価値・信用・通貨:第一話
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近代国民国家は、理念(近代性)・言語・通貨の統一により確立した。その実体として、国家の「範囲」を決める。それまで存在しなかった領土の概念を作り「国境」を地域的に確定する。近代国民国家に所属する人には、国籍が作られ付与され他国の者と区別された。国家を統制する法律が有効性を持つ範囲を施政権として概念化もした。さらに、国家構成の人間関係に関わる重要なものである言語と通貨も統一し共同体という枠組みを明確にした。
近代国民国家が其々に確定してゆく段階では、その枠組みを決める為の国家間の抗争や新たに近代国民国家になるための地域内の勢力が「生みの苦しみ」を味わってきた。時間経過で其々の近代国民国家が確定し落ち着いてくる。政治分野では、理念である近代性(自由・民主・法治)を実現する制度や組織を整備する方向へ進む。同時に、国民は生活基盤である経済分野や文化分野他の発展に勤しむようになる。経済分野の主体は、産業化の進展であり分業化が進展する。ここで、通貨の統一が重要な意味を持つことになる。産業の発達でモノやサービスの多様化が進み通貨の統一で交換を円滑に行えるようになる。この作用で、一層経済が発展することになる。
近代国民国家間の貿易等では、信用度の高い通貨が主体に利用される段階から、比率を固定した通貨間の交換という様式に進化してゆく。最初の覇権国家である大英帝国のポンドが主軸通貨となるのは自然な流れである。情勢の変化で大英帝国に翳りが見えてくると、その後を継いだ米国のドルが基軸通貨になる。西欧近代科学技術文明圏の近代国民国家の要件を満たした国家群での状況推移である。通貨が当り前になった状況から、複雑性が進化してゆく。現状は、金融経済が異様に膨らんでその制御が難しくなってきている。このことを問わないと、今後の人間社会の複雑化に大きなリスクが生じてゆく。
ここまで複雑になってきた人間間の関係(価値・信用・通貨)の複雑性を増した構造に、その信用構造に至る複雑性の増し方とその作用がどのように影響してきたかを、基本的なとことまで掘り下げて再認識する必要があるのではないかと思量する。現代人間社会の「信用価値」を異様に膨張させた複雑性の仕組みを理解して、適切な管理可能な「信用」の仕組みに変異させて行くべきであろうと考える。さもないと、異様なまでの格差状況が温存され人間社会の動的平衡が維持できない状況にまで至るであろう。その時に起こるのは、支那の歴史的様相である「易姓革命」が人間社会全体で起こることになる。それは悪夢でしかない。
当初はよく考えて対処していたものが、複雑性を増してその複雑性が当り前の状況になると、屋上屋を重ねる複雑性が進行してゆく。逆に、実現した複雑性が「横溢」する状況に切り変わり始め勢いが増せば、状況を「支配」する複雑性に長けた勢力が登場してくる。この状況変化の認識が必要であることに留意する。
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人は動物でもある。初期のヒトの段階では「群れ」であり、動物の「群れ」の掟に従って生きているので、ヒト間に「信用」というものは存在しない。ヒトに先験的にある精神が複雑性を増し、知恵が発達し知識が拡大しヒトが人間になる。「群れ」が家族になる。家族における人間間では「群れ」の掟の代わりに「贈与」が生じてくる。贈与は分け与えることである。そうすることで家族を維持してゆく。ある程度の数の家族が集まって集団になっても、その集団内では「贈与」で人間間の関係は回ってゆく。
次の段階として、人間集団間の関係が生じてくる。この場合に、当初はどのようなものか想像はつくが敢て捨象する。事を丸く収めるためには、お互いが「価値」を同等と認めたものの物々交換になってゆくであろう。更に、人間集団において知恵と知識が発達し食料の自給である「農業」が誕生する。初期の産業の芽生えである。必然的に収穫を上げるための工夫がなされてゆく。穀物の生産力を上げるための生育に関する知恵の獲得と深化があり、開墾の奨励や有用な道具類が作られる。集団内で分業が始まる。
