楽しさの核心は仮説にあり

忘れられない授業があります。
今から考えるとこの授業こそが、伝説の授業だったのです。
ある公立小学校4年生のクラスです。1学期です。

担任のI先生「今日の理科の勉強では教科書を使いません。使わないから持ってこなくてもかましません。予習もしなくていいのですよ」
生徒たちは、きょとんとした顔つきをしています。
なぜならI先生はこれまで理科の勉強でも「予習をしてくるように」とうるさく言っていたからです。
「今度の授業はこれからくばる問題をもとにしてやるのです。」
こう言ってI先生が印刷した1枚の紙を配りはじめると、子どもたちのなかから
「わあ、テストかぁ!」というため息のようなつぶやきがきかれました。
ほかの子どもたちもあわてて印刷された文字に目をやります。
そこには「質問1」「質問2」という文字が見えます。
「これはテストではありませんよ。この紙は授業書といいます。」
「さて、それでは、中村さん、授業書を読んでください。」

#ものとその重さ
質問1 ものの重さをはかるには、何をつかいますか。
    重さをしらべるどうぐには、どんな種類のものがあるでしょう。
    みんなの知っているものを出してもらいましょう。(うらに絵をかいておくとよい)

「はい!」「はい!」「はい!」 一斉に手があがります。
I先生は用意しておいた実物をみんなにみせてやります。
「さあ、このぐらいでいいでしょう。先にすすみましょう。」
実にあっさりしたものです。
「次にはなんて書いてあるかな。」

質問2 重さの単位にはどんなものがありますか
これまた一斉に手が挙がって、にぎやかになります。
一通り出尽くして、やっと先にすすめるようです。
ここでは何かを訓えようというよりも、子どもの知識を調査し、主題である重さに関心をひきよせようというだけなのです。
次は実験です。

どのはかりを使っても、同じものの重さはいつも同じかどうかしらべてみましょう。
こんどはI先生が自分で声を出して読んでから、
「さあ、みんなはどう思うかな。ここに二種類の台秤とばねばかりがあるけど、これでこの本の重さをはかったら、みんな同じ重さになるかな?」

「同じになるにきまっているさ!」といいたげな子ども、
「少しはちがうさ。僕やったことあるんだもん」ととなりの子に得意げにささやいている子どもなどいろいろです。
そこでさっそく量ることにしました。
本にひもをつけてばねばかり(秤量1㎏)で量ると目盛りは660gのところをさしてとまりました。
次に台秤。はじめにのせた台秤(秤量15㎏)では針がほんの少し動いて650gのところでとまりました。
ところが次にのせた台ばかり(秤量1㎏)では針が大きく動いたのでみんなびっくり、重さがちがったと思った子どももいたようです。
はかりの目盛りは、658gと細かな数字まで出ましたがだいたいは同じなのでひと安心

先生の簡単な説明。
かんたんすぎて子どもたちにその意味が十分に理解されたかどうか疑問でしたが、ことばの意味でなく、実験そのものはごく単純なものだったにもかかわらず、かなり印象的であったようでした。
しかし、ここまでの授業は、普通の授業とくらべてたいしてちがっていません。

#おもしろい授業
#はてしない討論

ここまで進むと I先生は急ににこやかになって、「さあ、今度はおもしろい実験をやるよ」と言いながら、二枚目の紙をみんなに配りはじめました。
I先生は、ほかのクラスの授業記録を読んでこの二枚目の問題がおもしろくなるということを知っていたので、たのしみにしていたのです。
ところが子どもたちの表情はまた少し暗くなりました。
配られた紙の最初に「問題1」とあるのを見てとったからです。
「やっぱりテストじゃないか!」と思ったに違いありません。
ところがI先生はそんなことにはおかまいなしに、前と同じように適当な子どもを指名して問題を読ませました。

問題1
みなさんは、身体けんさで体重をはかったころがありますね。そのとき、はかりの上に両足で立つのと、片足で立つのと、しゃがんでふんばったときとでは、重さはどうなるでしょう。

子どもがここまで読むとI先生は「はい、そこまででよろしい」といって、いまよんだ文章の意味を先生自身身振り手振りで説明しました。
「いいですかー、体重計にこうやって立ったときと、こうやって片足で立ったときと、こうやってしゃがんでふんばったときとで重さはどうなるでしょう、というんですね。わかりましたかー」
1番
この先生は少しサービス過剰のようです。この文章の意味などわかりやすいので、子どもを指名して、「どんなことをするのだ?」と聞いてもよいわけですが、新しい授業の最初でもあるので、先生は少しでも問題の意味がわからない子どもがいないように、手振り身振りで説明しているのでしょう。
その功あってか、子どもたちは先生の身振りと説明でもう十分この問題に関心をひきたてられたようで、そこらでとなり同士の子どもたちがひそひそ話をはじめました。

「シー、だまって、だまって!その先を中島さん、読んでください。」

ア、 両足で立っているときが一番重くなる。
イ、 片足で立っているときが一番重くなる。
ウ、 しゃがんでふんばったときが一番重い。
エ、 どれもみな同じでかわらない。
あなたの予想に〇をつけなさい。ア、イ、ウ、エの予想を立てた人はそれぞれ何人いるでしょう。
ここまで読んだところでまた中断。
「さあ、わかりますか。量りの針は止まったときに目盛りを読むんですよ。
ほかのひとと相談しないで自分ひとりで予想を立てて自分の思ったところに〇をつけるんですよ。」
教室は静かになりました。
さっそく〇を書き入れる子ども、どれに〇をつけたらよいか不安そうにまよっている子ども、
となりに子も話をしかけたくてしかたがない子ども、……しかし、どの子どもも真剣そのものといった表情です。
「はずれてもいいのですよ。まだ学校で教えていないのだから、できなくたってはずかしいことはないのですよ。」
こう言ってI先生はみんなの緊張感を解きほぐそうとしましたが、それでも子どもたちは「はずれてなるものか」と真剣です。
事柄がきわめて具体的で実験の光景は容易に頭の中に描けるのですから、誰もいい加減に〇をつけている者はいないようです
しかし、自分の予想に十分確信のもてない子どももかなりいて、アにしようかウにしようか、などとまよっていて、なかなか鉛筆をおきません。

