見出し画像

3◉腕利きパイロットたちの第343航空隊

2016/8/15 執筆に加筆。

戦争末期、西宮・鳴尾をはじめ阪神間の川西航空機、工場で生産された紫電改は400機ほど(ゼロ戦は1万機くらい)。
その現物は、アメリカの博物館に3機、日本には愛媛に1機が残る。

旧城辺町、現在の愛南町に展示されている紫電改は1978年に宇和海で発見、翌年、引き揚げられた。

この機体を、ぼくは小1の夏休みに、父と見に出かけている。1980年だから開館まもないころ。
(ただいま帰郷中、当時のアルバムめくったら昭和55年8月15日とあった…今日か?!)

展示された紫電改は、再現塗装がテカテカと、ハリボテのようで、ずいぶん興ざめした思い出がある。

*****

1944年12月末、松山の第343航空隊に紫電改は集中配備された。

戦争末期、生き延びた腕利きパイロットたちを集め、制空権確保による本土防衛を目的に、紫電改部隊は飛来する米軍機と互角にわたりあったらしい。

ゼロ戦が性能的に劣勢となる中、その後継機として米軍に一矢むくいる精鋭部隊となれば、敗者の反骨精神を刺激する。
戦後、第343航空隊をモデルにした印象深いフィクションを挙げると、

【太平洋の翼】
三船敏郎、渥美清など役者が揃い、円谷英二の特撮も見事。東宝の戦争映画のひとつ(1963年の正月公開、併映は社長シリーズの16作目)。
喜劇役者・渥美の出演シーンは、やはり笑いをさそう。『知床慕情』でミフネと寅さんは共演するが、それ以前のツーショットは珍しい。

【紫電改のタカ】
あしたのジョーで知られる漫画家ちばてつや作。主人公は松山出身という設定。戦争が終わったら教員になる夢を抱きつつ、特攻に散ることを予兆させるラストが悲しい。反戦マンガの秀作。
連載スタートは太平洋の翼が公開された半年後。

画像1

ほか、近年も紫電改に関するドキュメンタリードラマに、ディーン・フジオカが出演。最近は、こういうマンガまである様子。

*****

さて、この松山の航空隊を創設、指揮したのが【源田実】大佐・・・真珠湾の作戦を起案するなどした参謀である。

若いころ【源田サーカス】と呼ばれるほど操縦に優れ、参謀となると大艦巨砲主義を批判、第343航空隊を創設、指揮し、制空権の確保による本土防衛、戦争末期に一矢を報いようとする。

敗戦直後には「皇統護持作戦」といって、連合国の占領によって皇統が途絶えないように、皇族をかくまう作戦のひとつに従事。愛媛の山中、面河あたりも、候補地のひとつだったよう。

戦後は、航空自衛隊の創設に参加、ブルーインパルスも彼の手によるもので、東京1964の青空に航空機のスモークで五輪を描くアイディアも。

航空幕僚長=空自のトップまでのぼり、さらに参議院議員4期24年をつとめ、
ときに本日8月15日、1989年、松山の【南高井病院】で亡くなる。

今日を忌日とするのは、石原莞爾に丸山眞男と象徴的だが、源田が亡くなった病院は、わたしの実家と同じ町内にあり、小中学の同窓生、そのお祖父さんが理事長をつとめていた(はず)。

同じ1989年、16のとき彼はバイク事故で亡くなる。別れの顔を忘れられぬ、悲しいお葬式であった。

つづく〜次回【最終回】:4◉影浦博・上等飛行兵曹の消息

(松山市の図書館に「343空隊誌」という記録資料があるようで、さらに【発見!】あれば、もう1、2回続けてみよう)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?