ニセ科学と「賢い人」の説明能力

「本当に賢い人は難しい物事を簡単に説明できる」
というフレーズがまことしやかにささやかれているらしい。

こんなのまやかしでしかない!!!というのが私の意見である。なんなら、こういうことを言うからニセ科学が尽きないし、それで儲けるやつがいるんじゃなかろうか。

しかし、まやかしであると主張したところで、それは一方的すぎて支持を得られないだろうとも思う。

世の中には「賢い人」という人種がいるらしい。
けどそれがどんな人なのかはよくわからない……。

とするとき、「賢い人」の最も尤もらしい定義とはなんだろうか?

ということを考えると、自ずと「賢い人は難しいことを簡単に教えてくれる人」に収斂するはずだ。

その説明をすると、それは先生ではないか、と思うかもしれない。それは、ある意味では正しいが、先生がみな聖人とは限らない。

先生は賢い人

まず、難しいことを難しいままでは理解できないから、難しいのである、ということを認めていただきたい。これは必ずしも真ではない(反例として、経験則で把握はしているが内部構造や機構を解明したわけではない、などがある)が、このような例を除いても論を妨げないため、除かせてもらう。
すなわち、難しいものとは、難しいままでは理解できないものとして話を進める。


その難しいものであるが、しかし難しいことのなかには一定の価値がある真実を含む場合が多い。教科知識であればテストの点数が取れるし、そもそも生活の役に立つ。またガンになる仕組みであるとか、新型コロナウイルスの真実などというものは、理解するために大変時間がかかるはずであり、よって定義から難しいものであるが、しかしこの真理を得られるとなれば知りたいと思う人は多くいるはずである。すなわち、難しいものには価値があり、そしてヒトには自分にわからない難しいことを知りたいという欲求がある

先生は語るが

しかしできることなら最低限の努力で済ませたい。これはもうめんどくさがりのホモ・サピエンスの宿命である。可能な限り手間を省いて、知恵という果実を得られるなら得たい。

そしてヒトはまぁ普通に暮らしていれば喋れるし、話も聞ける。とすると、文字よりも可能なら話を聞くだけで終わらせたい。そう思うのは当然のことだろう。

とするなら、簡単に真実を述べ伝えてくれる人ほど有り難い者はいるだろうか。
彼らは薄い板を通じて我々に語りかけ、簡単に試験で点数を取る方法、新型コロナウイルスを覿面に無効化するグッズや、食べるだけでガンを治す薬、そのようなものを格安、または無料で教えてくれる。我々は、その無料で得た知識により、塾や予備校に多額の投資をし、グッズを買いあさり、納豆を買い占めたりする。ときに効きもしないお守りや健康食品のために家を売ったりもする。

先生はみな詐欺師である

これが賢い人の正体である。要はそんなひとは詐欺師でしかない。しかし受け取り手はこれを見破れないのである。

かくして、ニセ科学は蔓延る。この問題、様々な指摘があるだろうが、やはり「賢い人は難しいことを簡単に説明できる」という集団幻想が片棒を担いでいるのは間違いない。

いままで先生だと思っていた人は、実は詐欺師である。この事実に例外はない。なぜなら、難しいことを簡単に説明している時点で、何かしらの捨象を経ているからである。そして捨象した事実が相対的に小なること、または無視できる論点であることを、正確に説明できて理解させることができるのなら、もはや聞き手は先生と同等の知識を持つ。実は捨象した事実に捨てきれない真実を含むと看破できた場合にも、同様に教える理由がない。

学問に王道なし

この論理はヒトの自然的本性であって、みな陥る罠のように思える。すなわち、この世に素朴な意味での賢い人などもとより居らず、すべて詐欺師と被害者に別れるような、気がする。しかし実はそんなことはない。

間違いなのは面倒だから勉強しないという部分だ。賢い人は、みな何かしらの意味で学び、研鑽を積んでいる。その果実を正当に受け取っているだけで、なんらやましいところはない。

そもそも何かを極めるにおいて、初歩的な、間違いをふくむ理解から、精密な理解に研磨していくより他に王道はない。これが一気に本質を衝く、などという方法があるなら、それこそ詐欺である。学問をするなら、言い換えれば賢くなるなら、自分でカリカリと勉強して、様々な専門書を読み比べるほかに方法はない

ないが、最初から専門書を読みこなす素人もいない。ここのギャップにどれだけ耐えることができるかによって、人の賢さは決まるのである。天才などというものがもし存在するなら、それはどれだけ我慢強さを与えられたかのパラメータ一本で8割は決まるだろう。結局、最初の一歩としての先生は必要だが、いずれは詐欺師と看破する必要がある。

必要だが、棄てなければならないもの。それが先生であって、初心者本であって、テレビやネットやtwitterである。底に真実があるかは、自分で歩いて取りに行くほかない。もしそれを怠るなら、もうその瞬間に詐欺にあう覚悟はしたほうがいい。少なくともわたしはRTした瞬間に覚悟している。

サボりたいのが世の常で

とはいったものの、世の中の9割までが自ら進んで勉強などしないであろうことは知っている。理由はかんたんで、面倒だし、鵜呑みにしたほうが面白いし、仮に鵜呑みにしなかったらがっかりするだけに決まっているからだ。

とするなら、ニセ科学やテレビのデマまがいの健康番組、反原発運動、様々な社会運動、偏向報道、それらに対して如何に反論しようとも、聞く耳など持つはずもない。つまらない真実は彼らにとって腐った果実である。そんなことより、納豆を食べればガンも新型コロナウイルスも退治してくれるという夢を見たほうがよっぽど楽しい。

わからないのは説明が悪いから

それは怠惰そのものだが、ヒトは怠惰な生き物だから仕方がない。そのうえ、「賢い人は難しいことを簡単に説明できる」ときた。そうとすれば、怠惰なのは知識人のほうであり、我々が理解できないのは賢い人がきちんと説明責任を果たさないからだと抗弁できよう。ここまでくれば、もはや自ら努力して読書をしたりテレビを消したりすることはする必要がない。悪いのは知識人のほうである。

おわかりかと思うが、この集団幻想には自己強化スキルがついている。自分はわからない。わからないのは賢い人のせい。賢い人は説明しないし、詐欺師が集まってくる。よりバカができあがる。

この自己強化を支えるのは「賢い人が難しいことを簡単に説明してくれないのはおかしい」という妄想である。

しかしこれを打破するには、集団幻想の信者に改心して自ら机に向かってもらわなければならない。子供ならともかく、できた大人にもうそれは無理だろう?

バカを諦めろ

というわけで賢いみなさん!

バカを説得するのは諦めましょう。

もう騙すしかない。不正確で、漠然として、的はずれな喩えをつかって、言いくるめるしかない。

そこに善性が僅かでもあるのなら、もはや我々は沈黙を守るほかに、ないであろう?

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