今はチャンスだ

個人的に受験生の時のモットーは、スピードでした。
何でもかんでも速くすること

今から考えると一長一短あったのですが、当時は、何でもすがりつくのが欲しかった。
事実、それまで、全国レベルの成績にはほど遠かったものが、光明がほの見えてきたのです。

これは、スピードをあげると、悩んでいる暇がないわけです。
その分、集中力に使うことができたんですね。
事実、スピードをあげると、時間の余裕ができます。
その時間とエネルギーをWillパワーの出どころである前頭前野から、小脳の運動神経に移すことができたんですね。
最終的に、アスリートとして受験を突っ走ったわけです。

ここで、私の勘違いをひとつ。
当時、瞬間最大スピードを上げることに必死になっていたのです。
ところが、今から見ると、それだけを追うと、理解ができないし、さまざまな副作用が多発します。つまり、細かい衝突事故を繰り返すわけです。
スピードを上げる利点は、実は、決定が速い、つまり悩んでいる時間が限りなくゼロだということだったのです。

だから、その利点を残しながらも、いろんな脳の活動を取り入れた学習法をまとめようと思っています。

10%増だと現状の延長線上の考えです。
しかし、10倍増は、今の前提や固定観念を打ち破らなくてはありえないわけです。
違うルール、違うやり方を考えるしかありません。
10%増では、仕事量だけが増えてしまう心配があります。

1/10でできることを考えるかもしれません。
そもそも、その仕事が無くなってもいいのじゃないでしょうか?

大胆な仮説をぶつけてみましょう。

精神医学や精神分析の研究者に聞いたところ、人間の幸せも不幸も、幸運も不幸も「主観的」なものだということです。
つまり、客観的な幸せも不幸もないということです。

一般的に、自分がついているとか、幸運だと思っている人間は、いろいろなチャレンジをすることに抵抗がありません。
そのため、人と知り合う機会や、ビジネスチャンスにも恵まれ、結果的に成功することが多くなります。好循環に入り込むのです。

成功する確率が1割くらいの人でも、100回チャレンジすれば、10回は成功できます。
しかし、成功する確率が5割ある「強運な」人でも、チャレンジが2回しかなければ1回しか成功できないし、もしも、チャレンジがゼロであれば、絶対に成功できないのです。


要するに、自分は運がいいと思うことで成功する回数を、格段に増やすことができるのです。

今、コロナで、たいへんな時代ですが、この時代に生きることを、「何て自分は運が悪いんだろう」、と思っている人は、きっと過去の不幸な体験をいくつも挙げることができるものです。
「こういうことがあった」「ああいうこともあった」「だからわたしは運がわるい」と説明できるはずです。
でも、一つ一つ吟味していけば、同じ境遇、同じ条件の人はいくらでもいるものです。
その人たちの中には、今、うまくいっている人や自分の夢を着々と実現している人もいるものです。
仮に、現在、平凡なビジネスパーソンだったとしても、もし、それだけ運が悪いことが続いたのに、平凡でいられるというのは、「幸運」なことだと言えるでしょう。これはふざけて言うのではありません。その人は幸運な人であって、何もかも不運だったという人生は、本来ありえないのです。
不運一色で塗りつぶされる人生なんて存在しないのです。
誰の人生にも幸運は散りばめられています!

先ほど、運がいい人は多くの人と出会ったり、チャレンジしたりする、と書きました。
同じように、運のいい人は多くの人に、質問をするものです。

質問には、自分の弱さをさらけ出してしまうイメージがあります。
しかし、実は、頭のいい人ほど質問をします。
「これが分からない」と言えてしまうのです。
質問は、頭の悪さを証明するものではありません。

どんなにアタマのいい人でも、分からないことはあります。
誰もが自分の中にモヤモヤを抱えています。
モヤモヤを解消するために、自分あるいは他人にするのが、質問です。
そうすることで、前にすすむきっかけや現状を大きく変えるヒントを得ることができます。

つまり、質問とは自分の置かれた現状や自分自身を大きく変える力です。
「今と同じでいい」と現状維持を望む人からは発せられないものです。
また、「お金が無い」「いい人とめぐり逢えない」と、ただ不満を言う人からも聴くことができないものです。

質問は、人生をポジティブにするものです。

ただし、質問にも、いいものと悪いものがあります。

これは謙遜じゃなく、本心から思っているのです。
ホントウにうまくいっている人や、思い通りの人生を生きている人は、あっさりと「私は運がいい」と認めてしまいます。
そのほうが、これからもきっといい人生を送れるはずだと信じることができるからです。

もちろん、挫折や失敗もあるだろうし、どん底に落ちることだってあるでしょう。
しかし、「私は運がいい」と思えば、きっと乗り越えていけるだろうと、信じることができるからです。
これは、信仰です。
つまり、限られた世界でしか通用しない能力や才能より、運を信じた方が、はるかに勇気が湧いてくるのですから。
成功者はいつの世も、自分の運を信じることで人生を切り開いてきた人なのです。

新型コロナウイルス感染拡大で、世界中の学校で休校が相次いでいます。

世界の休校措置の中で多く観られるのが、担任の教師や学校単位ではなく、
国全体として休校時期を利用して新たな授業形態を展開している様子だ。

日本では多くは家族レベルで時間をやりくりしていることが大半のようですが、
この時期を最大限に活用し、日本の教育をより良くするにはどうしたらいいのか。
多くの学校が行ったのはドリル等々の「課題の提供」です。
これは今までの台風の自然災害や大雪等で休校になった際にとられてきた学習手段です。
オンライン授業に取り組んだ学校もありますが、多くはやはり共通した課題の提供が主なものと聞いています。


