人間社会と日本:政治-03

ー 人間社会と日本:政治-03

政治は、人間社会(其々に歴史的背景のある諸国家により構成されるもの)や個別国家の方向性を決める重要な要素であるが、それにより体現される安全保障構造や経済の運営の在り様は更に重要である。何故なら、それらは大多数の人々の日々の生活が関わる「基盤」となるものであるからである。故に、政治(政治家及び其の界隈)と大多数の人々の意識(現実認識と方向性のある意志)との相互作用が、人間社会や各国家の「動的平衡」を適切に維持するためには必須である。近代国民国家においては、政治の構造を近代性・公共性・透明性という理念やそこから導き出される規律や法で実現することが基本であることは言を待たない。西欧近代科学技術文明が敷衍した「世界」ではそれにも増して生活基盤に影響が大きい産業革命を起こす科学精神と科学技術の発展が安全保障や経済に大きな影響を与える。現代において技術革新の水準が質的にも量的にも飛躍的に向上してきており、その影響が及ぶことが常態になり生活基盤が思いもしない程の速度で複雑性を増してきているであろう。端的に言うと「機能性が複雑になりどの様にしてそれが成立っているのかが一般人には理解し難い」ものになってきている。それでも利便性が増すことで急速に生活基盤に浸透してきている。これに加えて、人間(個体)の生きる時間が長くなり政治が高齢層(平均寿命期間の後半にいる者達)により担われる傾向があり、常時進化発展してゆく科学技術を政治家達が的確に捉えことが難しくなってきている。結果として、生活基盤に多大な影響を与える科学技術に関する認識が政治へ適切に反映されていない事態を招いていると言える。状況的に、浸透する新たな技術体系にたいする法整備が遅れてしまい悪影響も生じてくることになる。これからは、高齢層と雖も科学技術の水準を認識し的確に判断し利用する能力が要請されている。卑近で具体的な例としては、先端的バイオテクノロジーの分野に属する中共ウイルスの直近のパンデミックにおいて、パンデミックの「事象と意味」を的確に理解することが出来ない政治家に感染症対策の総合判断を求められるが、これに対処出来ずに「国民の生命に危機を齎した」ことである。つまり、日本では専門家であり行政官である官僚が奇妙な専門家会議に判断を丸投げし、その見解に国民の負託を受けた政治家が確りした総合判断を示し「効果的措置」を採れなかったことである。縦割りの機能による合成の誤謬で、恐らく失われずに済んだ「命」が失われていたであろう。パンデミック発生から2年が経過していることより対策の修正も迅速に必要であることを鑑みれば、ここらで「中間総括」を行いその「功罪」を明確にしておくべきであろうと思量する。

政治においても水準の高い科学技術の動向の認識を持ち的確な「総合判断力」が要請されることが常態になりつつある。安全保障分野に反映される科学技術に関しては、人間社会の情勢変化で改めて喫緊の課題と成りつつある。経済に関しても複雑性がかなり高度になり理解が難しく成ってきていることより、政治家の意識改革が必須に成りつつある。つまり、これらの分野への理解が殆ど無い政治家では最早対処出来ない情勢になってきつつあると言える。特に、甘やかされてきた「日本の政界」はその劣化が著しく現出してきている。新たに誕生した岸田文雄総理とその政権であるが、既にその言動で安全保障や外交や経済に関しての現状認識が危い水準のようで、その言動において真に「お粗末さ」を露呈しておりその任に耐えないことが明白に成りつつある。「反日で無謬性を拗らせている立憲共産党」や「大阪省と揶揄される日本維新の会」や「役割をはき違えている連合が支援する国民民主党」等の各勢力や、「日本に軸足がない奇妙な立ち位置の公明党」を含めて、箸にも棒にもかからない劣化状態(人間社会の現実を的確に理解できておらず外部勢力の影響を受けて日本を壊すことにしか勤しんでいない)にあり問題外である。然るに、自民党の議員達の「質」にも彼等同様に劣化した者達がおり、国民はその選択が困難な状況にある。政治改革で小選挙区選挙を確立した以上は、国民に責任感を以て的確な選択が出来る「選挙環境」を提供する「二大政党制」を確立していなくてはならないであろう。今回の「総選挙」においても従前の安易な温い政党状況のままである。これまで公金から支出された政党助成金他の政治改革期待の費用にとんでもない「減損」が生じている。「政界」はその責任を果たしていないことに恥じなければならない。人間社会の情勢はこの先当面は厳しくなる一方であり、次の参議院選挙や現在のままでは恐らく「信頼性(政治的能力が欠落しているようだ)に問題がある岸田政権は持たない」ことより「衆参同時選挙」も視野に入るであろう。政治家の質の向上を早急に図ることが必須であるといえる。「総理大臣は誰がやっても同じ」という奇妙な御託宣(安定期の様相では通用するであろうが)に国民も安易に従うのではなく、生活環境(生命や財産)に政治の在り様が大きく影響されることが昨今の動向より明白であることを自覚して、政治家を確り選別する選挙に積極的に参加することが重要である。国民は政治を自らのものとして、今はSNSが発達しているのであるから自分の選挙区の政治家や関心のある政治家へ言挙げを積極的に行うことが肝要であろう。その積み重ねが日本を本来の方向へ動かしてゆくであろうと考える。今こそ、明治維新に際して掲げられた「五箇条の御誓文」を思い起こすことが必須である。

