今月の言の葉の庭 前言

 言の葉の庭に関する詳細なネタバレを含みますのでご注意ください。
 また、この論評は客観性のあるテキスト分析ではなく、本作品と私との交点を求めるものであることを先に了解していただきたい。

前言

 最も好きな映画はなにか、と訊かれたら、迷わず言の葉の庭を挙げる。
 当然のことながら新海誠作品の中でも一番に推したい。
 この作品から受けた影響は計りしれず、日常レベルで無意識に推定している行動や思想の根拠となっていることに気づくことも多い。
 理由は単純で、かなり長い間毎月観ていたからである。

 いつ出逢ったかは忘れた。ただ、公開が2013年の梅雨入り前であること、また私が最も苦しんでいた時期に符合することから遅くとも2014年にはどっぷり浸かっていたと推察される。

物語の展開

 物語としては、雨の日の一限をサボって新宿御苑にいく15歳のタカオと、そこに偶然居合わせた謎のお姉さんとの邂逅を巡るものである。そのお姉さんの正体が、実はタカオと同じ高校の古典の教師「ユキノ先生」であり、三年生との行違いから授業をボイコットされる(漫画版より)などの深刻な”いじめ”に遭っていた校内の有名人であったことが明かされる。そしてその事実を知ったタカオとユキノ先生は新宿御苑で再会し土砂降りの雨を浴びて服を乾かすために先生の自宅へと誘われるのである。

 ストーリプロットとしてはたいていこんなものである。物語のキーポイントとなる万葉集からの二首、また新海誠が(秒速5センチメートルを描いていながら)「初めて恋を描いた」を主張していること、そして作品自体が46分と大変短いものであることなど多くの特徴を持ち、なぜか一度観て満足しておきながらまた観てみたいと思わせる不思議な魔力を有していた。

その私的なカタルシス

 結果的に月に一度、特に研究室での苦難に耐えかねる当夜までの一週間を含め頻繁にこの映画を観ていた理由はよくわからない。ただ私が初めて映画作品を自分の人生に引き直して読んだ作品であることは一つの要因であり、二回目以降もやはりその時の人生の通過点と重ねてその交点を求めながら読むことで毎回毎回なにかのカタルシスを得ていたことが大きな理由となるのは確かである。

 よって、この作品の分析は、言の葉の庭のテキスト分析ではなく、この映画を通じた自分のその時の人生の分析としてしか読めなくなった。もはやタカオも、ユキノ先生も、他人ではなく自分であるとしか思えないのである。
 そのためこの作品に対する批評または分析は一貫して客観視を放棄している。どちらかというと、自分の人生に対して15度の客観視を与えるものとして読んでいると言っていい。

これは批評ではない

 以上のことから、この作品の批評が合っているとか、間違っているとか、解っている解ってないという指摘は失当である。なぜなら常に私の人生に対する投射として読めるものを拾っているだけであり、その時の感想はすべてその時点のその人生の通過点における自己分析として15度の傾斜をもって当たっているとしか評価し得ないものであるからだ。その意味で、もはやその分析自体が一過性のものであり、また別の時点で観たときと180度言っていることが違うということも当然としてあって絶対的にはすべての批評が根本から的外れであることを承知の上で内々に了解していた感想に過ぎないからである。

 言い換えれば、これは小学生の書く読書感想文である。あれで賞を取る唯一の方法は隙きあらば自分語り一点である。本文中の引用など一箇所もあればいいほうで、徹頭徹尾自分語りしかしないのが「読書感想文」としての正解である。であるから、全く意味不明な感想を内包していること、またどうせ私の人生というどうでもいい問題についてしか論じていないことを承知の上で、物好きな方だけ読んでいただければ幸いである。

 これを note に公開した理由は、上記の理由から今まで公開に適さない私的な感想であることを重々承知していたため一切のメモを取らなかった自分の不覚に気づくとともに、ついでだからまあ自分の闇について興味のある人には内臓ですらも旨そうに見えるのだろうという露悪的趣味の帰結である。

 以上ご承知の上でお読みください。 かしこ


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