人間社会と日本:転-06

ー 人間社会と日本:転-06

支那(中共)の重要会議である「六中全会」が終了した。これからこの会議の雰囲気や其処での「決め事」が周辺関係者や分析者により解釈されて出てくるであろう。既にSNS等に流れている支那人(中共と一線を画す支那外に在住と思しき評論家やジャーナリスト達)による中文情報(翻訳済みのもの)等を参照して理解するに、これまで予想されていた習近平が更に屹立するというよりは、江沢民と胡錦涛を一応評価し彼等に繋がる勢力と妥協する姿勢が示されたようだ。この動きの意味することは、巷間言われている程には習近平指導部は強力ではないということであろう。ここから先、支那(中共)は習近平指導部の強い指導のもと「孤立化(既に始まっている文化大革命擬きの強権的政策で国内を引き締める)」を深めるという方向性が修正される可能性が出て来たと言える。国内情勢も習近平指導部の政策で混迷と混乱を深めており人心が荒れてきている。こうした情勢と時期に自身の「毛沢東化」を進めることのリスクが、支那内においても人間社会との関係においても非常に高いことを習近平自身が認識したのかどうかである。支那精神文化からしたら面子より毛沢東越えを狙うであろう。だが、来年の党大会にて次の指導者として継続できるか、今回の六中全会で「後継指名がない」と言うことは両義的に捉えることもできるのではないか。予期せぬ不確実性が生じてきていると言えるであろう。つまり、窮地になり冒険的な行動にでないとも限らないであろう。それと、台湾の中共による謂れなき強制併合を習近平自身は諦めていないようだ。

第三回の歴史決議が行われたが、毛沢東や鄧小平ほどの力のある人物による指導性もないし、中共の過去史は改竄であろし、人民も巻き込んだ状況からの必然性がある将来展望が謳われていないことより、恐らく前二回ほどの効力は持たないのではないか。既に、支那内の彼方此方に従前の在り様では安定すら維持できない危機的事態を招いていることより、習近平が中共を完全掌握できていないことが解る。ここから先の現実の支那(中共)の情勢観察の精度を高めてゆく必要があるであろう。習近平指導部が次の明確な展望が描けていない上に、既存勢力による権力争いで新たな展望を有する勢力が出て来ていないことより、支那の精神文化では「人民が活力を示して社会の方向性を決めるという方向」にはならず、歴史的には混乱と混迷の行き着く先の「崩壊(各細部から崩壊してゆくが全体としての崩壊の在り様は未だ見えない)」が生じて、次の「仕組み」の形成に向かうという「易姓革命」を繰り返すのであろう。現在の支那(中共)は人間社会にも深く浸透しており、その崩壊の影響が広く拡大するであろうし、人間社会側からも支那(中共)の動きに対応する新たな反作用の動きを誘発するであろう。既にそうした様相が出て来ている。この観点から今現在の人間社会の大局を理解すれば、日本の安倍晋三氏等が始めた支那(中共)を暗黙に対象とする「開かれたインド太平洋構想」の一つの帰結であると理解できるであろう。歴史観・国家観が確かな安倍晋三氏と雖も、これほどの速度で「状況変異」が生じてくるとは想定していなかったであろう。それ程に現在の人間社会の変化の速度は早く大きく広がると認識できる。

現在の人間社会における支那(中共)に対する忌避の傾向は、かなり強まってきていると認識できる。この状況は似て非なる「天安門事件後のデジャブ」であろうと再認識することも出来るのではないか。必然的に中共幹部宗族の連携相手であるグローバリスト(特定資産家や共産主義崩れの権威主義リベラル等の勢力)の動きも観察する必要がある。彼等が主導する現在の「主戦場」は、気候問題に託けた温暖化を前提にした脱炭素化運動等にある。この動きはエネルギー問題や主要産業に大きな影響を与える。現在、英国で開催されている国連主導の「COP26会議」もその主要なものである。COP26へ深く関与していた中共に皮肉にもエネルギー不足問題という危機的事態が生じてきており、また共産党の重要な行事である六中全会もあり、習近平はこの会議に直接参加はしていない。然るに、これまで共に主導してきたEUとは立場を違える行動(裏切りは支那の平常行動)を採らざるを得ない状況に追い込まれている。結果的にこの会議の雰囲気も「成功裡に終わるというもの」にはなりそうもない様相にある。一方で、米国のジョン・ケリー(JRB政権内でその経歴からはよく理解できないが気候問題担当という立ち位置)主導による米支の気候問題合意という奇妙な動きもある。ここにきて支持率急落に見られるように、JRB政権内に増々チグハグな信頼性を欠く状況変化が生じてきている。米国の動きも注意深い観察を必要とする事態にあるようだ。

