価値・信用・通貨:第二話
人間社会は、今は中共ウィルス(COVID-19)のパンデミックを管理可能な状態へ移行させようと躍起になっている。そこに何やら怪しい響きを持つ「グレートリセット」なる言葉が、何処からか登場してきている。このような動きは要注意であると、人間社会の在り様を大分に経験してきた者として悟っている。
人間関係から生じる信用と価値と通貨という観点から、現在の高度に複雑化された金融経済が大変な問題を抱えていること、人間社会の動的平衡を円滑に維持するのに適切な本来の金融の複雑性に変異できていないことを指摘した。その本質は、人間の精神の一面である欲望の発露により、優秀であるが故に複雑性を利用して貪欲になり、逆に獲得した実体から遊離した巨大なものに自らが支配され更に勤しむという悪循環に嵌っていることである。具体的には超格差状況であり、あらゆる面に影響を及ぼしてゆく状況にある。その超格差は、国家内でも国家間でも生じており、その状況も複雑な様相を呈している。この傾向が進めば、個別国家だけでなく人間社会全体の動的平衡をも維持できなくなる事態が予測される。
先進的な立ち位置にいる米国で、米国自身が主導してきたグローバリズムに対峙するトランプ大統領が誕生し、自国のグローバリズム(金融経済を主導する)勢力と前近代的な権威主義(中華思想)のCCP(支那共産党)に対峙する姿勢が強められてきた。トランプ大統領は、今回の大統領選挙で対峙勢力側から「仕掛けられて」その座を奪われた状況にある。彼は大統領職にあるときも力を利用するのではなく、飽くまで近代性に拘り言論で対抗してきた。米国社会が異様な権威的な勢力に犯されていることをその言論活動で示してきた。これは重要な示唆に富む。此処からの米国の動きは要注目である。
米国の動向に注目すると同時に、CCPの動向にも充分に注意を向けて、日本は米支対立構造の明確化の進行の先行きを確り観察しながら独自の展開を行ってゆく意志と矜持を持って臨むべきであろう。何時までも依存的な在り方では情勢に振り回されジリ貧に陥るだけであろう。要はこの情勢と先行きを踏まえて、引き継いできた伝統と慣習を反映した独自路線を歩む覚悟が、日本国民にあるかどうかである。
半世紀前のキッシンジャー・周恩来による米国とCCPの戦略提携が、此処まで紆余曲折もあったが現在終わりの段階を迎えている。この戦略では、日本は弱体化される(最悪はCCPの支配下に置かれることであったが完遂域にはないようである)ように図られていた。米支対立は、米ソ冷戦構造の時の様に明確に分離された段階から始まるのではなく、既にお互いに深く入り込んでいる状況から離れてゆく様相であり、一層時間が掛かるし注意深い対処が必要である。現在の情勢では、日本は以下の3点での同時進行にならざるを得ない。
A安全保障:インド太平洋安全保障条約機構の確立
B経済分野:CPTPPの熟成と拡大
C国内分野:第五段階期 超日本へ
A&Bは此処では取り上げない。Cに関して考察する。
人類史で日本は特異な存在であり、地殻変動の結節点に位置するため地震他の巨大自然災害がかなりの頻度で生じるが、温暖地帯で適度な大きさの列島構成の島国であり、四季のメリハリがある豊かな自然に恵まれていたこともあり「日本的なるもの」を築いてこられた。日本は万年を越える時間軸で捉えることが必要な存在であり、大胆に纏めれば四段階の変異を経て第五段階に入る時期を迎えている。
ー 第一段階
人影が日本列島に存在し始めるのが、約4万年前頃である。アフリカを出てユーラシア大陸を東へ移動してきたヒト集団(ホモサピエンスでも初期タイプでハプログループではD系統に属する)である。日本列島で源日本人に変異する。約2万年前頃からの縄文海進により日本列島内で他系統の影響がほぼ無く、D系統主体で熟成され「日本的なるもの(シラスに繋がる)」が形成されてゆく。
ー 第二段階
縄文時代を経て稲作農耕を主体の集落が各地に出来上がる時代を迎える。渡海技術も発達し、支那大陸との間にそこそこの交流が始まる。その時期は明示できないが、鬼界カルデラの爆発時期後(7300年前頃)ではないか。この時期から支那大陸に残っていたD系統や新たなO系統他が日本列島に渡ってくる。各地に豪族が誕生し、九州地域の豪族で現皇室の祖にあたる氏族が、大和朝廷を確立してゆく。この時期は支那大陸の影響を日本の西側から受けてゆくことになる。現在「神道」と呼ばれるものが「日本的なるもの」から変異して確立する時期でもある。
ー 第三段階
