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剱岳・八ツ峰(上半)のガイディング

「次はどこ行きたいですか?」
「次はやっぱり八ツ峰ですね。」
「それはどうしてですか?」
「んー。やっぱ八ツ峰って、普通じゃないじゃないですか!」

これは、2年前の夏に源次郎尾根を完登した剱岳頂上でのお客様との会話である。

「普通じゃない。」
これは、この岩稜の魅力を端的に表しているといえる。
剱岳頂上からぐるり周囲を見渡した時、北東方向に伸びるギザギザした岩稜。
花崗岩に一部閃緑岩が混じるこの山は、古くから氷河と激しい風雨の浸食により、風化に強い閃緑岩が鋭く削り残った。
この岩稜自体が、バリエーションルートである。
日本を代表する岩稜ルート「八ツ峰」だ。
(ここでは、一般的に多い5・6のコルからの上半(かみはん)縦走を紹介する。)

八ツ峰を登ろうとする登山者は、充分な実力が必要とされる。
端的に言うと「雪」「岩」「体力」「精神力」だ。
同じ剱岳のバリエーションルートである源次郎尾根よりは、確実に一段上の課題である。
さて、まずは「雪」の部門。
夏の剱の雪渓は、一筋縄ではいかない。
不規則に走るシュルント、クラック。
安全で早いルートとしての、岩から雪への乗り移り。またその逆。
滝場、沢筋での雪渓の崩壊に規則性は無く、昼夜を問わず崩壊する。
「人間側に都合の良い予測に当てはめない」ことが肝要だ。
時間はかかるが、時にはロープを出して確保することで、致命的な結果を防ぐこともできよう。
「雪を見極める力」は大事で、それは一朝一夕には身に付かない。

また、登山靴には剛性が求められる。
昨今流行りの軽量アプローチシューズは、剱の雪渓では役に立たない。
特に朝方の雪渓は硬く、登行中頻繁に蹴り込むことになるが、そこで靴底が曲がるようだとアイゼンの外れにもつながる。
また、靴とアイゼンの相性も大事だ。
蹴り込む度に靴とアイゼンがずれるようだと、駄目である。

5・6のコルまでの急な雪渓をそつなく登ろう。
そこまでのペース配分も大事で、長次郎谷の登りは抑え気味のペースで丁度良い。

八ツ峰縦走で出てくる技術的グレードは最高でもⅡ級程度。
しかし、脆い岩、浮き石、砂の乗ったスタンス等に気を使わされる。
古くても大事な技術「三点支持」を意識して確実に登ろう。

懸垂下降。
源次郎尾根では1回だが、八ツ峰では何度も繰り返す。
「振られ」が入る箇所もあるし、部分的にハングっぽい下降箇所もある。
また回収時の引っ掛かりもあり得る。
ただ「懸垂下降やったことあります」では心もとない。
何mのロープを持っていくかも考えどころだ。

「落ちたら終わり」の箇所で頼りになるのは、「三点支持」と登山靴での岩登り技術だ。
長野市善行寺裏「物見の岩」での登山靴での岩登り練習は役に立つだろう。

八ツ峰での登行を終えても、本峰へ向かう場合は北方稜線の登行が残る。
この稜線はかなり岩が脆く、剱の中でも特に注意が必要だ。
動かないだろうと思った大岩が動き、岩を抱えるようにして墜落する事故が起こっている。
また初めての場合は、ルートファインディングにも戸惑うだろう。
まずは経験者との同行を強くお勧めする。

時間的に押している場合は、長次郎右俣へ下る選択肢もあり得る。
ただし、ここは夏剱における遭難多発ポイント。
ちょうどロープを出すか否か、後ろ向きに下るか否か、迷うような傾斜だ。
「迷ったら堅実なほうへ。」
そのことが無事の生還に繋がるのは、間違いない。

(剱岳の山岳ガイド 香川浩士)

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