ホモサピエンス再考:欧州編

ここまで触れてこなかった欧州及びその周辺について考察を加えてみる。欧州に関して古い系統順の分布を見てみる。コーカソイドの語源であるコーカサス地域はG系統である。欧州でもこの系統は少数ではあるが見られる。Ⅰ系統が飛び地的にバルカン半島と北欧に見られる。J系統の主体はアラビア半島であるが中東地域や地中海沿岸地域でも見られる。欧州は基本はR系統である。欧州全域でR1bが見られる。西欧はこれが主体である。東欧ではR1aが見られる。中央アジア地域や北インド地域でも見られる。このことから解るように、古い別系統が幾つか残る東アジアや東南アジアと異なり、欧州はR系統が主体でありそこに違いがある小規模の系統が存在することより、体現される文化に大きな差異がないと言えるのではないか。EUとして「纏る」ことが出来る素地があると言える。嘗てローマ帝国(どの系統が主体だったか解ると理解が深く成る)が存在し、それが崩壊し混沌(疫病の影響もある)の中世を経て「西欧近代科学技術文明の興隆」と共に二つの大戦争という悲劇を踏まえて、紆余曲折を経ながら「最終的な目標が曖昧な存在」としての現在の欧州連合(EU)が構築されていると理解している。今再びオリエントからの「圧力(移民や難民という形で)」を受けている。

大きな観点から捉えると、ユーラシア大陸の欧州(西側)と中央州(中央)と亜州(東側)の三地域の性格の違いに着目せざるを得ない。やはり、その地政学的な配置とそこにいる「系統」を反映しているのではないか。どういう風に捉えるかというと、中央部分は文明の発祥地であるが「文明の興亡に終始」というものを継続している。何がそうさせているのか本人達や他者からの究明が必要であろう。その中で印(インド)が独特の立ち位置にいると言える。西側は「ローマ帝国」の存在が大きく、その後の「規範」になり西欧近代科学技術文明に水準を上げる変異を伴って、人間社会に「幅を利かせる」様相を此処まで示してきた。東側ではローマ帝国に匹敵すると思える「支那帝国」というものを生み出したが、地域の纏まりのなさと支那自体が「易姓革命」を繰り返すという劣化継続方式に堕落してしまい、欧州に比較するとやはり「劣後」したと認識せざるを得ない。

鉄器時代が訪れることがなかった先史時代的な様相が続いていた「米州大陸(北米)」に、欧州からの移民を主体に誕生した米国(現在は世界から移民がきて人間社会の縮図状態にある)が、英国から独立し、第二次産業革命以降を主導してその人口規模や国力の強さもあり「人間社会での覇権(パックスロマーナに擬せられる)」を確立してきた。大統領制と合衆国というそれまでにない形の国体の「近代国民国家」として形を整えてきた。ここにきて外的勢力や内部のDSによる異様な影響力行使状態になり建国精神に揺らぎが生じてきている。建国以来の国体が継続できるかの瀬渡際に来ている状態にあるのではないか。ここから先で、米国というものが本当に「時間に耐えてゆけるもの」なのかが明確になる作業が続けられることになる。

一方で支那においては「近代化」の機会が与えられたが、期待を違えその精神文化を「鍛える」ことが出来ずに「歴史的な怨念」を拗らせて、図体は大きいが「夜郎自大」な「中共」という存在を台頭させてしまった。西欧主要国も、米国や日本と同様にこの動きの一端を担っている。「中共の実体」は、先進国の進化の過程に現れてこない様相を持っているので、特に欧米で其の実体に覚醒するのに時間を要した。現在その反動が起きつつあり、人間社会は人類史の大きな節目に来ていると言える。そこで、米国でも中共でもない西欧(現在の西欧近代科学技術文明の発祥地である)の今後に注目する意味があると考える。

ここで明確な「事実」を認識しておきたい。人間社会で重要な科学精神が西欧で発達した要因が、科学にとり必要不可欠な「論理表現形式(:*1)」を獲得したこと、それらを的確に表現し説明することが出来る「概念語」をラテン語を応用して自国語に拡張してきたことにあると言うことである。これに匹敵する自国語の拡張や必要な教育改革のできなかった後発国は、この面で先進国に追い着くことが出来ていない状態を今も抜け出せていない。唯一非西欧の日本のみが欧米先進国に肩を並べるのは、明治維新で先達が自国語を拡張して英語に頼らずに国民が科学精神(元来素養が高く先験的にその能力がある)を涵養する道を開いたことである。但し、最近は英語をそのままカタカナ語で扱い過ぎている傾向が強く好ましくない「言語状況」がある。機能性文盲を無くすためにも日本語の「熟成」にもっと意を注ぐ必要がある。

