インターネット・フリーライダー(コインハイブ事件に思う)

 本日、最高裁判所第一小法廷(裁判長 山口厚)にて、いわゆるコインハイブ事件の判決が言い渡されました。(判決全文)被告人は無罪が確定し、不正指令電磁的記録に関する罪に関する判例がひとつ生まれました。判決は破棄自判であり、差戻しもなく、事実誤認もなかった。判決理由では法令解釈の誤りがあったと宣言されています。弁護人の主張がほぼそのまま認められる形となりまして、長い間弁護活動をされてきた平野弁護士には本当に頭の下がる思いでございます。
 それと同時に、両手放しには喜べない気持ちもあります。なんといっても被告人(無罪)は長期間に亘り捜査機関からの取調を受け続けており、本来であれば必要のない手続きにつきあわされ、おそらく怖い思いもしたのではないかと推察します。さらに言えば本件のような事件はわたしたちエンジニアの誰が被告人席に立っていたかわからない怖さがあります。他人事ではないのです。無罪だったからよかったとは到底言えません。できれば取調なんか受けたくないです。確かに法学的には新設された犯罪に関する判例ができて一歩前進かもしれません。しかしその一方で法令解釈の誤りという被告人本人には全く落ち度のない理由で長い間刑事訴訟に関わらされたことも事実です。
 
 わたしは幸運にもその法廷を傍聴することができました。傍聴したものの責務としてTwitterにも判例要旨を流しまして、多くの方からの反響を直接お伺いいたしました。タイムラインの大勢はこの判決を歓迎するものでしたが、一方でコインハイブのようなマイニングによる収益化が合法化されたという解釈をとりそこに疑問を呈する意見も少なからず見受けられました。
 そこで私個人の意見として、本判決に絡める形でインターネットコンテンツの収益化に関する問題を取り上げることにします。善意で運営されているコンテンツの費用は、誰が負担すべきか? という問題です。

本判決を振り返る

本件の事情(第一審判決を参考に)

 本件においてコインハイブが設置されたのはボカロ曲を提供するサイトでした。月間3万PV程度の訪問者数があり、被告人(無罪)はその維持管理費用を広告収入によって賄っていました。平成29年9月20日付の記事「人気サイトがアクセス数の多さを利用し閲覧者のCPUパワーで仮想通貨マイニング、広告に変わる収入源になるか?」を読み、「広告表示や課金制以外のマネタイズ方法として、仮想通貨マイニングへのCPU/GPUリソースの提供はユーザーにとってはお手軽であり、寄付に近いものとして今後受け入れられていく可能性がありそうです」との記載があったことから、コインハイブに興味を持ってボカロ曲提供サイトの収入源として試験的に導入することにしました。同記事には、同時に「ユーザに無断かつ強制的にマイニングを強いる仕様は許されないのではないか」という否定的な意見があることも記載されていました。
 そこで9月21日にコインハイブのアカウントを作成して登録を完了し、サイトにスクリプトを埋め込みました。これによって閲覧者のコンピュータの消費電力が若干増加したり、CPUの処理速度が遅くなったりしますが、極端に遅くなるものではありませんでした。
 その後コインハイブのほうで公式ブログに以下の掲載がありました。
 9月22日付「ユーザに知らせることなくコインハイブを使っている者もいるが、オプトイン方式でエンドユーザに使用を明示する方策を検討する旨」
 10月16日付「運営開始直後アンチウィルスソフトによってコインハイブがブロックされたためユーザの同意なしにはマイニングを開始しない新たな実装を導入した旨」
 同日付「以前のままでも動作するが、新たな実装を使用することを勧める旨」
 10月30日、ユーザから「ユーザの同意がないのはグレーではないか」という指摘がありました。それに対し被告人(無罪)は「個人的にグレーとの認識はありませんが(略)ユーザへの同意を取る方向で検討させていただきます」と返信しました。
 その後11月8日まで、本件マイニングは閲覧者の同意を取得するような仕様を設けることをしないまま稼働され続けていました。
 本件マイニングにより得られた収益は800円程度であったとされます。