大陸・半島との交流が活発になりその影響を受けて「律令国家」を建設する。それまでの豪族集合体のものが、大和朝廷と官僚機構による支那の皇帝と官僚機構を真似て作られ、各種の制度も日本風に手直しして受容する。その後大陸の情勢変化や新たに学ぶものが無くなったと判断し大陸との関係が希薄になってゆく。律令国家も限界が見え始め、官僚機構の劣化も始まり、社会秩序が維持できない状況になってゆく。この時期に見直しがなされ、地域の秩序維持のために生まれてきた武士が、地域を纏めてそれらの武士層の頭領が政体を担う「幕府機構」による治世に変異してゆく。大江匡房による「闘戦経」が編纂され、武士層の精神的背景になってゆく。幕府機構も、初期「鎌倉」中期「室町」後期「江戸」と変異してゆくことになる。「日本的なるもの」が大陸との関係が希薄化してゆく過程で「武士道」に変異してゆく時期になる。必然的に、「日本的なるもの」が「武士道」にも反映され、江戸期に完成の域に達する。
ー 第四段階
戦国時代に西欧に遭遇する。科学技術関連には好奇心を示し受容するが、キリスト教等馴染めないものがあることを理解し、相対的に関係を結べるオランダに絞って長崎に限定して交易を行うことで、半鎖国政策を江戸幕府はとる。実際には、それ以前に皇統の人物が西欧中世の劣化の時代に渡っているという記録がバチカンにあるようで、オランダとは浅からぬ因縁があるようだ。台湾を舞台のオランダと鄭成功(日支ハーフ)と繋がる歴史もあり、実際は複雑な関係があるようだ。オランダを通じて西欧の情勢推移には江戸幕府は通じていた。西欧列強が東アジアに押し寄せ、清朝が蹂躙されることを認識した日本は幕末から明治にかけての西欧受容期を迎える。西欧に学び日本的近代国民国家の構築を行う。人類史において特異な立ち位置からの対応であり、強大な西欧近代科学技術文明を理解し吸収しながらであり、そこには大きな錯誤もあり日本の滅亡まで達するかもしれない「危機的経験」を日本は味わった。日本は終わることなく継続している。嘗て、「日本的なるもの」を「神道」や「武士道」に昇華させてきが、西欧と交流して明治維新より150年程が経過するが、新たな「日本的なるもの」ものを反映した「日本」を構築し獲得できていない。
ー 第五段階
明治維新以来開国し、敢て独自路線を棄てて人間社会と交わり自身が何者であるかよく理解できた段階に、日本はきていると判断できる。西欧近代科学技術文明の功罪を理解し、長い経緯がある支那と朝鮮が「時が止まり続ける」状況を抜け出せないでいることを理解し、ユーラシア大陸のハートランドとその周辺部も似て非なるものではあるが「時が止まり続ける」状況を呈していることを理解するならば、日本はこれらに対して「適切な距離感」を持ち、ここまで獲得し培ってきたものを元に独自の日本の構築を始める段階に来ているのではないか。第一段階で獲得した純粋な「日本的なるもの」を最先端な科学技術や他者に学んで構築してきた今ある社会構造の在り方を元に、「日本的なるもの」を昇華させた新たな独自の日本を構築することであろう。その際に重要になる言葉は、純粋な時代に確立した「シラス」であり「修理固成」ではないかと考える。
他文明の影響を受け乍らも受容できないものは排除して「日本的なるもの」を堅持して日本を継続してきたが、大東亜戦争での敗戦を機に「日本的なるもの」が否定されてきた経緯があり、その背景にいた勢力の中心的な立ち位置のCCPが、いま歪に台頭している。この情勢を踏まえても、日本はいまだ人間社会に屹立する力を有している。これまでのように先例はない。ならば、初心忘れべからずであり現在までに獲得してきたものを大いに活用して「日本的なるもの」を昇華して超日本を実現する方向へ進むべきである。キーワードの現代解釈をしてみる。
ー「シラス」の現代解釈と新たな方向
「日本は天皇がシラス国である」のシラスは「知る」であり「治る」である。その意味するところは、国の鼎である天皇が民のことを知り公になり民がそれを共有すれば、水がおさまるように治まるということのようである。実際にいまでも、日本人は皆が的確に物事を理解すれば、自然と治まる様相がある。天皇は支配者ではなく、民のことを知り神(人知を超えた存在)に祈る祭司の長であり、掛け替えのない血統で保持してきて現在まで続いている。支配者でない天皇のもとであるから、民は対等なのである。「知る」に必要な手段である「言葉」も重視して皆が使えるように努めてきた。この概念は西欧に始まる近代国民国家の近代性の理念に近いものであろうと推察できる。つまり、近代性(自由・民主・法治)の理念の中の其々に同型であるが、出自を反映した違いがあると言える。西欧流の個人の屹立を許す個人主義ではなく、公における分を弁えた個人の在り方である。人間関係を人に違いがあるのが当然なので、平等というより対等という関係におく。法治は機構や制度の違いがあるが原則は伝統と慣習の規律であり機構や制度の維持に、必要な明示的な法が其々に存在している。
