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12) 紫電改343とフィクションの想像力

【紫電改343】という漫画が、連載されている。
(ここで ↓ バックナンバー、読めます)

太平洋戦争の末期、本土防衛の切り札として、松山に創設された【第343海軍航空隊】・・・

各地の戦線をくぐりぬけたエースパイロットたちを集め、新鋭機【紫電改】や、偵察機【彩雲】を配備し、司令官【源田実】の元、1945年3月19日の空戦では、アメリカ軍に対して互角以上の戦果をあげた・・・

戦後76年たってなお、そんな風に語られ、これまでにも映画や漫画の題材になってきたのは「劣勢に一矢を報いた精鋭部隊」という伝説を作り上げた、指揮官のなせる技だろう。

司令官、源田実とは・・・

開戦時、真珠湾攻撃を立案。敗戦時は、皇統護持作戦(リンク先が詳しい)にかかわる。
戦後、航空自衛隊のトップ、参議院議員もつとめ、東京オリンピックでは、開会式の上空に、自身が創設したブルーインパルスを飛ばし、五輪を描かせるなど、エピソードに事欠かない。
(1989/8/15、松山市郊外、南高井病院で亡くなっている。84歳)

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源田をはじめ、多くのパイロットたちも、実名で登場する漫画は、物語の山場のひとつ、1945年3月19日・・・松山上空での戦闘をむかえ、偵察に飛び立つ【彩雲】でも、機長、操縦士、通信士が、描かれる。

「影浦博さんは、目のくりっとした丸顔の小柄な青年でした」

・・・これは、同じ偵察部隊にいた杉野富也さんから聞いた話し(9◉帰郷は自転車に乗って)なのだけど、実際の肖像写真などを確認すると、そうでもないのだが、この漫画に描かれたイメージも、ひとつの表現として、偵察機内の極限状況にアプローチする。

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源田実ら、生きながらえた当事者たちの証言では、この3月19日の戦闘でアメリカ軍【52機】を撃墜した、とされる。
また、偵察機【彩雲】は、エンジン不調のなかで【米軍機2機】に体当たりした、 という。

しかし、いっぽうの当事者であるアメリカ側の資料をつきあわせた検証によると、【52機】 という数字は、過分に盛られた戦績であり、実際は【14機】であったようだ。
また、偵察機【彩雲】が撃墜された地点付近(5◉紫電改再訪と高知県境の慰霊碑)に、アメリカ軍機の被害記録はない、という。

【52機】の撃墜や【米軍機2機】への体当たり・・・という、華々しい証言を取れば、見せ場として申し分なく、分かりやすい物語にはなるだろう。けれど、事実の探究とは、いつも分かりよく、目の前に差し出されるとは限らない。

343航空隊を題材にした先行するフィクションに、映画【太平洋の翼】と、漫画【紫電改のタカ】(ともに1963年)がある。

源田実をモデルにした配役を、自身も特攻隊の基地で、少年航空兵を教育する任に当たっていた三船敏郎は、実に演じにくそうに・・・悩ましさとともに演じていた(ように感じた)し、監督の松林宗恵もまた、海軍少尉に任官された経験をもつ。
のちの漫画家、ちばてつやは、満州を引き揚げるとき、6歳の感受性で、戦争を見つめた。

こうした批評的なまなざしが、作品に奥行きを与えるわけだが、「事実を基にしたフィクション」という但し書きが有効であるには、その事実を徹底的に追及した上で、語りえぬ当事者の沈黙の声を「想像」できるか・・・

こうした営為を通じてこそ、フィクションがもたらす力は、作品中に宿るのだろう。

つづく〜13◉熊本「天草」〜高田満・機長の故郷を訪ねる

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