集団内においても集団外との交換に関わる「通貨」に相当するものが誕生してきて、交換を円滑に効率的に扱えるようになる。人間集団がさらに規模を大きくして社会が成立してくると各種の技術が発達し、通貨が確立するとともにより扱いやすい銅・銀・金等の貴重金属による貨幣が登場してくる。此処までが、一応の通貨の完成であるといえる。つまり、人間関係の基本にある信用と価値という抽象的で曖昧なものが、「通貨」という実体を持ったものに昇華したといえる。しかし、その実体の源泉である信用や価値は曖昧で恣意的な性格もある無形の人間関係の様相から発していることは常に留意が必要である。
もう一つ注目することは、通貨が登場したことで「蓄積」が容易になったことである。資産の蓄積に関しては、文化・文明の特徴があり其々に重要視するもので資産形成を行い資産家が誕生してくる。通貨が登場すると、これに代替してゆく傾向が生じる。また、地域内の取引や更に他地域間の貿易が発達してゆき、取引に纏わる決済の方法に、各種の約束に関わる仕組や金貸しの仕組が発達してゆく。それなりの金融機能が発達してゆく状況が生まれてゆく。銀行の前身である「両替商」等が誕生してくる。同一通貨圏での種類による両替や、異種通貨圏と通貨間両替である。こうした金融に関わる状況が進化してゆく過程で、大きな変異の時期を迎える。西欧近代科学技術文明の出現である。
信用・価値・通貨の質的な変異が生じる。オランダに始まる貿易の仕組みから東インド会社という「株式会社」の前進的な形態が誕生する。産業革命に伴ないこの株式会社が発展してゆく。派生的に株式が取引される株式市場が誕生してくる。株式を資金に変えたいという要望によるものであろう。通貨においても変異が生じてくる。銀・金を担保に発行された約束手形が、兌換紙幣として通貨発行権を有する中央銀行の制度が誕生する。イングランド銀行の誕生である。更に、中央銀行と市中銀行の役割分担が出来上がり、預金や債券と利息が確立してくる。先の株式と配当と合わせて現在の金融経済の素地が出来上がってくる。
日本を歴史的に見てみると、西欧と同じ時期に同じような金融形態が規模的仕組的な違いはあるが誕生している。決定的な違いは統治機構を担う武士層が米を主体の石高で信用を維持していたことである。何故かといえば、日本は自然災害が多いため基礎食料である米の備蓄ということが重要であった。この要素が強く反映していた。通常の交換には、金(小判)や銀銭や銅銭が流通していた。江戸後期には藩札も利用されていた。金融業においては両替商等も発達していた。統治機構の武士層との関係はあるが、金融を担う者が統治に関与することは無かった。日本独自の在り方であり、この在り方の再考が思量される。つまり、金融が幅を効かせてはいけないということである。しかし、明治維新以降の流れの中で、西欧流の金融勢力が異様な影響力を持つ様相が生じてくる。日本式の護送船団方式があったが、グローバリズムと土地神話の崩壊で消滅し、日本でも欧米流が浸透している。
3
価値・信用・通貨という観点で、その形態の複雑性に大きな変異が生じるのは第二次世界大戦後である。ポンド基軸体制が明確にドル基軸体制に移行したことである。第二次産業革命に後れをとり覇権国の立ち位置を失った(植民地を失った)大英帝国は、シティーの金融勢力主体の経済運営に移行してゆく。つまり、実体価値を生み出す産業化ではなく、過去に蓄積した資産を元に金融経済の騰がりに頼るようになってゆく。しかし、それは少数資産家を利しても、多くの国民の生活の基盤である仕事の創出には繋がらない。結果として、大英帝国の衰退を止めることが出来ない状況に陥ってゆく。
新たな覇権国となった米国は、第二次世界大戦でも戦場とならずにすみ、第二次産業革命を更に発展させてゆく。TVの登場で情報化の新たな進展が進み、TVや家電製品の登場で生活様式が一変する活況を呈してゆく。覇権国の立ち位置で米ソ冷戦構造で、ソ連との局所紛争で対立しベトナム戦争で泥沼状態になる。財政負担に危機的状況を迎えてゆく。
日本は、第二次世界大戦(大東亜戦争)後に戦前の反省を行い、米国から品質管理等の生産技術に関わる手法を採用して製品の質の向上を図ってゆく。人口動態や復興も手伝って経済が回り出し米国同様にTVや家電製品の登場で産業の高度成長を遂げる。さらに、高度成長の負の結果である公害や環境汚染の問題に真摯に取り組み技術革新を遂げてゆく。軍需関連分野や情報通信分野以外では、米国の牙城を脅かす域にまで到達する。米国に次ぐ経済大国に成長してゆく。日米経済戦争の様相を呈してゆく。結果、再び米国の力に屈して、日本の方向性を失うことになる。現実的な対応で、内需主導の経済運営に切り替えてゆく。