判示を読む

 コインハイブの設置によって、閲覧者の同意なく、電力を消費し、また演算処理をさせたことについては争いがありません。ただ、コインハイブの動作が「ユーザの意図に反していたか」、その電力消費の程度や演算処理の程度が「不正といえるのか」という二点で検察側・弁護側双方が争っていました。
 最高裁は判示で、反意図性はあったとしています。一方で「不正なプログラムかどうかは、社会の信頼や機能を保護する観点から、動作の内容に加え、パソコンの情報処理に与える影響や、プログラムの利用方法などを考慮し、社会的に許容されるものか判断する必要がある」との規範を示しました。これによると、「サイトの運営者が閲覧によって利益を得る仕組みは情報の流通のために重要。被告はプログラムを収益のために利用したうえ、社会的に受け入れられている広告を表示するプログラムと比べても、コンピューターへの影響などに違いはなく、社会的に許容できる範囲」であるとして、不正性があったとする検察側の主張を退け、原審を破棄するに至りました。

 判示にて、インターネット広告と比較しつつ、社会的許容性を判断した点は画期的と思われます。そもそもコインハイブは広告に代わるマネタイズの方法として提示されたものですから、その途を開いたとする論評は一定程度的を得たものといえます。
 注意すべきは、ここで比較したのはインターネット広告のウザさではないということです。争いがあったのはマイニングによる閲覧者の処理負荷や電力消費の程度が不正といえるかであり、その点でいうならインターネット広告の表示にかかるパソコンの負荷と電力消費の程度と比較したものとみるのが妥当でしょう。
 またインターネット広告は引き合いにだされただけであって、別にウザい広告に免罪を与えたものではありません。さらに言えば閲覧者に対して無制限にマイニングを強いても罪にはならないということでもないでしょう。
 反意図性が認められたという点は、逆にこのようなマイニングであっても閲覧者に同意を得ることができれば、少なくとも刑法上の罪に当たるおそれは大幅に軽減されるだろうという予測が立ちます。おそらくですが、今後はCookieのような形で同意を得るサイトが主流になっていくのではないでしょうか。

コンテンツの費用は誰が負担すべきか

 それでもやはり納得がいかないという方はたくさんいらっしゃると思います。なにせ、サイトを開いているだけで勝手にコインが採掘され、そしてコインハイブとサイト運営者にはその利益が分配されるが、閲覧者にはコインが渡らないのですからこの点に不満があるのは、インターネットの純粋な利用者の視点から当然のことだと私も思います。
 本記事はこの点についていくつかの反論を行いたいと思います

個人の持ち出しで運営されているウェブサイト

 まず個人運営のウェブサイトのほとんどは閲覧者に対価を求めない形で無償で維持管理されているのが現状です。その中で少なからぬ運営者がインターネット広告やアフィリエイトなどの形で維持管理費を得るようになりました。
 サイトの維持管理には閲覧者が考えているよりも多額の資金が必要です。特に本件のようなインディーズの音楽配信であったり、イラスト・絵画のアップロードを目的としたもの、また純粋に小説や文章をコンテンツとしたものであればその制作費も含めてマネタイズしたいと考えるのは当然のことでしょう。これはウェブメディアも同様であり、マスコミの記事についても記者の人件費を支払って掲載されているものです。純粋に無料のコンテンツなどひとつもないのです。

鬱陶しくない資金源

 しかし、得てしてこのような広告は閲覧者からして鬱陶しいものです。歓迎する人はほぼいないでしょう。ないほうがいいに決まっています。それは運営者もよくわかっていることです。
 とすると、できるだけ閲覧者に負担をかけないかたちで運営資金を回収できないかと考えます。そこで昨今の仮想通貨ブームに乗り、閲覧者にマイニングしてもらうことでよりウザくないマネタイズの方法を模索していたところでした。
 問題は、広告であれば広告が存在することが目に見えて明らかである一方、マイニングはサイトからの通知がない限り閲覧者が知り得ないという点です。この問題点は、本判決においても反意図性を認めるという形で浮き彫りになりました。
 ところがそのマイニング自体の負荷が微々たるものであればどうでしょうか。それが不正といえるかについて検察側・弁護側ともに鋭く対立しましたが、結果的には不正とはいえない旨判示されて決着がつきました。

納得しましたか?