*1:これは重要な概念である。ローマ帝国は、地域の文明(古代アレクサンドリア・ギリシャ・フェニキア)を引き継ぎ統合した一大帝国であった。ラテン語及び諸概念や法体系他で、この地域の国家運営の規範になっているものであろう。ここに十字軍で遠征した諸侯(貴族)やディアスポラ(離散を繰り返す)なユダヤ人達の存在が関与し、中世ではイスラム圏の方が進んでいた諸学問を取り入れ「ルネサンス」が興る。アルファベットとラテン語とアラビア数字で「論理表現形式(数学)」を獲得し、後に物理学や化学を発展させて更に生物学にも及び、全般的に自然界を認識できる「科学精神」を涵養した。ここから合理性の思考様式を進展させて宗教改革に繋がり宗教の軛を離れてゆく。結果、人間社会を「自然界の在り様(属人的でない近代国民国家等)」に近づけてゆく動きをしてきた。詰り、権威的や強権的な状況で体現される属人的恣意性(専制君主の横暴等)により「支配」されるのではなく、構成員による相互作用(動的平衡)で良き方向へ進化(動的変化)する様式である。本質は、合理的に論理的に物事を判断し理解して対処しようとするものである。このことを真に理解できる為の「言語」を持たない途上国は先進国に追い着けないであろう。一方で先進国では「知」を悪用する勢力もおり人間社会に不均衡を齎し、その動的平衡に危機を齎すことも明らかになってきた。


現在は英国が離脱し、加盟していない国は元々のノルウェーとスイスと旧ユーゴのスロベニアとクロアチアを除く欧州連合に加わらなかった(加われなかった)諸国である。現在の欧州連合が抱える問題は、端的に言えば「権威主義」の台頭であろうと推察する。ブリュッセル(ベルギー)に本部をおく欧州連合の「官僚機構」が問題になり始めているといえるのではないか。これは国連機構の問題とも似たところがある。これが英国の離脱の原因でもあろう。最近でこそ報道が極めて少なくなっているが、地中海沿岸部(イタリアやギリシャ)の財政問題(当該国そのものも国家運営の在り様で問題を抱えている)に対する欧州本部の対応には当該国の「現実」に目を向けないものであると理解している。結果は当該国の社会基盤の一層の弱体化に結び付いているのではないか。例えば、中共ウィルスへのイタリアの医療体制が充分でなかった背景に繋がっている事等であろう。通貨の統一は扱いが難しい問題だが、弱体国には「逆効果」を及ぼしているのではないかと推察する。

更に欧州連合の問題の本質は「独一強の状況」であろう。これに独と中共の関係が影を落としているといえる。オリエント(イスラム系の移民難民の受け入れ)に対する対応にも、独の影響(長年トルコ系を受容してきた背景)があると思われる。仏のイスラム系移民等はマグレブ(北アフリカ)と仏との関係であり、独の影響とは趣が異なる。欧州本部の官僚機構の在り様(グローバリスト的なもの)が如実に出ていると言える。官僚機構の問題は、何も日本だけのものではない。換言すれば、日本の「中央集権」の問題に擬せられるであろう。恐らく此処からは、英国の離脱を契機に欧州連合の「意味」が再点検されると思われる。独は通貨にしても自己都合(単独ではマルク高で競争力の低下になる)で「ユーロ(欧州通貨)」を利用していると言える。欧州における「大陸勢力」を代表する独は、嘗て「神聖ローマ帝国」を標榜してきており本音の部分で「支配的」であると言える。欧州の西側周辺部(ベネルックス三国)や北欧系(スウェーデンやデンマーク他)が、今後どの様な対応を行うかであろう。アルプス山脈やピレネー山脈を挟んで地中海沿岸地域(一段と低く見られているようだ)の欧州連合への対応がどの様なものになるかであろう。更に、露(遺伝子系統が異なるスラブ)との緩衝地帯である東欧地域(必然的に共産主義的なるものに強烈な拒否感がある)において、「欧州連合に遅れて参加した諸国」であり今後の欧州連合の意味をどのように捉えるかであろう。

