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写真批評 サシイロ 7 〜パフォーマンスアートの世界

皆さんはパフォーマンスアートというものを知っているだろうか。私は恥ずかしながら知らなかった。
冒頭の写真は、パフォーマンスアートの分野で活動している森村泰昌の写真である。一瞬アインシュタインと間違えた人もいるのではないだろうか。

森村泰昌が展開するパフォーマンスアートというのはこのように有名人や名画の登場人物になりきったセルフポートレートを発表する形である。
セルフポートレートは文字通り自分で自分自身を撮る行為だが、その行為の過程で、自分自身を再発見することに繋がる。パフォーマンスアートのセルフポートレートの場合、他の人物になり切ることにより、日常の自分から離れ自我を解放し、新しい自分を見つけるということになる。その新しい自分が、日常の自分とはかけ離れたものであればあるほど、セルフポートレートは面白いのだ。

そもそも映っているのは、かの有名人ではなく、森村泰昌なのに、有名人そのものと見間違えるのは何故なのか。
1つは構図が同じだからである。構図とは不思議なもので、ある位置に位置付けられた時点で、同じ絵の中でその者の他の人物との関係性がわかる。このため、その構図では個の性質は消え、誰がその位置に来ようと、他の人物との関係で、その者を捉えることとなるのだ。結果として、私たちがいかに個を見ていないかということに気付かされる。
もう1つは、人間には誰にでも持っている普遍的な性質があるからだ。私たちは個を見て、あの人とこの人は違うと思っている。自分自身も、自分はあの人のようにはなれないと思っている。しかし、パフォーマンスアートで他者になり切ることができた写真を見ていると、個性とはただ人が皆潜在的に持っているものの表面化の差に個人差があるだけで、変わろうと思えば変われる無限の可能性に気付く。

こういうわけで、セルフポートレートはいつの時代にもなくならないわけだが、今の自分自身が嫌いな方への一番の特効薬は、セルフポートレートを撮ってみることなのかもしれない。それも、普段なら絶対やらないような仮装をして写すのがいいだろう。
と、ここまで書いて、昨今の仮装ブームもセルフポートレートと同じ仕組みで人々の心を捕らえているのかもしれないなと思った。

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