度重なる反省の反省

 ただの整理のために書いてみる。最近いろいろと事件が起きすぎて混乱してしまい夜も眠れず昼寝もしてない。そろそろぐっすり寝るべきだ。そのためには吐き出せるものは吐き出しておいたほうがいいだろう。

 反省の定義

 ある時期から、とりあえず反省することにした。といっても『しょぼくれて申し訳無さそうな顔をする』のではない(なお、そう演技することは社会性の一種であるから有効な相手にはよくやる)。
 原義の通り自らを省みるのである。
 
 なぜこんな失敗が起きたのか。
 自分にできることはなかったのか。
 それは一般化しうるか。
 
 要件としてはこんなものだと思う。

 いやまぁどうせ恋仲に何も言わず去られたとかそういう至極どうでもいい笑い話を契機に話しているに違いないのだが、もうちょっと引いた目線で考えることにする。
 この反省の定義、仮に一般化しうる条件を満たしていたとしても、やはりそれは場当たり的な反省の域を出なかった。私の行動は『なぜあのときこうしなかったのか』という反省の結果の累積であるが、根本的に『その状況を招いたのはなぜか』まで徹底して反省しなかったのであった。

 優しさの理由が知りたい

 響けユーフォニアムの『優しいなんて、他に褒めるところが無い人に言う台詞でしょ!』はかなり好きで、私の中では優しさの一つの特徴付として機能してすらいる。
 他に褒めるところはない。根源的な自己愛の欠如も含めて実際そうだと思う。頭がいいじゃない、とよく言われるけど、学校歴も含めてこれは後天的に獲得した形質に過ぎず、元々持っているものとして認識していない。頑張っているかもしれないが、それは後天的な持ち物に対する『適法な占有権原の主張』のために存在していて(私は嫉妬心で青春を壊されたので嫉妬がとても嫌いだ)、それすらも自分がなぜそれを有していいのかを担保しない。
 その甘美な自己罰的陶酔は覚醒剤のごとく自己にまつわる問題を先延ばしにしてきた。

 思い遣りがないひと

 私が『優しさ』にこだわるのは単なるトラウマで、ただ最初の恋仲よりかがくまさんって優しいけど思い遣りがないよねという言葉をもらってからずっと棘が刺さりっぱなしなのである。このまえ干支が一周したことに気がついて自分でも呆れた。
 発言の趣旨はこうである。優しくしてくれるときはとっても優しいけど、それは意図的に優しくしようという意思があるときに限り、その意思がないときは徹底的に冷たい人だということらしい。なるほど確かに私はもともと冷たい方の人間で、デフォルトのスイッチが可及的客観視であるからそうなるような気がする。
 たまに気を許すとデフォルトの私の表情を見ることができると思う。みんなして怖い顔をしているという。そうかな、と思ったがこのまえ写真を撮られたので見てやった。なんか深刻な顔をしていてびっくりした。そこに優しいだけのかがくまさんはいなかった。なにも取り柄がなかった。

 優しさの獲得

 そういえば小学校2年生のときだったか、クラスメートが何らかの事情で一同憤っているところ「それは相手方の事情を鑑みると同情しうるのでは?」旨発して大バッシングを受け、そして周囲の目からして仲が良いと認定されていたクラスメートから『お前がそんなことを言うなんて信じられない!(=なぜ俺の味方をしなかった)』として殴打されるという事件があった、らしい。私は覚えていないが母がたまに話すから聞いた話として知っている。
 こういう人は冷たくて、思い遣りがないのだ。思い遣りというのはたぶんもっと然り気なく何気なくさらっとやってしまうもので、頭をはたらかせて合理的に判断するものではない。ではこれを獲得するにはどうしたらよいか?
 と小学2年生は考えて、結局社会的正解行動を猛スピードで学習した。
 よく考えるとその頃からモテていた優男がいて、彼は本当に然りげなく人の喜ぶことをしては、帰りの会でクラスメートから褒められていたのだった。なるほど、ああすればよいのか。

 そうして何かを履き違えた20年が始まった。正確にいうと、その頃からできるだけ相手の納得のいく答えを事前に用意するようになった。結果的に元々冷たい性格の私はかなり優しくなって、他人のことをよく考えて行動するようになった。模範的な生徒だったと思う。
 気づくと教諭の攻略法まで手に入れていたので、中学で学ぶことがなくなった二年生の春からずっと舐めプを続けていたのに何故か通信簿の授業態度は満点だった。
  特に意識したわけではない。相手の目を見ていると、相手のほしい言葉や行動が分かってしまうようになったのである。
 そういえば愚かな体育教師が兵庫県南部地震の発生時刻を『5時45分』などと誤って主張したのに訂正しなかった。よく考えると他人が間違ったことを言っていても徐々に指摘しなくなった。簡単な話で、今で言うドヤ顔を読んだら気持ちよく喋らせるのが相手は気持ちよくて、正しい情報など欲していないのだと学習しただけだ。だから他人の前ではほとんどいつも同意と承認しかしない。うふふ、と笑うのが得意になった。特に何も言わず、そうだね、そうだといいね、というように無責任に笑うようになった。なんだかぎこちない時期だったが、必要な過程だったと思う。

