ホモサピエンス再考:ユーラシア中央編

ユーラシア大陸の中央部分とその北側と南側について、何故に現在の状態に成っているのか「大筋の考察」をしてみる。既述のもので「スラブ」の認識に誤解もあったようなので、再認識もしておく。

<欧州のY染色体ハプログループの分布>

   西欧   南欧   北欧   東欧
R1b 50.5%  41.5%  53.0%   9.0.%
R1a 9.5%    6.0%   9.5%    43.5%

スラブを再認識する。大きく捉えると、拡大東欧(独の東側からウラル山脈西側)は、ほぼスラブというものであるようだ。以下のような地区割と分布になる。

東スラブ  ロシア、ウクライナ、ベラルーシ
西スラブ  スロバキア、チェコ、ポーランド
南スラブ  スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ
南東スラブ ブルガリア、マケドニア

バルカン半島には、コーカソイドの古いタイプI系統がボスニア(イスラム教地域)と北欧に見られる。ロシア北部には、N系統のウラル系民族(フィン、エストニア、サモエド)や北極圏のヤクートが見られる。

露の拡大(ロシア帝国の東進南下政策)により、露にはC2系統の影響があるが、その前にも一時期のユーラシア大陸の一大帝国である「モンゴル帝国」による露及び東欧域までの侵攻の経緯があり、露にはC2系統(モンゴル)の影響が既にある。更なる影響があったということになる。

中央アジア高原地域の南側から、ヒマラヤ山脈の西側から南側にかけて、更に中東とアラビア半島と地中海沿岸に、J系統が頻度の高低があるが広く分布する。イスラム圏でありその歴史的な浸透域を成している。一方で、長い歴史的な経緯からG、J、Rの系統が混合しているコーカサス地域やトルコ地域とも露は接している。また、パキスタンとインドの古いオーストラロイドも混じる地域とも接している。大きく捉えればコーカソイドの集まりであり、その古いタイプから新しいタイプへとユーラシア大陸の西側へ拡大していることを示している。露と東欧を含めたユーラシア大陸の拡大中央部は、こうした背景を持つ地域であると理解できる。


分断と混乱の地域から欧州地域への「人の移動」が生じており、同じく分断と混乱の地域から先進国へ人の移動という同型の問題が、米州大陸の米国へも生じている。日本への隣国勢からの人の移動にもその側面(別の意図もあるが)があるであろう。

時間軸を伸ばせば、欧州地域にはネアンデルタールの主体がそれなりの規模で存在していた。彼等とホモサピエンスの先祖が生存していた時期とが重なり合う時期があることも解明されてきている。環境変化等の影響からくる単純な突然変異による系統分離なのか、そうした人種との交配によるものなのかが今後明確になるであろうと理解する。そうしたものがこの地域の問題に、深く潜在している可能性も否定できない。

ユーラシア大陸の中央部から西側に懸けての「状況」は、コーカソイドの新と旧の系統による「鬩ぎ合い」と換言することもできるのではないか。直近ではこの鬩ぎ合いの潮流は二つあると言える。一つは、露も含めた東欧(R1a系)における西欧近代科学技術文明が伝播するに際して、そこに内包する問題から生み出された思念的鬼子である「共産主義思想」が、先験的にある大陸性向と結び付いて権威主義化した「勢力」を生み出しそれなりの時間経過で崩壊したことから、その勢力達が「犯した事態(異様で暗いものが多い)」の清算であろう。もう一つは、古くて新しい宗教問題である。ユダヤ・キリスト教から派生しているイスラム教の地域において、イランのホメイニ革命から始まると思われる行き過ぎた「原理主義運動」がイスラム圏へ拡大しており、その地域に齎した分断と混乱を克服し秩序を齎す必要であるといえる。現状はこの二つの潮流が綯い交ぜになっているように見受けられる。特に後者の問題は根深いものがあるようで、そことは遠い存在である「日本側」からは理解が難しいと言わざるを得ない。