そのうちに質問------
「先生、僕アとウの二つが一番重いと思うので、二つに〇をつけていいですか」
ーー「ああいいですよ」
ところがその子
「ぼくやっぱりウだけにする」とひとりごと。
すると、この発言で、ほかのところに〇をつけていた子どもたちが動揺して、あちこちで
「ああかな、こうかなあ。うん、やっぱりこれだ!」というようなひとりごとがおきてきます。
この間I先生は、黒板にみんなの予想分布表を大きく書いていました。
そして、それがすむと、子どもたちを急がせて、全員にどこかに〇をつけさせました。
二つの予想の間で迷った子どもはいても、まるっきり予想の立たない子どもはいなかったのです。
「さあ、いいですか。それでは、ア、イ、ウ、エの予想を立てた人はそれぞれ何人いるか調べますよ。
自分の〇をつけた通りに手を挙げるんですよ。」
こう言って、I先生は先ずアに〇をつけた者に挙手させて「イチ、二、サン、シ」と数えはじめました。「アの人は4人ですね。」こう言って先生は黒板のアのところに4と書きました。
「それではイ」……イは11人でした。
「それじゃウの人は?」
先生がこういうと一斉に沢山の手が挙がりました。
「どうだい、ウが一番多いだろう。これが正しいに決まっているさ」
という表情が多くの子どもの顔にあらわれています。
人数が多いので先生は男女別々に挙手させ人数を調べます。
見落としや重複がないようにひとりひとり数えるのは少し面倒のようですが、I先生は二度ほど数えなおして21人であることを確認して先に進みました。
その次のエは7人でした。

ア、イ、ウ、エ、全部の予想がそろったのです。
これにはたまたま参観していた二人の母親も顔を見合わせました。
子どもたちもこんなにいろんな予想がでてくるとは思わなかったらしく驚いていました。
いつもできる子がウに集まり、いつもできの悪い子が人数の少ないアに集まったのならまだしも、優等生同士が分散しているのです。
「それでは授業書のその先を読んでみましょう。先生が読みますよ。」

………
みんなはどうしてそう思うのでしょう。いろいろな考えを出し合ってから、実際に確かめてみることにしましょう。量りは、針がきちんと止まってから目盛りをよみます。
………

「それではどうですか。アの人、もう一度手を挙げて下さい。」
I先生はアの4人に挙手をさせて、そのひとり、清水君を指名しました。

「だって、身体検査のとき、両足で姿勢を正しくしてはからなくてはいけないっていうでしょう。それは両足で立ったときが一番重いからでしょう。」
この発言はア以外の者を動揺させました。
アの予想を立てたほかの3人は有力な理由を見出してホッとした表情です。
「そうかもしれないね。アの予想を立てた人でそのほかの考えの人は?」
I先生は清水君の考えを否定も肯定もっせず、たくみに受け入れて次の発言をうながしましたが、ほかの者は発言なしーー
「それではイの人、手をあげて!」
「上杉さん! どうしてそう思いましたか?
上杉さんはもじもじしています。
そして、蚊のなくような声で答えました。
「なんとなくそう思ったの。だってエ、……」
するとI先生、これに助太刀をするように、
「そう、上杉さんはなんとなく片足で立っているときが一番重くなるとおもったのね。それも立派な理由ですね。恥ずかしがらなくてもいいんですよ。『なんとなく』というんだって、ちゃんとした理由なんだから、今度からもっと大きな声をだしましょうね。」
こう言われると上杉さんは、ほっとしたようにちょこんと座りました。

「それじゃ、イの人ではっきりとした理由を言える人はいませんか」
I先生が言うと、一人挙手。
「あのー、片足で立つとどうしても力がかかるでしょう。だから。」
「そうか。みんな片桐君の理由わかりますか。」
I先生がこういうまでもなく子どもたちの中には「なるほどー」と感心したような顔つきがいくつも見られました。

「それではウの人!」 I先生がこう言うと「はい!「はい!」という声が続きました。
ウは多数派の」せいか元気があります。
もう、さっきから何か言いたくてうずうずしている連中が何人もいたのです。
I先生はウの予想を立てた者全員に挙手させるのも忘れて、勢いよく手を挙げた上中君を指名ーー
「ぼくはウなんだけどね。しゃがんでうんと力を入れたら力がかかって重さが増えるでしょう。
片桐君はちんばで立つと力がかかると言ったけど、ぼくはしゃがんでふんばった方が力がうんとかかると思います。」
すると片桐君、「違うよ…」といいかけたところをI先生、
「討論は一通り理由を出し合ってからにしますからあとにしてください。」
と言って制止。
ウに〇をつけた者は上中発言で満足して他に発言なく、
次にエに進みました。
ここでは最初に指名された花岡君が「なんとなくそう思った」といい、次に上村さんが
「はかりに乗るのは同じ人間でしょう。だから片足で立ったって、しゃがんだって、どんな格好をしても重さは変わらないと思います。」と答え、いよいよ討論に入ることになりました。
ここからはもう意見続出で先生の出る幕ではありません。
先生はただの司会役でそばでうなずきながらきいているだけです。

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