この観点から非常に「ストレス」の溜まる状況に日本はあるが、現在の巨大で複雑な人間社会(例えば国家の集まりである国連は中共の影響力が蔓延してほぼ機能していない)も同様の状況にあると言えるであろう。更には、先進諸国(其々に歴史的な背景があり差異がある)も国家の枠組みを超える各勢力の複雑な浸透と鬩ぎ合いで、同じように「ストレス」の溜まる状況にあるであろう。故に人間社会の「歴史的背景をもとにした推移と経緯」を的確に認識できるように、国家水準のインテリジェンス機能を持ち十分に機能を発揮させて、人間社会の情勢を的確に把握し分析して動向を「動的」に掌握することが必須である。そうしてはじめて、日本に軸のある歴史観や国家観を適切に確立して四半世紀・半世紀・世紀という長い時間軸をおいて見据えた日本の方向性を見いだせるであろう。そこが確りしていれば、現在の日本の政界や経済界において見られる「信頼感の無いお粗末な言動」に繋がることはないであろうし奇妙にブレることもないでろう。

現在の日本に「停滞状況」を齎している主因は、日本の政界・官界・経済界で所謂「指導層」と呼ばれる者達の大半が「勉強エリート」であることであろう。「勉強エリート」は「答えのある世界」では優秀であるが、明確な答えがなく自ら解を探索する能力が必要な現実世界では「お粗末である」ことが多くの例で露呈している。それでも既得権として獲得した仲間内の「仕組み(政治家なら世襲であり官僚ならキャリア制度)」で守られ「安穏」としていられることになる。例を挙げれば枚挙に暇がないであろう。その中で最大の既得権勢力と言えば「財務省閥(旧大蔵省閥)」であろう。明治政府以来の縦割り行政で大蔵省が「予算と財政」を握ることで各省庁を「抑える」ことを可能にしてきた。大蔵省が特別な存在(役割を穿違えているが)になるのである。大東亜戦争後も、この構造は「温存」されて現在も尚穏然とした「力」を有している。戦後官僚出身の池田勇人が作った政治集団である宏池会がその主体になっているであろう。田中角栄と大平正芳と池田大作(彼の奇妙な中共との関係から)による日中国交回復を行い、宮澤喜一以降に支那(中共)との関係が迎合する様相に変質してゆく。これには、加藤紘一(YKKの一人)と出戻りの河野洋平氏が官房長官として重要な役割を果たすことになる。天安門事件後に国際社会への支那(中共)の復帰の後押しをしたことは既に公然化されている。ここにきて、支那(中共)が自業自得で窮地に「追い込まれつつある」情勢で、再び宏池会の岸田文雄氏が政権を担当する「巡り合わせ」になっている。そして、宮澤喜一同様に「政治家として能力が希薄」であることも同様のようである。何か、不思議な力が働いているようである。

歪に台頭させた支那(中共)を人間社会からどの様に分離して「終らせるか」の極めて難しい現在進行の「問題」においては、日本の温い体質の「勉強エリート」ではなく「自頭の良さ」を発揮し展開することが出来る者を重視することが必須である。東日本大震災という契機(民主党政権のお粗末さと日本を壊す動き)から安倍晋三氏を選択してここまで何とか日本を導いてこれた。それでも、中共の影響力は自民党内や公明党を通じて行使されてきており、日本の厄介な状況は相変らずであある。露骨な経済親中派の二階俊博氏を退けて、新たに成立した岸田政権の蓋を開けてみればお粗末な「民主党」と似て非なる勉強エリートで自己総括が出来ない「宏池会自民党」であることが明かに成りつつある。これまで「安倍自民党」が立て直してきて途上にある「日本」は再び危機に陥るであろうことは明白であろう。

もう一度確認する。自らの強み弱みを適切に認識し自覚して、変化が常態の人間社会で生き残ることが出来る能力を示して、「新たに飛躍する(新たな価値を生み出す)」ことが日本には可能であろう。民度の高い日本人で構成される日本は歴史的に全般的にその能力が十分にあることが示されてきている。今それがが出来ないのは今の政界や官界や経済界に「跋扈」する者達が「勉強エリート」や縁故や世襲に甘えた者達で占められていることである。ある種の「成功体験」が既得権化してそうさせるのであるが、過去に何度も歴史的に経験があることよりここは勇気を持って払拭する必要がある。既存や既知の世界で行き詰まる方向への「浅知恵」しか出せない者達や、新たに飛躍できるもの(新たな価値)を示せない人物達(全員とは言わないが)ばかりであるからであろう。自民党は、勇気を持って朝令暮改でも「安倍自民党」へ戻し、彼の戦略や路線を引き継ぎ更に発展させる能力をもつ人物(現時点では高市早苗氏であろう)を登用して再々出発を早々に行うことである。現下の混迷する人間社会の情勢ではそうすることに「有無を言わせない域」にあることも確りインテリジェンスを働かせて自覚することである。


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