人間社会と日本:転-02

ー 人間社会と日本:転-02

先の考察で新しい視点として「歴史の見直し(事実の屹立)」を提示したのは、現在の人間社会の動きの説明としてそうしたものを介在させることで、時間軸の流れを意識して此処から先の人間社会の展開の「見通し」を良くすることに繋がると考えるからである。何故なら、巨大化し複雑化した現代の人間社会では、何故か適切なジャーナリズム(*0)の存在が難しくなってきており、人々が「現実の状況」を的確に判断出来なくなってきているのではないかと推察する。そうした状況では「素直に物事を理解できる時間軸に沿った捉え方」が肝要であろう。つまり、ただ漠然として今があるのではなく、前があり今があり次に繋がるという自然な繋がりのある捉え方が馴染むであろう。この捉え方は「日本的なるもの」の中で自然と日本人に受け継がれてきているものであろう。そうした捉え方で情報を点検して理解することで、唐突的な脈絡のない妙なものは排除できるのではないか。本質的なことは個人の情報リテラシーの問題であるが、情報化と知識化の進行において一層鍛えてゆかなければならない個人の資質であろう。

*0:元来報道機関(ジャーナリズム)は権力と対峙してきたことより左傾的な傾向がある。現在は、情報化と知識化でその収益構造が脅かされていることより、外部勢力の影響力を受け易い状況にある。特定資産家や中共による資金力を背景の影響が、富みに最近において行使されており現在の偏向報道の状況に繋がっている。主要先進国の報道機関において濃い薄いの違いがあるが共通的に見られる傾向である。

人間社会の「大きな動き」であると認識できる「終末的な様相」が凝縮して見られる東アジアでは、自らの歴史の改竄だけでなく周辺地域へも「歴史の捏造」で侵略を行い、異様な存在と化している支那(中共)が特に目を引く状況にある。ソ連の崩壊から時間軸がそれなりに経過して「ソ連による強制的共産主義化時代」を客観的に点検できる状況に東欧は辿り着いた。その東欧において「歴史の見直し(事実の屹立)」で過去を正確に理解して再び共産主義化が起こらないような再認識作業が進行している。共産主義としては同型であるが大分に様相が異なる東アジア(日本では特定アジアと呼称)へ「飛び火」してきているであろうと考える。「歴史の見直し(事実の屹立)」という「新たな始まりを行う」のに必要な動きが、必然的に辛い経験をした人間社会では出てくるであろう。現在の「中共」はその前段階の「一つの時代の極にあり」ここから時間軸の推移で環境にも変化が生じて好環境が失われ社会状況が混乱から行き詰まりになり崩壊に向かう様相を示してゆく。「中共」は「けじめ(歪に成長し最大で最終的な存在で終焉期にある)」の対象となることは必定であろう。その崩壊の影響を最小限に抑える為にも、「中共」が「支那」の枠内に閉じ込められていることが、歴史的な観点から必要であると理解されるであろう。現実的には、習近平の指導の在り様や人間社会の中共への反作用でその方向へ進んでいるであろうと推察する。それでも「中共」はグローバリストとの連携等で人間社会に相当に浸透しており、米ソ冷戦構造のような「乖離状況」ではないことより、崩壊の影響が外部に及ぶのは否定できない。

西欧近代科学技術文明が勃興して、西欧の人間社会はその様相を大きく変えてきた。巨大化と強大化と複雑化を遂げて、其々の歴史的な伝統と慣習を踏まえて西欧先進国を「近代国民国家」へと変異させてきている。しかし、西欧近代科学技術文明にも「功罪」があり、内在する「巨大な経済的な不均衡」を生じさせる「罪」の要素に対して、思念的な行動(問題の現実構造に具体的な修正を加えるのではなく思念や主義を掲げ権威主義的な在り方に勢力を注ぎ問題をすり替えてゆく活動)で対応することに傾倒してゆく勢力が登場してくる。共産主義運動(西欧的には社会主義運動)と称されるものである。共産主義運動が第一次世界大戦末期に意図(最も発達した資本主義国にてその結果として共産主義が実現するという命題とは異なる)されたように感じられるロシア革命に繋がりソ連を誕生させることになる。この動向には、西欧近代科学技術文明の「罪」を担う勢力である特定資産家の関りも垣間見える。第一次世界大戦は、その当時において前近代の様相の地域である中東欧における「近代化」に向けての動向の中で、欧州の諸国家の同盟関係等より欧州全体を巻き込む「奇妙な大戦争」に結果的に発展してしまったものであると理解できる。第一次世界大戦の持つこれまでにはない「悲惨さ(科学技術の発達で毒ガス迄使用した)」や人的資源の巨大な損失もあり、その「けじめ」が難しいものとなり近代化の促進ではなく共産主義活動に付け入る隙を与えることになる。結果的に、独逸(ワイマール共和制の失敗によるナチス(国家社会主義)の台頭)とソ連(コミンテルンから変質した全体主義で一国共産主義)による「企図」されたものであり、ソ連共産主義勢力による世界を巻き込むと同時に敗戦後の共産主義革命の世界化を想定した「第二次世界大戦(従前の認識とは大幅に異なるが戦後の状態を理解すれば納得できるであろう)」に繋がることになる。