 恋仲の要求

 私は優しくなったと思う。中学生はともかく高校生にもなると自信のコントロールもできるようになり、知的なハンディキャップもなくなったので次第に変わりものの話が面白い先輩として認識されるようになった。何人かの後輩から想いを寄せられていたようだったが、結局最も誠実に関係を築いてくれて、私のことをよく見ていたひとがいて、最終的に非常に長い告白を奇貨として交際を始めた。高校3年生の、10月末のはなしである。年明けの初詣では彼女の幸せと引き換えに大学入試に落ちてくれと願った。
 彼女はいつのまにか私のことを好きになっていて、どんなところでも受け入れると宣言した。そんなわけがない、と過去の失敗から学んでいた私は恐る恐るATフィールドを解除していったのだが、或る日何も遠慮しなくなった。
 それでも彼女は呆れながら受け入れてくれた。ただまぁ、若さをぶつけすぎた気がする(今でも反省している)。結果的に完全に気を許して彼女と過ごすようになると、会ってはケンカして和解する日々になった。
 その時の言葉がそれである。『優しいけど思い遣りがない』。なるほどよく見ている。こんな的確に私の態様を表した言葉はなかろう。
 ただ、どうしたらいいかわからなかった。ふと小学生の頃の優男を思い出す。あんな感じで然りげなく何気なく、無意識に心の底から一部の隙もなく思い遣りに溢れた心は持ちうるかというと、たぶん持ち得ない。もっとも外形的に相手の要求を満たせば趣旨に適うと解し、優しさを強化することで要件を満たしえないか。
 以下検討する。そうなのだ、もっと相手のほしいものを与えればよい。どうしたい? どうしてほしい? 最初は訊いてみたが、大抵『言わなくてもわかってほしい』と言われる。めんどく……普通自分のしてほしいことなんて言うのは恥ずかしいし読み取ってほしいだろう。だから相手の要求は読むほかない。
 そのうちわかってきた。実家にねこがいるが、要求は『ごはん』『外出』『撫でろ』『遊べ』『見て』の5つしかない。人間もそうで、恋仲の要求は実は有限個に分類されることに気づいた。あとは別れて付き合う度に新しく学習するだけである。めんど……高々有限個のツボを押さえれば円滑にすすむのでそうすればよいのだ。学習コストは思いの外高かったが払う価値はあったと思った。
 ある時期の恋仲は『かがくまさんは相手のしてほしいことをしようとする。そしてそれが微妙にずれていることを認識している』とまで評して、そしてテニミュの俳優に似た彼氏のもとに去った。言えよバカ。また反省をしたのだが、もう絞りカスみたいな感じになってきた。大した改善点も見当たらず、結果的に今の方針がまだ達成されていないのだと赤軍みたいなことを言って邁進した。

 相手と幸せ

 そのうち気がつくと相手が喜んでくれるのがとても嬉しくなった。これはもはや恋仲に限らず、様々な人間関係においてそうだ。安心するし、機嫌がコントローラブルというのは達成感も優越感もある。
 当然に相手の幸福が第一になった。自分の幸福は相手の幸福により副次的に達成された。なにより相手が幸せそうにしてくれるのが嬉しかったし、以て隣にいる意味があると本気で思っていた。次第に恋仲も親友(大爆笑)も私に対して『自分の言うことを聞くか』という立場で物を言うようになり、気づかないうちに大変疲弊した。
 そして私は神経衰弱になった。

 精神的去勢

 これはそのうちうまく行かなくなった。単純に彼女ができなくなったし、できてもすぐ破綻する。
 何故だろう。と考え始めたのが修士課程に入ってからで、そこから5年間は灰色の生活であった。研究室もブラックだったし、毎週木曜日は『心が叫びたがってるんだ。』とか『君の名は。』とかを繰り返し見て、人知れず泣いて、帰りにシューティングバーに通って教授に見立てた犯人を銃殺して鬱憤を晴らす日々だった。研究はうまくいかないし、プライベートも不振でなんの意味もない時間だった。

 散々反省した。なぜ失敗したのか。なぜうまく行かないのか。よく考えたが、もはや生活と研究のすべてを好転させる方法を思いつかずに、死が唯一の救済であると信じて一回人生をやめることにした。
 それから何も考えない日が続いた。やはり失敗ばかりが続くしなんかうまく行かない時間を過ごしつつ、なんとなく就職し、なんとなく東京にきた。東京は心が死んでいる人にとっては暮らしやすい。
 或る日とあるクズに紹介された汚物にたかる蝿よりも醜い彼女に出会って、もちろんどちらの心も死んでいて、あまりの事態に混乱していたところカウンセリングの介入が始まった。この件は珍しくかがくまさんが他人を罵る姿が見られる貴重なコンテンツとなっております。