歴史は似て非なる状況を繰り返すと言われる。欧州の現在の問題は、西欧近代科学技術文明の東欧への進展(第一次世界大戦前の状況)の「現代版」が現在進行形にあると言えるのではないか。東欧では、「近代国民国家」が浸透する前に、ドイツ観念論の流れを汲む「共産主義思想」が拡大し、ロシア革命で全体主義(権威主義ともいう)に変質し、米ソ冷戦構造で東欧の「近代国民国家」への移行が「潰された」経緯があると考えることが出来る。この地域において、現在は「ソ連型共産主愚の総括」が行わており、この動きを近代国民国家の敷衍に繋げることが出来るかどうかであろう。チェコ他の中共への厳しい対応には共産主義の経験が生きているように思える。この観点から、露に対する牽制をどのように行うかであり、オリエント(イスラム圏)の混乱と如何に距離を置いて、欧州への移民難民の増加を抑えるかであろう。

中共は、欧州(特に一般層)にとり何かにつけ「遠い」存在であり、最近の状況は支那に関する一般層を含めて認識不足が大きく影響していると思われる。中共に対する認識が、其の実体の公然化により明確に成った以上はこの要因(中共への対応)の比重は大きくはないのではないかと考える。安全保障の問題もあるが、課題は「経済」をどのように充実させ、社会の安定感に繋がる中間層を厚くするかであろう。


人間社会の今後の在り方としては、適度な規模の近代国民国家の増加と同型価値観に基づく「連合」ではないだろうか。この観点から、欧州地域はそれが実現される最も条件が揃った地域であろうと認識している。離脱した英には英連邦があり、欧州連合と関係を断つということではなく、英連邦を基盤に「海洋勢力(同型価値観)」としての性格をもつ「近代国民国家連合」を築いてゆくのであろうと推察する。日本の今後の方向としては、太平洋地域の英連邦(インドも含めて)との関係において今後は一層深く成るのではなかろうか。

現在の独仏の主導方式の欧州連合では、従来の発想の域を出ないと推察する。つまり、官僚(大組織運営に必然する操作権限のある機能組織で現実感が希薄になる傾向が強い)主導の在り様では欧州連合の各国の現実を「解決」出来ないであろうと認識する。独が「大陸性向の思念的な在り様」を克服できるかであり、仏が「理屈性向の権威的な在り様」を克服できるかであると考える。思念的や理論的というのは直観で結論を想定してそこに辿り着く「検証や証明」を行うものである。物事の捉え方が「結論在りき」に成りがちであるといえる。現実の動きは「動的平衡」であり「動的変化」であり変化が常態である。新たなものが登場すればその影響で前提が変化してゆく。システムというものは、先験的にあるものに良き変化を与え継続するものである。例えば、気候変動問題の提起の仕方も「温暖化という結論在りき」であり、欧州では自動車の持つ環境への影響要因をこれまで的確に真摯に捉えて対処出来ずにきた経緯があるのだが、今また仏独の主導でEⅤに強権的に舵を切っている。電池技術の動向(欧州は弱い)や電力事情等を考慮すれば好ましいものとは思えない。

こうした動きは、その他の課題についてもいえるのではないか。欧州連合の構成国には其々に出自が有り、独自の「動的平衡」と「動的変化」を内包している。それらを調整しないで人や資本の動きを自由化すれば、現状の仕組みを温存したままで独への集中は避けられない。それは、欧州連合に不均衡を齎すであろう。その継続性にリスクが生じてくるのは明白である。それでも、今後の人間社会で個別国家がバラバラに動いていては「難しい立ち位置」になることは明らかである。この観点も踏まえて、「欧州連合」の個別国家の経済的自立(相互依存の程度の調整を踏まえて)を促しつつ、全体としての「共同」の意義を見つけてゆくことになるのではないか。つまり、欧州連合として政治的経済的に「自立勢力」として纏れるのかということであろう。このための機能として「官僚的権威主義的」な運営手法では難しいであろうと考える。日本自身の官僚機構の問題もあることより相互作用の観点から、また過去の日本との歴史的経緯や対露牽制の観点からも、現在の人間社会の動向を踏まえて確り関係を築いておく必要のあるのが欧州連合であろう。

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