事からハツを守ると言っていますが、見ようによってはかなり独りよがりな決意です。
全巻に渡ってですが、長谷川さんは誰かを救おうとか与えようとか考えて行動してはいない。自分がやりたいから思う通りにやっただけ。結果酷い目にあっても「神様が奪っていった」ですましてしまう。
夫婦の感動話として語られるスーツの話。あれ本当に感動話ですか?モヤっとしませんか?与えられる人生なんてごめんだという長谷川さんの代わりにハツは土下座して許しを乞うんですよ。これってハツが長谷川さんの大事なものを全否定したとも取れますよね。長谷川さんこれでやったあ嬉しい俺愛されてるって思いますか?愛する妻をこんな目に合わせて俺は情けねぇとしか思わないんじゃないですかね。

ハツの方もここで長谷川さんが一緒に土下座することで、自分のために男の矜持を折らせることが愛情の証と捉えてもおかしくはないです。もちろんそういった愛の形もあると思いますが、この回のタイトルは「男達よ、マダオであれ」です。愛する人のために自分を曲げるな、それでは二人とも幸せにはなれないというメッセージではないでしょうか。

そんなエピがあるにも関わらずハツは就職祝いに新しいスーツを送ろうとします。留置所では長谷川さんは新しいスーツについての明確な発言はありません。そのスーツを銀さんは「コイツまたアンタの用意したスーツ着なかったよ」とハツに返します。これは銀さん(src神)がその時点でのハツの愛の形を否定した、守るものは自分の矜持だと提示しているようにも見えます。

しかし長谷川さんとハツの不器用な愛は勝訴を導き、結果破賀検事とハツはくっつかず別居状態が続きます。これで長谷川さんのストーリーに矛盾が生じる。不器用な愛妻家としてのキャラだけが浮き出てしまった。ハツを捨てても守っても男の矜持に傷がつきます。長谷川さんという1キャラとしては動かせなくなってしまったのではないでしょうか。

そもそも似たもの同士の頑固夫婦が別居した後また仲良く暮らすなんてドラマワンクール使っても難しいテーマです。よしんば長谷川さんが自分のプライドと折り合いつけてマダオから脱却できたとして、ハツも相当変わらないと元の木阿弥。なんならマジでダンディな男長谷川さんがハツを選ぶでしょうか。

【妄想】そこで長谷川さんに残った男の矜持だけを取り出して、「侍の象徴」として活かすことにしたのではないないでしょうか。キャラとしてのストーリーは破綻してしまったので、物語そのものの舞台装置となったのです。

src神は長谷川さんについて「侍の象徴」と言ってます。そして銀魂における侍はある意味前時代の象徴。新しい時代に置いていかれプライドだけが残った侍として長谷川さんは描かれ続けます。すでに長谷川さんは1キャラとしてではなく、銀魂の大きなテーマの象徴となってしまった。長谷川泰三自体が銀魂の舞台装置であり概念となった。こうなっては長谷川さん個人のストーリーとして描くのは難しくなります。src神が地に落とした堕天使です。キャラとしてストーリーを失うことでギャグ要素として輝く長谷川さん。

長谷川さんがこれ以降、家を失いちょっとギャグではすまないレベルでひどい目に遭い続けるのは、単にギャグキャラというだけではなく矜持だけでは現実生きていけない侍の現実という面もあるかと思います。現実となんとか折り合いつけて踏ん張って生きてる銀さん(読者)にとっては、ああなってはいけない存在であると同時に、あんな風に生きてみたかったという理想の姿でもあるわけです。

銀さんは長谷川さんを助けないですね。銀さんはハツとヨリを戻せとかは言いません。かけた言葉と言えば痴漢冤罪での奈落から引きずり上げる、証明写真での自信のなさを隠すのはもう十分、再起への思いは生半可なもんじゃえね、ありのままの自分の思いを灼きつけてこい。くらいです。

長谷川さんを救えるのは長谷川さんだけだから。自分が変わらなければ時代には勝てない。

【最終回妄想】このテーマを背負って飛び立ったのが銀ノ魂。前時代を背負って散った沢山の将軍達に代わり、新しい時代での侍のあり方を示す必要があった。侍の象徴としての長谷川泰三が飛び立つ集大成です。

虚が全てを無にするために宇宙大戦を引き起こしますが、どうしても無理があるんですよね。神楽の言うように死にたければ勝手に一人で死ねと読書は思ってしまう。

しかし新時代における侍の魂を見せるには、物語の始まりである天人の襲来を引き起こす必要があった。将軍の交渉(銀さんのいう口喧嘩)も桂や坂本やまして高杉の抵抗もぶっちゃけ鳥船が墜落してしまえば意味のないものです。鳥船を止めたのは解放軍艦隊、解放軍艦隊を動かしたのは長谷川泰三の全てを救うと言う男の矜持。残り5%にかける魂の選択。あの場面で侵略者達に「ようこそ侍の国へ」と長谷川泰三という侍に言わせる為に、鳥船は用意された舞台装置なのではないでしょうか。

ここでようやくなぜ長谷川さんが最後無職だったかというと、前時代に取り残された侍という舞台装置を活かして新しいメッセージの伝え方を試してみたかったのではないかなと考えています。

東京という舞台で機械に仕事を奪われて無職となるってかなり現実的な設定です。銀魂最終巻読んでるなんてはっきり言って少年よりおじさんおばさんの方が多いです。読者と長谷川さんがかなり近い立ち位置にある。この長谷川さんが無職というのは、変わりゆく時代に取り残されそうな読者達そのものです。この時期を生き残る為の魂はもう示したと。長谷川泰三を、君達自身を救えるのは、幸せにできるのは君達自身なんだと。

だからあえて長谷川泰三は物語のなかでは幸せにしてあげられなかったんじゃないでしょうか。続きは読者の人生にありますと。銀魂はずっと読者の人生の中で生き続けると。伝えたかったのではないかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?