明治維新では、西欧化に流された面が否めない。それと過去にも経験済みであるが、急激に変化を進めるには中央官僚機構が有用であるが、一定時間経過後に劣化することである。詰り成功体験から情勢の変化に変異できずに、逆に利権となり拡大してしまうことである。現在もまたこの課題を抱えていて本来の機能が怪しくなっている傾向は否めない。こうした状況を突き崩す作用が生まれてくるようにするべきである。
現在進行している情報化・知識化の動きは、物事を「見える化」することである。この「見える化」は「シラス」に通じるものであり、「日本」が情報化・知識化されれば「シラス」が実現される可能性が見えてくる。現在は個別の情報化・知識化が進行しているが、それでは本質的な「シラス」には導けないであろう。此処からは「日本の見える化」に取り組むように大胆な方向転換を図ことである。それを支える情報通信知識基盤(既に纏めた一文を参照)を構築することであろう。
その情報通信知識基盤で、近代国民国家の重要な統一要素である「個人」と「言語」と「通貨」をどのような情報存在として扱うかが検討される段階を迎えている。日本が、生き物の日本人により構成されているのと同時に、日本人が使う「日本語」も生き物である。終わりなきものである。更に、人間関係に関わる「通貨(信用価値情報)」も「日本的なるもの」が反映されたものに成るべきであろう。この基本的な三要素を押えた上で、「日本的なるもの」が反映された情報通信知識基盤を構築することであり、更にその基盤上で各種の実体が情報存在として展開されることになろう。
ー「修理固成」の現代解釈と新たな方向
「修理固成」は「つくりかためなせ」である。「古事記」の中にあり、伊邪那岐命・伊邪那美命の国生みの場面にこの言葉がでてくる。「この漂へる国をつくり固めなせ」というものである。これをどう解釈するかであるが、万年に及ぶ後の現在の立ち位置からすると、日本は終わりなき国であり常に漂う状態にあり、常に作り固める努力が必要であるということではないか。これは、後の武士道の「一所懸命(一生懸命)」に通じるし、現代日本人が持つ「労働観」にも通じるであろう。典型的なのが日本の職人気質である。彼等は自分の生業を常に追求し完成というものを求めて努力する人達である。終生終わりない努力の積み重ねである。刹那的なものには目もくれない。このことは、日本の科学者にも通じる。日本の科学技術(人間精神を扱わない)が先進的な立ち位置に今もあるのは、このことが作用している。しかし、大東亜戦争後に「日本的なもの」が否定されてきたことより、人文学系は非常に劣化してしまった現状がある。否定ということ自身にすでに人間精神を委縮させる要素がある。人文学分野にこそ今「修理固成」が必要であろう。一つ面白い現象がある。日本の漫画でありアニメである。この世界はあまりにも周辺部分であった為に、「日本的なるもの」を否定する勢力の影響が及んでいなかったことである。其処には意図はないが自然と「日本的なるもの」が発露されている。影響を与えようという意図は無く、楽しむ中で無意識のうちに浸透してゆく。外部勢力が、ある意味で畏れる日本のソフトパワーである。日本人は意識しないが、日本語にも日本が生み出す製品にもそうしたものが秘められている。欧米他での若者を中心に人気が拡大しているのは注目に値する。
「つくりかためなせ」を突き詰めれば、皆が共有できる公の弥栄に繋がる実体価値を生み出すものには拘り究めようとするが、属人的なもので個々に関わる「浮利」には重きを置かないということであろう。その観点で、グローバリズムは「浮利」に拘るものであり、そのものであるともいえる。今グローバリズムの反省期に入りつつあることは、人間社会にとり必然であろう。
日本は日本人は、忘れかけていた「この漂える国(日本)をつくり固めなせ」の作業に再び真摯に取り掛かるべきである。
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