そうではないやり方を実践したのが、Itc教育で有名な小金井市立前原小学校。休校の間にオンライン授業を行った蓑手章吾先生は、公立学校という現場で常に新たな可能性を追求する挑戦者です。

蓑手先生らのもとで、子どもたちは日々自分が取り組むことを自由に考え、各々で取り組んでいました。
先生は、何をやるかを掲げその結果を報告するための学習計画アプリや、ズームと言われるコミュニケーションアプリなど必要な環境を用意。
毎日「朝の会」で報告し合ったあとは、教室で作業する先生の横でそのままチャットはつながれていて、「先生、今いい? 質問があるんだけど」と子どもに呼ばれれば対応する。
そんなふうに過ごしていました。
先生のもとで、子どもたちは日々自分が取り組むことを自由に考え、各々で取り組んでいました。先生は、何をやるかを掲げその結果を報告するための学習計画アプリや、ズームと言われる

今回大人たちが在宅でリモートワークをしたり、テレビ電話でミーティングをしたように、学校の先生と児童がインターラクティブ(双方向)なかたちでコミュニケーションできる環境は学校で整いつつあります。
東京都などでは一人一台タブレットを渡される日が近いといわれています。

もちろん、家庭環境や学校のICT環境にはまだまだ差がありますが、できることから実践する必要があります。前原小学校の取り組みは「緊急時のICT教育」という意味で具体的なモデルになると思います。

Zoomを利用してのオンライン受講という形で授業を受けてもらいました。
ところが、インターネットを通していても、熱中する子どもの姿が教室に伝わり、楽しい時間を過ごすことができました。

大学や塾のサテライト授業と異なり、授業中に子どもたちからチャットがバンバン入ります。
普段の授業と同じように、質問したり、クイズをやったりします。
教室でハイハイと挙手するのが苦手な子でも、チャットならどんどん自分の考えを書き込めたりします。
どんどん答えが並んで、まるで大喜利のようです。
講師と双方の関係なので、ネットを使ってコミュニケーションができます。

また、午前中の無料オンライン授業を受けた子どもたちが、「マイ探究」として自分で調べたことをまとめた模造紙や様々な実験を録画した動画をたくさん送ってくれました。

ある子は「日露戦争」をベースにボードゲームを開発し、兄弟で遊ぶ様子を伝えてくれました。自分たちが受けた授業をベースに、当時の様子や社会情勢などを織り交ぜてゲームを開発するというところに深い学びを感じました。
また、実際の実験映像は失敗と成功の繰り返しでした。
塩分濃度を利用して、2色の液体に分割する実験なのですが、試行錯誤する様子から、実験を通して得られる実体験の大切さが映像に凝縮されていました。
どの子どもも、学びを自ら創造し、自走していました。

このような、自由な時間にこそ、才能が開花するのかもしれない。
そう思わせるのが、科学者アイザック・ニュートンの話です。
万有引力の法則の発見や微積分法、光のスペクトル分析など多くの歴史的発見を成し遂げた科学者で、リンゴの実験で有名ですね。

 腺ペストの流行があった1665年。
世界的科学者のニュートンは、通っていた英ケンブリッジ大学が一時休校となり郊外にある実家に戻っていたそうです。
実に2年間に及んだ休校中に、ニュートンは落ちるリンゴを見て万有引力の法則を発見。
のちに、このペストによる休校期間を、ニュートンは「創造的休暇」と呼んだそうです。
ルーティンがなく、非日常の時間と空間で、人の感覚は研ぎ澄まされるのかもしれません。

一方で、そこで問題なのは、自分で思い切り学び、探究する「芽」が子どもに育っているかどうかです。
日々ルーティン化された状況で育ってきた子どもたちにとっては「自分で学びを見つけなさい」と言われると、それが苦痛になります。
「私はプリントをもらう方が気が楽だ」と言う子がいるのも現実です。
ほっといても大丈夫な子はいいとして、そうでない子をどう導いていくのか。
それが課題になります。

 そこには、圧倒的な体験の積み重ねが必要です。
「楽しい」「面白い」の延長線上に発見したこと、学んだこと、知ったことが、自ら学ぼうという原動力になります。
その体験を生み出すためにも、ぼくたち大人は、子どもの「学びの種別」を限定しないことが重要でしょう。

行き詰まりを感じたら、まず動く!すぐ動く!

後悔は、不運への出発進行です。後悔する人は、別の場面でやっぱり後悔することをします。
運の強い人は、失敗はします。しかし、成功もするのです。
失敗しなければ、絶対に成功しません。これは確率的に考えてみれば至極当然でしょう。

今、挑戦しないことの言い訳は無限に出てきます。
飛びつきましょう。飛びついてチャレンジすることができるために、障害となるものを整理しておきましょう。少なくとも、すぐ動けるように習慣化しましょう。
できることはその場で実行しましょう。
必ず、思いがけないところから、ご褒美が舞い込んできます。

とにかくスピーディーに動くと良い螺旋階段を上りだします。
あとは、信仰あるのみです。

今は、それをやってみる千載一遇のチャンスです!
おめでとう!いい時代に巡りあえたね。






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