ふと浮かんだ思い 2022/08/21

今日のTBS「がっちりマンデー」に触発された。特に、調理ロボット(疑似人間ではなく調理機能が体系的に構造化された代物)によるお店である。食品工場の特価版を店にしたようなものである。人手不足というがこういう解決方法がある。

恐らくロボット技術は限りなく発達してゆく。適用範囲も広範になってゆく。こうした試行錯誤が次なる変化を生み出してゆく。日本は基本的に留まることをしない伝統と慣習があるであろう。こうした努力が各界で行われれば日本は大きく変化し充実してゆくだろう。

明治維新以来、西欧化に邁進してきた。150年程経過してこの間の経緯を踏まて、人間社会の転機に日本は本来の日本を取り戻し西欧化の反省に立ち失ったものを新たに昇華した形で取り戻し、内在する問題で混沌としてきた西欧近代科学技術文明を超えて、「新たなる日本」の創造に進む時期であろう。

話を大きくした。日本は悲観論が蔓延しているが、実際は日本は「力」を蓄えてきているだろう。それが大きく発揮できないのは、それを解放する本来の日本的なるものを踏まえた政治家や官僚や経済人が生まれてきていないからだろう。国民の責任でもある。

明治維新からは西欧列強に伍してゆくために優秀な官僚養成を旨とした教育方針であったがこれを大きく変えなければならない。遅きに失しているだろうが取り組むべき課題だろう。中央は安全保障・外交・秩序維持・国民共通にして、他は地域の自立と自律による発展と充実にすることである。

今の人間社会では、各国が同型ではあるが出自による違いがあり解決すべき問題を抱えているだろう。特に、日本の隣国勢は近代化が達成できず大きな問題を抱えている。そのはけ口を日本に向けていることは否めない。こうしたことも踏まえて、歴史的大局観に立ち、国家観を鍛えて日本は進むべきだろう。

ここまで大分に趣の違う話を混ぜているが、根っこは一つである。人間社会を近代化を境に分けると、それ以前は文明と教義宗教(一神教)の世界であり、それ以後は文明とグローバリズム(信用価値(富)の独占)とコミュニズム(権威の教義化と強権化)の世界で、人間社会はそれらの克服の時期に来た。

日本は人間社会で特異な立ち位置を確立してきた。本来の日本の持つ「中今」の精神文化がこれからの人間社会の進む方向性であろうと考える。日本は明治維新よりその精神文化を希薄化させてきた。完全に失われた訳ではない。不幸中の幸いである。恐らく新しいものが生まれるのは西欧を昇華した日本であろう。


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