欧米日の先進国以外への本来の成り行きである「近代化」は、共産主義活動の台頭(第二次世界大戦を共産主義革命に利用しその後の「敗戦革命」に繋げる共産主義側の「勝利」であると言える)により頓挫することになる。第二次世界大戦後は米ソ冷戦構造になり、その初期において前近代の状況にある諸国や発展途上の国々は民族自決による独立運動を共産主義勢力との連携で行う動きが大勢になる。さらに、第三勢力としての印度を中心の非同盟運動(アジア・中南米・中東・アフリカ)に纏まるが、実際は共産主義の影響が及び「共産化」がそれらの諸国で進むことになる。この流れが明確に変わるのは「ソ連の崩壊」からであると理解できる。人間社会は米国の一国覇権の状態になるが、同時期に中共における「天安門事件」を境に米国のグローバリスト(特定資産家等)と中共幹部宗族の連携が成立し、富の獲得機会の増幅を促す「強欲のグローバリズム(人と金と物の自由化)」が台頭してゆく。その影では、力を喪失した共産主義は「権威主義的運動(グローバリズムと同型で国家の枠組みを超えて広がる疑似人権運動(フェミニズムや教条的レイシズム批判等)や環境問題や気候問題や温暖化問題等)」に形を変えて浸透して生き残りを図る。勢力の維持だけでなく拡大が図られてきていると言えるであろう。こうした流れで「近代国民国家」の在り様(近代化の緩みが生じて権威主義に押される状況になる)に危機が訪れてくる。結果的に、欧米日の先進諸国においても経済における巨大な不均衡を齎しており、近代国民国家としてのシステムに「歪(強大な経済的不均衡)」を生じさせることになる。

西欧近代科学技術文明に内在する「罪」とそれに対するものとして誕生した「思念的反作用(共産主義)」が人間社会に齎したものが如何に恐ろしいもので最悪のものであったかが現在判然としてきている。そして、最終的にその両方が歪な形で「中共」に結実したと言える状況に今の人間社会はあるであろう。日本は、長い伝統と慣習で培ってきた「日本的なるもの」より、この間にそうした勢力より執拗に受けた「謂れなき攻撃」に耐えてきたが、その事(人間社会を動かす「大きな構図」を的確に真剣に認識し自身に向けられていること)を自覚することが国民的に足りない(確りしたジャーナリズムを喪失した影響もある)ために、最大の問題となっている「中共」を逆に支援するという「頓珍漢」な動きをしてきている。然し乍ら、人間社会(西欧近代科学技術文明も含めて)が事ここに至っては、その両面において罪を犯している存在の最たるものである「中共」の責任を問う覚悟が必要である。米国ではDJT氏が登場してその姿勢と政策はその方向に沿っており、「中共」の悍ましい人権問題も取り上げることで欧州他を巻き込んで、人間社会全体の問題に「中共」が格上げされてきている。つまり、「中共」との対峙において人間社会は引き戻せない様相にまで至っているのである。

