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東海遊里史研究会トークイベント「"見る"から"知る"東海地方の遊廓」に参加して

はじめに

2024年(令和6年)4月27日、名古屋市中村区・新大門商店街にあるソイロ3階イベントスペースにて開催された東海遊里史研究会のトークイベント「"見る"から"知る"東海地方の遊廓」に参加しました。
東海遊里史研究会さんのトークイベントは初参加でしたが、どのようなイベントなのか興味津々で名古屋へ向かいました。


イベント概要

会場

会場は名古屋市中村区の新大門商店街にあるソイロビル3階。1階はDIY工房(ものづくりの現場)、2階はチャレンジショップ(お店を始めたい方を後押しする場)、3階はイベントスペース&ギャラリーという”ものづくり”と”まちづくり”の拠点というコンセプトの建物。
もとは1階が衣料品店、2階と3階が住居スペースだったとのこと。
北西側には妓楼建築が複数あり、3階イベントスペース横のベランダからは黒く塗られた建物の側面や重厚感のある瓦屋根が見え、当時の繁栄の様子が窺えます。
ソイロビルがある場所もかつての中村遊廓の一角であったとのこと。1957年(昭和32年)に施行された売春防止法後に妓楼建築が取り壊わされた場所です。

<写真>会場のソロイビル

東海遊里史研究会とは

東海遊里史研究会は遊郭研究同好の同士、ことぶきさん、春は馬車に乗って<春馬車>さん、自然誌古典文庫D室さんのお三方による組織で、大学や研究機関などに属していない愛知県を中心に遊廓の研究活動している民間の研究者です。
2021年(令和3年)10月に第1回研究発表会を行い、これまで3回の研究発表会を開催、いずれも満員御礼の盛況です。内容も愛知県を中心とした各地域の遊里史を趣向を凝らした形で研究発表を行っています。
これらの研究発表会に加えて、書籍『東海遊里史研究』の執筆、郷土史本などへの寄稿、まちあるきガイドなど、精力的に幅広く活動されています。


イベント内容

今回は、東海遊里史研究会のことぶきさん、春は馬車に乗って<春馬車>さんがプレゼンターでした。
最初は雑談も交えながら会場を温め、その後、公娼と私娼という遊廓の営業形態、公娼と私娼という観点から見た遊廓の歴史について解説され、後半の「空から見る東海地方の遊廓」では国土地理院の航空写真を元にして東海地方各地の遊廓が紹介されました。

初めに名古屋市・中村遊廓や稲永遊廓、次いで岐阜県多治見市・西ヶ原遊廓、三重県四日市市・住吉遊楽園、旭新地、名古屋市・城東園、愛知県豊川市・円福荘、碧南市・衣浦荘と続きました。
稲永遊廓住吉遊楽園などは、何枚もの航空写真を使い、変遷がよくわかる丁寧な説明がなされていました。
多治見市の西ヶ原遊廓はかつて私が住んでいた土岐川縁のマンションのすぐ近くということもあり、懐かしさを感じましたが、当時、そこがかつて遊廓であったという雰囲気は感じなかったので、少々不思議な感覚に陥りました。

<画像>1940年代 名古屋駅から中村遊廓周辺
国土地理院航空写真より

地方都市は名古屋のような大都市と違い文献が少なく、書籍レベルでの情報はごく僅か、現地の地方紙や郷土史などにも僅かに残る程度なので、遊廓関連の情報は簡単に触れることはできない。そういう意味では、普段、触れることがなかなかできない情報を使っての身近な地域の遊廓が紹介され、参加者の反応は上々であった。航空写真を使うことで、当時の街の様子が再現できること、また現地の写真を多用することで、より分かりやすく身近に感じてもらうような努力の跡が感じ取れました。

WikipediaやSNS、他のネット情報などからある程度の情報は得られるこのご時世で、遊廓というある種ネガティブ、かつ繊細な分野について、ともすると情報が少ないばかりに既出の情報を信じてしまうことがあるが、お二人の偏った見方や憶測に頼らずに、コツコツ足で稼いだ調査結果を一つずつ積み重ねて提示するというスタイルは、この分野の研究をしていくうえで非常に大事であることを再認識しました。

SNS等では誤った地点が遊廓跡地として紹介されることもあるとのことで、今回、代表的な事例として「玉突」という看板が残る多治見市の西ヶ原遊廓が挙げられました。私もこの看板は見たことがあるのですが、「玉突」の建物周辺は単に遊廓の隣接地にある歓楽街であるとのことのようです。

最後に、現地を訪れる際に「こそこそしないで堂々と挨拶する」「きちんとした服を着て歩く」というのが非常に印象的でした。旅行者というのは、地元の方々からするとただでさえ浮いた存在に見えるため、地方都市における調査方法としては、一番大事なことかもしれません。


イベント終了後の感想

かつての遊廓建築、カフェー建築、赤線時代の建物などは、行政などが関与して保存や活用の取り組みがなされている近代建築とは異なり、10年後、20年後に消滅している可能性は高い。映える建物、象徴的な建物がなくなった時に遊廓に興味を持つ方がどれだけいるか、という視点は遊廓建築を保存、継承していく上では非常に重要である。

京都府八幡市の橋本遊廓跡は個人の方が遊廓跡の建物を購入し、旅館に改装、さらに隣接した2つの妓楼跡を購入したことで、結果として遊廓建築が保存、活用されるという、行政などが関与しない稀有な事例である。

<写真>京都府八幡市 旅館 橋本の香(旧 三枡楼)
<写真>橋本遊廓跡 旧大徳に残る遊女をデザインしたステンドガラス

個人的な感覚ではあるが、東海地方はこれまで比較的多くの遊廓だった建物が残っていたように思う。しかしながら、近年、所有者の高齢化、維持費や相続、耐震基準など問題もあり、少しずつ取り壊わされている。文化財として指定されている建物すらやむを得ず解体するという事例もあることは非常に残念に思う。

今の日本において、「遊廓」というものには決して良い感情をもたない地元の方々が多くいるのは事実である。この感情を否定することはせずとも、どのように寄り添い共存していくかというのが、今後、遊廓建築を保存、継承していく上での課題であると考える。


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