 それでも納得はいかない人は納得行かないでしょう。言いしれない気持ち悪さはわかります。この点について私見ですが以下に反論を述べます。
 主には閲覧者はマイニングの負担を課せられながらその利益が分配されないという点が問題となるでしょう。しかしこれは2つの重大な見落としがあります。

本罪の特徴

 第1点は、不正指令電磁的記録に関する罪は財産犯ではないということです。本罪の保護法益は「プログラムに対する社会一般の信頼」であって、まかりまちがっても「閲覧者の知らない間に儲けを得た罪」ではありません。ましてや「閲覧者から勝手に財産を奪った罪」では絶対にありません。
 この点、検察側からもサラミ法であるという指摘がされていました。サラミ法とはそういう法律ではありません。一本のサラミを盗むと窃盗罪です。しかし一枚のサラミくらいなら被侵害法益がきわめて軽微であるから窃盗にならないかもしれません。(実際、本邦の判例でも1厘に満たない物の窃盗について無罪判決がでたことがあります。気持ちとしてはティッシュ一枚くらいです)。であるとすれば、細かく刻んだサラミを一枚ずつ盗んで大量のサラミを窃取する行為は、一枚ずつのサラミがごくごく薄いからといって犯罪にあたらないというのか、というものです。それは明らかにおかしいでしょう。
 ところが、このサラミ法という指摘は、本件に限って言えばちょっと外れています。本罪は財産犯ではないからです。
 もっとも、マイニングの態様が極めて悪質であったり、多額の現金を詐取するような仕掛けであったりすれば問題です。本件はそういった類でないことは然ることながら、得られた金額が比較考量の要素にならないわけではありません。
 しかし、その細かく刻んだサラミの薄さが、本件に関して言えば閲覧者に広告程度の負担しか強いていない点は強調されるべきですし、またこれらの利益を総合しても800円程度にしかなっていないのです。
 このような態様のシステムは、果たしてプログラムに対する社会一般の信頼を毀損するものでありますでしょうか。

フリーライドする閲覧者たち

 もうひとつの見落としはより根源的な問だと考えています。
 第2点は、インターネットを利用したコンテンツ配信の費用を誰が負担するか? という問題です。
 コインハイブ設置サイトに来ている時点で、そしてマイニングが成功するほどの長期間に亘って滞在している時点で、閲覧者はそのサイトのコンテンツを享受するという明らかな利益を得ているのです。マイニングシステムはそのコンテンツの維持管理費を賄うために設置されているのですから、コインの利益は提供されるコンテンツという形で閲覧者に提供されているのです。どちらかというとフリーライダーは閲覧者の側であって、サイト運営者はその回収を試みたに過ぎません。
 コンテンツ提供に対して一方的に閲覧者のCPUを用いてマイニングするのは納得がいかないでしょう。でもそのコンテンツにフリーライドしているのは閲覧者です。とすると閲覧者はコンテンツを享受した分だけ何かしらの支払いをすべきではないでしょうか。
 でもしないんです。それが何故なのか、わたしもよくわかります。
 個人的に思い当たる理由は2つです。

細かいコンテンツには絶対に課金しない

 1つは、まず享受したコンテンツに対してお金を払うほどの利益を感じていないという点です。それはそう。そもそも無料でつながるインターネットを利用していて、金を払えというのは些か納得がいかない。
 しかも、体感的に日本人は相当気に入らないと評価をしません。これは私が2年か3年ほどQUORAにいて多くの回答者から指摘されていることですが、欧米の高評価率に比して日本人はマジで高評価(いいねのようなもの)を押しません。私の回答で最もバズったIQに関する記事について言えば、閲覧者が15万人いても高評価は1200件程度。率にして1%にも満たないのです。ただポチッと押すだけの、無料で、手間という手間とも言えない高評価ですらそうなのですから、課金しようなどとは微塵も思わないでしょう。その記事は他の40件のうち39件までとは真っ向から反対の意見を述べ、さらに別の視点から述べたものであり、その有益性がゼロではないと思いたいところですが、当然ながら私のもとには1円も転がり込んではきませんでした。
 ボカロだってそうです。ニコニコ動画には有名なタグとして「振り込めない詐欺」なるものがありましたが、かといってうp主が賽銭箱を設置したところで大した収益にはならなかった。振り込めない詐欺といいつつ誰も振り込まなかったのですから、本当に買い支える気力がある、原義のファン=狂信者でもない限りコンテンツにはカネを落とさないのです。

