思索二題 2022/09/03

【宗教と政治の問題】

指摘の部分を敷衍してみると以下のようになるのではないかと思量する。今は、いろんな意味で本来の日本に立ち返るべきであろうと思う。現状は半島系(宗教への取り組みが不自然な)の影響が強すぎることも背景にあろう。

我々は聖徳太子の思いを実現できていないということになろう。「十七条の憲法」の一条が「和(にぎ)を以て貴しとなせ」であり、二条が「篤く三法(大乗仏教)を敬え」である。一条が日本の政治(公)の在り様であり、二条が日本人(私)の心の在り様に仏教をと言う事であろう。

政治に宗教を持ち込むことは御法度であり、景教にも通じていたといわれる聖徳太子は教義宗教は端から度外視している。神仏習合は聖徳太子から始まるのであろう。その聖徳太子一族は皆滅ぼされた。

政治に個人の精神に関わる宗教さえも関わっていけないのが日本の不文律である。その後の歴史でも宗教問題は発現する。鎌倉時代・戦国時代・明治維新においてである。現在も政治に宗教団体が口を出すことが許容されているが、それはあってはならないことなのだ。

【人間社会の大局動向】

大局的な観点からすると平井さんに同意することになる。ざっくりと以下にその説明を行う。半導体は重要ではあるが、小局の問題であろうとみる。

現在の情勢は、恐らく似て非なる形で第二次世界大戦に至る過程をより複雑にしているものとして捉えることができると考える。国名で挙げて対立を見ているが、戦争に近い対立を引き起こしているのは、グローバリズム勢力とコミュニズム勢力だろう。共に当時から大きく変異している。

グローバリズム勢力は米国をここ30年間程を主導してきたグローバリスト(特定資産家・投資銀行家・特定政治家や政治グループ他)であろう。コミュニズム勢力は直近ではプーチンであり習近平であり、他には変質した特定の権威主義勢力(例えばWEF等)であろう。

第二次世界大戦の勝利者はグローバリズムとコミュニズムであった。コミュニズムはソ連の成立で革命時期と戦争時期を経て国家運営の時期に入ったが、結局は新たな仕組みを産み出せず旧露西亜帝国を復活させ、欧米地との国力競争で負け自滅した。その後の露西亜も近代化は実現できなかった。

中共は毛沢東路線でジリ貧になったが、周恩来と鄧小平の路線修正で回復した。天安門事件の失敗を契機に江沢民とグローバリストとの連携で、支那人民を搾取する仕組みと日本他からの資金と技術の窃取で、更には米国市場を利用することでグローバリストにも膨大な富の配分がなされ歪な台頭を果たした。

習近平の登場で中共の本質(華為秩序の確立)に覚醒した米国(その代表がDJTである)が対峙姿勢を議会を中心に推進してゆく。DJT政権(ワシントンDCの沼の洗濯)が誕生し貿易交渉から始めてゆく。後半はポンペオ国務長官による人権問題提示による中共の封じ込め政策が発動される。

初期の安部晋三氏による「開れた印度太平洋戦略」が、DJT政権による支那(中共)の欧米日先進諸国との「分離戦略(形を変えたブロック経済の出現)」に発展してゆく。2020年米大統領選挙と中共ウイルス禍(これらには奇妙な要素がある)があり、DJT政権が退場しJRB政権が誕生する。

JRB政権の奇妙な動向でDJT政権が推し進めていた「分離戦略と米国再興」が頓挫してプーチンによるウクライナ戦争に繋がる。習近平は毛沢東路線を復活させ、香港を吸収し念願の台湾に迫ろうとしていた。ゼロコロナ政策が、限界にきている「支那経済」を一層収縮させることになる。

世界経済にも大きな影響を与える。現在は、第二次世界大戦の勝利者であるグローバリズムとコミュニズムの其々が最終的な状況に至っているであろう。伴に、その限界にきているが内部的に自浄作用が効かないことより突き進むしかない。安部晋三&DJTは「穏健路線」で対処してきた。

相手に自戒能力が無く「力に頼る路線」を示している。国同士の戦いではないが、複雑な対立構造が露呈してゆく中で、「第三次世界大戦」がどの様な形になるか明確には捉えられないが、その方向へ進んでいるのが現在の人間社会であろう。

この時期に、安部晋三氏は再登板(日本が新たな形で貢献する)が必然的に予想(期待)されたが、その芽を摘み取られた。やはり、第三次世界大戦へ持っていきたい勢力はいるようだ。日本の政治家や官僚や経済人に大局が見える人物達が殆どいないのがなんとも歯がゆいが。


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