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妙義山(今も昔も修験の山)

北陸から高速(上信越道)を使って東京方面に車を走らすと、軽井沢の大きな下り坂を過ぎたあたりから右前方に奇怪な岩峰群が見えてくる。

妙義山だ。

「妙義」とは言い得て妙。
しかし、実際その山名の由来を少し調べてみると多くの諸説があり、ここで「にわか」たる私が知ったかぶりして書くのはおそれ多い。

山麓の妙義神社は、なんと1500年の歴史を誇るという。
150ではなく、1500だ。
日本では6世紀前半で、「古墳時代後期」となるらしい。
ちなみにまだ、聖徳太子も生まれていないと言ったら分かりやすいだろうか・・・。

日本人と山との関係性は、古来「山岳信仰」という形であった。
この奇岩林立する妙義山を見るにつけ、古代の日本人が山自体を神として崇拝、信仰してきたことは、想像に難くない。

翻って現代の日本を生きる我々であっても、初めてこの山群を見た時には、やはり畏敬の念を覚える人が多いのではないだろうか。
この山はまず、こうゆう「いにしえ」からの歴史に想いを馳せながらスタートさせたい。

さて、登山である。
まずはやはり、表妙義。
見どころ、難所は随所にあり、また本当に緊張させられる所は、写真が無かったりする。

序盤戦の核心は、やはり「奥の院の30m鎖」だろう。
出だしの数メートルの傾斜がほぼ垂直で、妙義山から「登れるもんなら登ってみい!」との声が聞こえる(気がした)。
鎖場の登り方の基本で「腕ではなく足で登る」というものがあるが、ここは例外で「ある程度腕力も必要」となる。
でも、やっぱりここでもスタンス(足場)は大事。

ここを抜けてもいくつか鎖場はあるが、次の「映えスポット」はこの「ビビリ岩」ではないでしょうか。
妙義の岩壁帯をバックに、そこまでビビることはない「ビビリ岩」での登行シーンを撮るのが、ルーティン化してきています。

大のぞきの「滑り台状30mのクサリ」も映えます。
こんなに長くてスッキリした鎖場も、国内ではかなり珍しいのではないでしょうか?
ガイド的には、お客様を確保して下ろした後、時短のためにササッと下降を急ぐと思いますが、途中「鎖の継ぎ目」が結構あるので(支点のことではない)、そこでやらかさないように注意したいところです。

タルワキ沢のコルは重要な分岐点。
初めての方で、体力あるいは技術的に不安がある方は、ここから下降するのも普通にアリでしょう。
相馬岳から先は、明らかにフェーズが変わります(妙義の中でも上級者向けのエリアでしょう)

後半の金洞山エリアへの繋ぎとなる茨尾根には、こんな「胎内くぐり」的なところも。
あと、「茨尾根のピークへの急登」はかなりの急角度でかつもろい。
ロープでしっかり確保したい。

やって来ました「鷹戻し」。
このラスボス的な岩壁はしかし、しっかりした鎖が設置されているので、落ち着いていけば大丈夫だ。ここでもスタンスが大事。

鷹戻しの頭(ヤブっぽいので割愛)~東岳間の「ルンゼ内二段25mの鎖」は、かなりの急角度だ。
雰囲気もなんとなくおどろおどろしく、個人的には勝手に「修験者の鎖」と呼んでいる。
鎖を握って下降を始めると鎖が手元で持ち上がり、身体の傾斜は垂直を超えてくるだろう。
が、ここでもスタンスを拾いながら降りることを忘れずに(ある程度腕力も使うが)。

中之嶽神社への下降路の途中にあった看板。
「山と高原地図・西上州」の地図を広げてみると、ルート上の随所に「死亡事故多し」という記載がある。
こんなエリアは、日本ではそう無いだろう。
以前、遭難死亡事故多発を受け、この山を登山禁止にしようという議論が巻き起こったそうだ。
同じ中級山岳で、鎖の多い岩稜系の山は他にもいくつかあるが、この妙義山は本当に気が抜けない山であると感じた。
また、雨で岩が濡れているような時も登ってはいけない山だろう。

妙義山は、21世紀の今も、修験の山である。

(山岳ガイド 香川浩士)

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