課金は死ぬほどめんどくさい

 じゃあわかった。100円くらい落としてやろうという気になった方もいるかもしれません。しかし次の罠が待ち受けています。それは死ぬほどめんどくさいということです。賽銭箱が置かれていても、いちいちクレカの番号を打ち込み、課金額を決め、詐欺サイトではないかという恐れを抱きつつ、そして月額課金でないことを注意深く確認しながら、やっと振り込みます。面倒でしょ? だからやらないんです。
 だったら、閲覧者が閲覧しているだけで知らない間に1円でも2円でも振り込まれたほうがよっぽど幸福だとは思いませんか。もっとも、第一審が適法に認定した事実によると本事件における総収益は800円程度だったらしいので、閲覧者は一回の閲覧で100分の1円すら振り込んでいないのです。
 そういった現状にあって、ではインターネットを用いた情報の流通のための費用は、誰が負担するのか? という問題に対して閲覧者は完全にフリーライダーであるといえます。

Wikipediaに毎月いくら払っていますか?

 もし仮にあなたが、そうじゃない、私はコンテンツにきちんとお金を落とす人間だと自負されているのであれば、この記事に対しても500円くらい落としていただけるのだと信じています。本件は刑事事件であり、インターネットに関する記事です。浅くない法律の知見を要し、技術的な背景を知る必要があり、さらに傍聴席にいた人間が書いていて、あなたに賛否の意見を懐かせる程度のまとまった知見を提供しているのです。ここまで読んで、すべて知っていた、何も新しい知見はなかった、全くの駄文だというのであればご自身でご執筆されてもいいでしょう。間違いなくそんなことはありません。破棄自判の意味がわかりますか? マイニングの説明ができますか? 不正指令電磁的記録に関する罪の保護法益はなんでしょうか? あなたは平野先生ですか? あ、だったらシャカセポで申し訳ない……。

 だとしてもあなたは500円を投じないでしょう。わかっています。だって死ぬほどめんどくさいからです。500円が惜しいとか、缶コーヒーの甘さ以下の価値しかないとかそういうことではなく、況してあなたが缶コーヒーを買うお金もないというわけでもないでしょう。死ぬほどめんどくさいのです。
 だったら、それはまさにコンテンツに対するフリーライドにほかなりません。私がこの記事をまとめるのに2時間程度がかかったとしても、刑法・刑事訴訟法・ウェブ技術などの習得にかかった費用は計り知れません。人生の一部ですから。
 それをわたしはなんとも恩着せがましくあなたに請求しているのです。そういうことをいう化学魔とかいう胡散臭い気に入らない人間にはカネを出したくない。
 そのとおりです。いいでしょう。でもせめて、あなたが毎日使っているWikipediaには月額課金をすべきじゃないでしょうか。Wikipediaも誰かが記事を書いているのです。それも専門的な知識を有し、また熱意を持って一事に通じた人間が人生の一部を割いて。私にカネを出さなくてもいい。けれども、Wikipediaに対してくらいは、その知見の集積に敬意を払うべきではないでしょうか。
 あなた自身がWikipediaを閲覧しなくても、何かの記事を書く際に全く参照しないということはないはずです。だとしたら、誰しもが間接的にWikipediaのお世話になっているのです。その意味でインターネット閲覧者の全員がWikipediaに寄付をするのは当然のことでしょう。

結論:コンテンツの費用は閲覧者も負担すべきではないか

 結局の処、インターネットを利用して得られる情報に対して、閲覧者はその費用を支払ってきませんでした。
 そして運営者個人の善意と努力によって積み上げられてきた資産に対しては一定の報いをすべきです。だとしたら、閲覧者が不快にもならない、気づきもしない程度のマイニングによって、一回の閲覧で1円にも満たない資金がちまちま回収できるシステムを導入することで、継続的にコンテンツが生み出されるのだとするならば、それは喜ばしいことではないでしょうか。そうではなくとも、閲覧者個人がそのシステムを気に入らないことがあったとしても、まさか警察や裁判所に連行されるほどの犯罪であるかのような扱いをすることはあまりに不当ではないでしょうか。
 でなければ、あまりに湯水の如く浴びている情報に対して、閲覧者は一つずつ丁寧にお金を出していく必要があります。
 フリーランチはありません。誰かがそれを書いている。
 せめて敬意は払うべきでしょう。

いますぐ課金しろ

 そして今すぐWikipediaに寄付をしましょう。

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