こうした人間社会の状況推移から、転換期の「匂い」を感じることが出来るのではないか。つまり、支那(中共)と連携してきたグローバリスト達は更なる「戦略」として「気候問題」を持ち出して権威主義的リベラルを巻き込んで経済を主体に政治的な動きを強めて、これまでの支那(中共)に替わる新たな「支配構造」を構築することを目指しているのではないかという疑いが生じてくる。これまでグローバリズムを吹聴してきたことの総括も行わずに、新たな方向へ人々の目を移してゆくことには要注意であろう。グローバリストと中共という勢力が跋扈したことより、人間社会では一部のものが物事を恣意的に決めてゆくやり方は好ましくない結果しか齎さないことが、国家レベルを越えても言えることが理解されたのではないかと思量する。人間社会にも「近代性」が必要であり、新たな始まりの動きが出てくるであろう。

この観点から、米国の実験国家的な存在意義が見えてくるのではないか。今、人間社会の大局的な動向からグローバリストと共産主義の残滓が覇権国たる米国に忍び寄り、それら勢力により米国は「苛まれてきている状況」にある。これに抗うようにDJT氏を代表に建国精神を引き継ぐ「米国の真のポピュリズム」が再胎動を始めていると理解できるであろ。そして、米国におけるこの動向の帰趨が今後の人間社会に大きな影響を「始まりの動き」として与えるのではないか考えられる。付け加えると、「日本的なるもの」と「米国の真のポピュリズム」と「近代性の理論化の祖である英国」には、其々に通じるものがあると考える。ここに人間社会の新たな動きの始まりが生じてくるであろうと推測する。

天安門事件で窮地にある中共を利用したグローバリストは、一方で既に進行中の「ソ連の崩壊」にも「手を出していた」と思われる。当時はボリス・エリティン大統領の経済面での指導力の無さもあり、ソ連崩壊を利用して「火事場泥棒」紛いの動きが横行していた。恐らく、その背景にはグローバリストが居たであろう。旧ソ連国民はその動きに「失望(人民が置き去りにされ被害を被る)」していたようだ。そうした動向への反動でもあろうが、ボリス・エリティン大統領の時期に頭角を現したウラジミール・プーチン氏の登場となる。彼によりロシアからグローバリストは強権的に排除されることになる。その影響の残滓もあり、結局はロシアとしての再生への始まりにも失敗して民生が発展しない中途半端な様相を今も続けてきているのではないか。「近代化」を成し遂げる前に共産主義による官僚主導の全体主義国家に変異した結果が影響していると言えるであろう。後継の新ロシアの実体はソ連時代から温存された軍事力を持つが経済は化石燃料資源の輸出に頼る歪な国家に劣化していると現状を理解できる。更に、随分長くプーチンの「支配下」にある訳であり、それが現在のロシアを生み出しているが、プーチンと雖も永遠に生きる訳ではなく彼の年齢を考慮すればこの先10年程がロシアにとって重要な時期になるであろう。国民がどの様に対処するかである。