西欧近代科学技術文明を理解し受容し昇華してきている日本は、押し付けられた自虐を払拭出来ずに何時までも中共に「遠慮」しているのではなく、「中共」が犯している「罪」の部分の責任を問う覚悟と責任を持つ必要があるであろう。日本は周辺国からそれが期待される国でもあるのである。既に、安倍政権時より「開かれたインド太平洋戦略」に先鞭を付けて主導してきた経緯もあり、情勢の変化で日本国民も相当に覚醒してきている。東アジア(特定アジア)における「歴史の見直し(事実の屹立)」においては、大東亜戦争に敗北し「自虐」を押し付けられた日本は「中共」とは逆な意味で最重要な立場にあるであろう。深く関与した日本は必然的に当時の「事実情報」を今も所有しているであろう。時間軸の経過で関係者も既に鬼籍にあり、客観的に冷静に開示できる立場にあるであろう。此処からは「中共」による歴史の捏造で反日プロパガンダに利用されてきた案件の再考と大東亜戦争の終戦当時の経緯(*1)を明かにしてゆく勇気を日本は持ち臨むことではないか。大東亜戦争の敗北後の日本の再興において、その出発点を事実に基づいた正確なものにすることである。恐らく押し付けられた「日本悪論」を払拭できるであろう。本来の日本の良さを取り戻すことが出来るであろう。

*1:支那大陸での「支那事変(日中戦争ではなく支那地域における混乱にたいするPKOと捉えることが出来る)」の終了の在り様から、今真に再点検が必要になりつつある。日本軍及び日本人(現在から見れば分離された地域の広義の日本人も含めて)の撤退と同時進行のソ連や「中共」や朝鮮(当時は日本)の各種の理不尽な所業(当時の国際法的観点からも)を明かにすることが必要である。ソ連には「日ソ不可侵条約反故」「日本人のシベリア抑留」「北方領土侵犯」等の経緯がある。「中共」には「日本軍の武装解除とその後の扱い(現地での理不尽な裁判等)」「日本軍人への共産主義教育を施しての帰国」「旧満州国及び内モンゴルのソ連と「中共」との恣意的調整による接収」「日本が残した財産の処分と接収」等の経緯がある。更に、朝鮮には「ソ連の支援による北朝鮮の設立経緯」「朝鮮からの日本の撤退(「竹林遥か遠く」にある悲惨な経緯の実情検証)の実情」「米軍軍政時期の朝鮮に於ける日本の財産の始末」等の経緯がある。既に開示されているものもあるであろうが、此処は「中共」や朝鮮の今後の変異における対処に備えて、「事態が無闇に複雑怪奇」にならないように日本側で体系的に整理して何時でも対処出来るようにしておく必要があるであろう。つまり、サンフランシスコ講和条約は今から再考すれば「曖昧さ」を残すものであった訳であり、其々の勢力や人々に対して「大きなシしこり」を残しており引き継がれているであろう。ここから始まる「中共」の崩壊の仕方によっては、その「しこり」が噴出してくる蓋然性を否定できない。然るに、台湾問題は「曖昧さ」とは性格の違う問題でありここにも日本は深く関与していることは明かであろう。現在の「中共」の動きから喫緊の課題は台湾問題である。関係国(米国・台湾)と連携して、日本には慎重に事態を動かす歴史的に引き受けるべき責務があろう。


今、日本では「敗戦革命」等の戦後の見直しの動きがある。先述の観点も加えてより大きな認識に立てば、現在の「中共」の様相は「中華版コミンテルン(人間社会を華為秩序で支配する意志を有する)」であると言えるものであり、アヘン戦争以降の欧米日に蹂躙されたという歴史的な被害者意識を感情的なものを持ち出し、逆に人間社会に中華秩序を打ち立てるという歪な野望(既に公然化している中共百年計画)を秘めている。この「中共」に対峙するためには、勇気を持って先述した「歴史の見直し(事実の屹立)」を推進することであると考える。「中共」の「偽りの正当性」を突き崩すには、日本の役割が最重要であるともいえるであろう。中共が「台湾問題」に手を付け始めていることは、逆に「歴史の見直し(事実の屹立)」の起点に手を付けることでもある。ここにおいては、第二次世界大戦の戦勝国の米国も重要な立ち位置で関与しており、米国にとっても「手を付けたくない」ものもあるであろうと推察する。然るに、米国内に巨大な「不均衡状況」を齎し左傾化(権威主義化)させてきた要因(「中共」の影響力を浸透させてきた)の重要なものの原点の一つでもある。現在の混乱と分断の状況から本来の米国を取り戻してゆくためには、日本同様に「勇気と矜持」を持って取り組んでゆく必要があるであろう。現実の人間社会はこの方向へ歩みを進めていると理解している。

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