 要するに、長い過剰適応の結果として自分がなくなっていた。
 なくなっていたというのは、もはや自分がなにがしたいのかわからないという生半可なレベルではなくて、強度に抑圧されて他者に怯えた結果、精神的に去勢されていたのだと思う。この言葉は私がいま考えたもので、カウンセラーの言葉ではない。精神的に去勢されたオスになってしまったのでクソガキの玩具にしかならなかった。クソガキの玩具は抵抗しないし、牙も向かないし、ぶん投げられても何も言わない。それはもう人間として何か根本的な価値を放棄して、ただの物(民法85条)になった。

 わたしのなにがいいところなのか、いまでも思いつかない。そういえば、優しいけど思い遣りがないとため息混じりに伝えた彼女はなんか言ってたっけか。かっこいいっていってくれたな。自信たっぷりで、考え方が大人で、上から目線で、ほかなんかあったっけ。忘れた。わすれたというか、言われてもしっくりこない気がする。
 完全に去勢された。自分には何もなく、なんの尖った部分もない。奈良公園の鹿よろしく尖った角は危ないから切り落とし続けた結果がこれである。なんにもいいところがない。もはや優しさすら癖になっていて、絶対に他人を傷つけないナイフになった。

 やりかたが間違っていた。優しくなろうとしたのがそもそも間違いだった。もっといい方法があっただろう。それを自ら角を折って、牙を抜いて、段々と相手の要求が苛烈になるたびに武装解除するなんておかしいことだった。この実験は失敗だった。新たなやりかたを模索しなければならない。

 なんだっけ

 自分がなんだったか忘れた。
 忘れたが、好きなことをして、好きなように暮らし始めてから好転しはじめた。下手な小説でも書いてると楽しいし、法律も骨があってやりがいがある。仕事はまぁ、適当にやることにしよう。
 そのうち何もかもどうでもよくなった。他人をどうこうしようなんて、はじめから無理なことだったのだ。もうなんでもいい。嫌うなら嫌え。好きなら好きでいいが、嫌うなら嫌え。めんどくさい。どうでもいい。いつ何時誰が翻意しても責める気にもなれない。どうせ何にも理由なんかないし、何を言われても勝手な都合に付き合わされる。
 そして同時に『諦めてほしい』というようになった。自分のことも操作し得ないのだから諦めてほしい。思い通りにならないときは何も言わず諦めてほしい。
 怒ったり悲しんだりしてもいいけど、なんもできん。知らん。
 こういう感情は30年生きてきた自分の人生に対する怒りなんだと思う。自分が自分に対してひどく扱いすぎて他人から自分を守れなかったことへの怒り。ただ拗ねて、嘆いて、喚いて、最後は無気力に寝込む。もう何にも期待しないし、誰からも期待させない。

 もういいよ

 久しぶりに恋仲ができたかと思った。もうただ一日一日が幸せだった。翌日起きて、LINEの返事が来なくなって、気がついたらブロックされていた、なんてことがあっても全然悲しくない。その日の幸せはその日のもので、翌日は翌日考えることにした。ただ一日を楽しみ、ゆったりと眠って過ごした。
 その日が来た。悲しくなかった。ただ幸せだった。ありがとう。楽しかった。君のような貴重な人に二度と会わないのが残念だ。
 大したことはなかった。一日一日の幸せはその日のものだったから、或る日の悲しみもその日の悲しみだった。何事もなかったかのように過ごして、毎日起案してTwitterでわーきゃー叫んでたら楽しかった。
 もうなんでもよかった。何にも期待しないし、誰にも期待させない。

 もういいよ。私に何を感じてもいいし、どう思ってもいい。そもそも、初めての恋仲があんなに心を開かせてくれたのに、彼女が私を好きになった理由すら知らないのだ。物事に根拠はなく、何をしても私には変えようがない。だから、嫌うなら嫌っていいし、好きなら好きでいい。いつ何時その態度を翻してもいい。玩具なら玩具でもいい。但し動き方は思い通りにならないかもしれない。そのときはできれば投げつけたりしないでほしい。
 いいよ。ごめんね。女の子だもんね。仕方ないよね。大丈夫だよ。ううん、わたしは平気だから。ぶつけて構わないよ。おいで。

 ただの戯言

 これはただ拗ねてるだけだから安心してほしい。
 あなたが思うより幸せです。

お気に召しましたらちゃりんとお願いします。メッセージ、感想等お待ちしております。