日本はというと、当時(天安門事件後でありソ連の崩壊過程)の情勢で歴史観や国家観が十分でない宏池会が、親中派の田中派勢力の生き残りと保守派(当時は本当に弱体勢力)との妥協の中で政権を担うことになる。その代表は宮沢喜一氏と出戻りの河野洋平氏である。日本政府にはインテリジェンスが無く支那の実態を見切る事が出来ずに、支那(中共)を支援する方向へ舵を切ることになり現在に禍根を残すことになる。当時、米国の勢いを担うグローバリストと中共による奸計に対して、唯従うという「錯誤」を宮沢&河野コンビは犯すことになる。結果、グローバリストと中共(朝鮮も含む)に「用日戦略」を許すことになる。平成の日本は真にこの戦略のもとに巨大自然災害もあり「望まぬ停滞状態」に置かれたと言えるであろう。中共の影響下に成り下がった主要メディアに日本国民は「洗脳」され「民主党」を政権に付けたが、民主党政権の東日本大震災への対応他の異様さに覚醒して、保守派の安倍晋三氏を選択して「日本を取り戻す」を遂行してきている。とは言え、物事は全般的に順調に来ている訳ではない。ここにきて、再度「選択の時」を迎えている。結果は、宏池会の岸田文雄氏であり岸田政権である。何やら宮沢&河野のデジャブの感が否めないであろう。宏池会が平成の歴史的な意味について真に「覚醒」しなければ、平成初期の「記憶(国民の50代以下の層は好ましくない大変な影響を受けた認識があるであろう)」が国民(逆に団塊の世代等の高齢者は自虐史観を教育され覚醒していない者が多いが此れから鬼籍に入る人達である)にあり、岸田政権は短命に終わるであろうと推察する。

米国は、その規模と発展性の能力を持ち実際に第二次産業革命を主導して、第一次世界大戦と第二次世界大戦により疲弊した欧州に代替し自由主義陣営の「覇権国」としての立ち位置を確立してゆく。この過程で、建国精神に繋がる本来の「ポピュリズム(*1)」は封印されてゆく。米国では特定資産家(後のグローバリスト)が台頭して国力を増大させ「覇権国」の立ち位置を英国より継承してゆくことになる。然るに、共産主義が台頭していた背景もあり、米国にも「共産党」が穏然として存在し第二次世界大戦へ米国を引導していた経緯もあり、米国社会に欧州からの移民(東欧やロシアからが主体)も含めて共産主義が深く浸透してゆく。米ソ冷戦構造後では、米国では共産党は非合法で共産主義者達はレッドパージで排除された経緯もあるが、教育界やメディア他の知識層に浸透し次世代を「感化」してゆくことになる。米ソともに紆余曲折があり、共産主義はソ連の崩壊で消滅したように見えるが、形を変えて生き残りを図ってきている。国連機関の左傾化にみられるように「権威主義的リベラル」としてである。米国も「ベトナム戦争」「中東介入」「アフガニスタン介入」の動向(結果移民が大幅に増大している)を反映して国内で左傾化を一段と進め、現在のJRB政権は真に「左傾化政権」であり「グリーン・ニューディール」を掲げているところなど、戦前のFDR政権を彷彿させるものがあるのではないか。左傾化への反動としてDJT政権が誕生したが、外部勢力の介入もありDJT氏は既に大統領職を追われ一期のみの政権になった。それでも対支那(中共)政策は確固としたものがあり人間社会に支那(中共)の実態を公然化した。人間社会は、支那(中共)を忌避する方向へ進んでいる。米国では、次の2024大統領選挙に向けてDJT氏の活動も活発化してきており、どこまで真のポピュリズム勢力が覚醒して、米国版「米国を取り戻す」が米国内に浸透するかである。現在、その鬩ぎ合い状況が進行中である。

*1:欧州から「逃れてきた人達」により建国された米国は、「民の意志を強く反映した近代国民国家」を目指していた。其の観点から欧州からグローバリストの前身である特定資産家が進出してくるのを歓迎はしていなかった。米国では、ポピュリズムは「民が主体」の意味合いが強いものとして使われているであろう。日本ではポピュリズムに衆愚の意味がありその違いがある。米国の真のポピュリズムは、日本の国体である「天皇と民」と「天皇のしらすの国」を体現する民(百姓)に通じるものがあると理解する。現在DJT氏が喚起している米国再生への動きに呼応する人達は恐らく米国の「真のポピュリズム」を体現している人達であろう。であるならば「日本的なるもの」を体現する民の活力を担う中今派(保守派であるがより前向きで積極的に事に臨む人達)の日本人は米国のこの人達と連帯できるであろう。