米国(国際金融資本勢力を交えたエスタブリッシュメント)は、苦境を克服するために折からの金融経済と相性の良い情報通信技術の発達を利用し金融経済の複雑化(金融派生商品の創出)を推進する。グローバリズムの浸透という体裁をとる。同時に、CCP(支那共産党)と連携し、グローバリズムの浸透を画策してゆく。つまり、金融経済の高度化に邁進しその騰がりで米国経済を回してゆくというものである。製造業の製造部門は、支那に渡して労賃の安い支那人を使い利益を上げるという「資本側の意向」がグローバリズムという概念で仕上げられ浸透してゆく。また、ドル基軸で拡大する世界貿易のために大量のドルが供給されてゆく。その規模が膨大になり兌換紙幣であることが事実上不可能になり兌換の廃止が行われる。為替の変動相場制への移行である。つまり、通貨の金融商品化である。現実は、貿易による資金移動という実需を大きく凌駕する為替の信用取引による仮需が膨大な取引量になり、信用価値が異常に膨れ上がってる。情報通信技術の発達を背景とする金融派生商品の横溢と通貨の商品化等により世界的に金融経済が一層拡大してきている。
経済の世界的統合が進み始めると同時に、大企業の多国籍化が進展する。グローバリズムの進展で、企業が統合化された世界経済のなかで活動し易くなってきている。逆に言うと、近代国民国家のような明確な枠組みと統制下にない状況で、力のある企業が活動を拡大してきているといえる。そのための資本の自由化でもあるといえる。結局、資本を有する側の意向が強く反映されることになる。それらの企業は、租税回避やマネーロンダリングという金融以外の手法も生み出してきた。
大英帝国の例を見ても解るように、金融経済は人間社会に実体的な豊かさを齎さない。故に、そこに拘るとその社会は行き詰まるしかない。それは必然的なことで、もともと人間関係を円滑するものが発展して出来てきたものが通貨であり金融である。人間の生活を豊かにするものではない。生活が豊かには成り様がない。それでも、金融の持つ力に人間の欲望が関与し易いことも事実である。巨大な蓄積による効果で所有の範囲を拡大できるからである。米国も国力の翳りが見えてきた段階で、大英帝国の例えに倣い金融経済に拘り、グローバリズムで世界化を図った。一時は見掛けの繁栄を手に入れたように見えても、やはり、それでは豊かな人間社会は構築できない。大英帝国の翳りが、似て非なる米国の翳りになり人間社会の拡大したグローバリズムの影響で、人間社会全体にその翳りが拡大している。加えて、近代化できないししようともしないCCPが歪に台頭してきて、人間社会の翳りに輪を賭けている。悪夢としか言いようがない。
一方で、そうしたことに価値を置く者が幅を利かせること自体が人間社会の退廃に繋がることを、日本人の先達は日本の自然環境なのかで体験して伝統と慣習にしてきた。巨大な自然災害に遭遇すれば、一瞬にしてそうしたものは崩壊する。儚い虚ろいやすいものであることを実感してきた。やはり、修理固成(つくりかためなせ)であり、物事の理を究めて実体価値を生むものを実現させ続けることで人間社会は豊かになってゆくと基本的に考えてきた。時間の重さに耐えられない唯物史観という浅薄な思念的な考えに影響されて日本の歴史を見ては真に日本を理解することは出来ない。日本は、その自然環境や歴史的な出来事に耐えながらも発展してきて、巨大な自然災害に耐えられ被害からもいち早く立ち直れる耐性を獲得してきた。日本のなかで流されてきた部分があるのも事実である。再度引き締めて日本を本当に豊かなものにしてゆく時期にきている。
無い物ねだりをしてもしょうがないが、人間社会全体を一つの近代国民国家の如く統制する仕組みは先験的にはない。このことより、悪賢くて力のあるものが支配的な仕組みを作ってゆく傾向は否めない。しかし、その欠点が目立ち始めて来ている以上はそこに解決策を見出して行かなければ、人間社会には悪夢が到来することになる。人間社会の動的平衡を維持できない超格差が進行しつつあり、全体が機能しなくなるというものである。この先がどういう事態かは明確にのべられないが悲惨なことは予測できる。
問題提起は出来たと考えるので、次はどのような解決策が考えられるか思量する。
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