EUは、第二次世界大戦後に疲弊した状況を抜け出し欧州として纏ることを独仏主導で行ってきた。安全保障ではソ連に対抗する勢力としても存在としてきた。この関係もあり支那(中共)との関係は深いものがある。独仏は戦前から支那との関係は深く、特に独は支那を挟んで日本との関係が紆余曲折してきた。独は日本より支那との「相性」が良い印象がある。ソ連が崩壊して、独は一層支那(中共)との関係を強める。通貨統合からEUとなり、独は通貨政策で最も好都合な環境を謳歌してEUで指導的な立場を強化してきた。ソ連が崩壊して結果的に東欧が独立してEUに参加し「欧州合衆国擬き」に変異してきた。ここにきて、支那(中共)の実体が公然化して共産主義にアレルギーのある東欧諸国(旧共産圏)が支那(中共)との関係を見直し離反し始めている。EUの対支那(中共)の動きを東欧が主導しているとも言える。長い間政権の座にあったメルケルが退陣することに成っているが、支那(中共)に深入りし過ぎたメルケルの後を果たして円滑に移行できるのかである。アルプスを挟んで南北問題も、今は落ち着いているように見えるが、決して解決された訳ではないであろう。旧共産圏で未だEUに参加出来ていないウクライナ他の諸国もロシアとの関係を含めて不確実性が解消されない状況にある。こうした背景で中東欧に一帯一路を掲げて浸透してきた支那(中共)が今「翳り」を見せ始めていることによる影響も今後は無視出来ないであろう。

英国は、元来欧州には関りを持たない(外交の主体を置かない)できたが中途半端にEUに参加し、結局は馴染めないEU(権威主義的傾向が強く例えば共産主義の原点がドイツ観念論であるように)から脱退し本来の国是(今回は帝国主義ではなく欧州以外に存在価値を求める)に立ち返る方向にある。英国は英連邦を主体に其の存在を再確立する方向へ動いているのではないか。西欧近代科学技術文明を最初に起こし覇権国の立ち位置にもあった経歴がある英国である。其処に蓄積されているものをこれまでの「負の歴史的な扱いのみ」ではなく、的確な再評価を行い国民が希望の持てる方向へ行けるように動いてゆくであろうと推察する。その意味でも英連邦の存在意義が再認識される状況に成ってきていると言えるのではないか。


人間社会は、その精神文化に拠って立つものに関わることでは変化に相当な時間を要する。然るに、西欧近代科学技術文明以降では科学技術(常に新たな発展があり進化と深化が速度を増してゆく)の発達が生活基盤(経済主体に)を大きく変化させてゆく。この二つの作用素における時間軸の違いに生じる人間社会の混迷と分裂が、西欧近代科学技術文明の功罪となって現出してきたと理解できる。支那(中共)という歴史的な特異な精神文化と能力を持つ者達に、その負の歴史を払拭する(換言すれば近代化する)機会が齎されたがそれを受容することが出来ずに易姓革命を繰り返した。人間社会は次なる展望は求めて新たな動きを始めるであろう。

先述したように、近代性を踏まえた「真のポピュリズム」が普遍性を持ち人間社会に敷衍されてゆくのが妥当な動きであろう。であるならば、日英豪米(AUKUS+J)が今後の動きの核になるであろう。しかし、国単位で捉えられないものがあるのでどの勢力(人の要素が重要であることは言うまでもない)が担うのかが重要に成ってくるであろう。日本では、自民党(内部に大きな幅がある)になるであろうが、その中のどの派閥の誰にになるかであろう。今回の総選挙では岸田文雄氏(宏池会)を選択したが、宏池会は過去に錯誤を犯しておりその総括が出来ていない。田中派を継承する竹下派(これからは茂木派)は元来親中派である。結果、宏池会が本来の池田隼人を継承することが出来るならば岸田氏に継続の目が出てくるが、そうでないならば、国民は清和会(安倍派)の人物を次に選択することになるであろうと思う。同時に、自民党における政治家の鍛え方(総合判断力を高めること)や選択の方法に、より透明性と機会均等の改革推進が必須である。人間のすることであり人物本位は必然であり属人的に成りがちであるが、物事に対する優れた平衡感や均衡感が共有される精神文化(「日本的なるもの」が体現される)により保たれることが必要である。政治家の能力向上だけでなく、日々変化する状況に対処出来る専門性を高めた官僚の輩出が可能な構造に官僚機構の在り様を再編することも必須である。明治維新以来の中央集権の在り様の再考も喫緊の課題でもある。

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