結局はどちらの懸案においても、ヒトが人間になり共同体を構築するようになり生まれてきたダークサイドの欲望である支配欲と独占欲のコントロールの在り様に起因すると理解する。そのことを踏まえると、それらを「伝統と慣習」で上手く扱ってきたのが我々日本の祖先と先達であり、長い時間を掛けて熟成し獲得したものに工夫を凝らし継承してきた「日本的なるもの(理路整然としたものではなく先験的なものが進化してゆく形で)」であろうと理解する。日本は、歴史的に地政学的特徴から「外界」と何度か関りを持ったり断ったたりをしてきた経緯がある。直近では、明治維新より人間社会と関わりを持ち始めて150年程が経過した。現在の人間社会の統合度において「鎖国」は不可能である。人間社会の情勢を踏まえて「変異した共産主義」や「過激化した宗教原理運動」が、「大陸性向」を持つ強権的体質の勢力に合体して齎す「悪行と愚行」に、自らの強み弱みを認識して日本他の先進国勢力は毅然と対峙せざるを得ない。

ホモサピエンスが生存し続けてきているということは、悍ましいものはある程度の域にまでは達するが、そうしたものはある段階で崩壊するであろうということである。例えば、時間は掛かったがソ連型共産主義のようにである。その先験的なものから学べることは「デカップリング」が答えであるということである。米ソ冷戦構造は当初からデカップリングであった。ソ連型共産主義では、軍事技術には今でも「活力」があるようであるが、民生に関しては計画経済が民の活力を押し殺して閉塞状態を齎した。同じような状況に中共を「追い込むこと(デカップリング)」が中共の崩壊に繋がるであろう。米国DJT政権はそれを徐々に実行に移してきた。JRB政権も今のところその姿勢を継続している。日本の政権は菅政権に代わり「危うさ」を見せているが対中共への対峙姿勢を明確にしつつあるのではないか。米国の動きと日本をはじめとする先進諸国の同調勢力の動きが揃ってゆくことが重要であろう。


現在のユーラシア大陸において、強権的大陸性向の出自に従い時代錯誤(先進国側から見て)の体裁をしている3勢力(中共、露、イラン)が、呉越同舟の「動き」を行い始めているように思える。人間社会を「システム」と捉えれば、新たな動的平衡を求めて動的変化が生じていると捉えることができる。つまり、中共の実体が公然化して、それは「犯罪に等しい行動様式」であり先進国側に「寄生」することで台頭してきている。先進国側の同調勢力はそれを利用してきた経緯がある。そこで生じた「不均衡」を矯正しなければ人間社会は崩壊するリスクが公然化してきた。現在はこれへの反作用が生じてきていると言える。ソ連という体制内では、計画経済による不均衡が耐えられなくなりそのシステムが崩壊したと捉えることが出来る。ソ連は崩壊したがそれを継承する露は近代国民国家の水準を満たせていない。ソ連の名残がある。また、中共とその同調勢力が引き起こした人間社会に巨大な「不均衡」を齎す動きに対して、人間社会から反作用が生じてきていると言える。中東地域は、イスラエルの建国から始まる混乱がイランによる宗教原理主義行動の拡大に繋がり、現在に更なる分断と混乱を齎している。これらは「大陸性向」の勢力の人間社会が到達した「近代国民国家」を蔑ろにする強権的時代錯誤な動向であるといえる。

ホモサピエンスの歴史において着目することが少ないが、「海洋勢力」が文明の発展に果たしてきた「貢献」は大きい。陸を伝播するより全般的に早い特徴がある。歴史的にも「海洋勢力」が文明を主導してきた経緯があると言える。日本の歴史を想起して見れば明らかである。縄文時代から海や河川を利用しての移動が活発で日本列島内で「源日本人」が誕生したといえる。陸路より多くの人や物資を運ぶことが可能である。日本における皇統にも大陸性向と海洋性向の二大勢力が内在的に対峙してきた経緯が公然とは語られないがあるであろうと考えている。それに纏わる史実も多い。ホモサピエンスの各系統には、長い時間経過のなかでそうした性向が備わってきたものであろうと理解する。

西欧近代科学技術文明は海洋性向の勢力が齎したものであると言える。ローマ帝国は地中海海洋文明である。ここにそれまでの文明にはない要素の起点があるように思える。日本は縄文時代から適度な島国でありそこに海洋性向の人達が生まれ、新たにやってくる人達も海を渡ってくるので海洋性向が主体であると言える。その観点から西欧近代科学技術文明とは「通じ合う」ものがあるでえあろう。日本人に歴史的に深く内在する「海洋性向」が、今再び「大陸性向」の中共(支那)の在り様に対峙してゆくのは、歴史的な必然でもある。特に、中共の異様な行動様式に対するものとして、人間社会での日本の立ち位置を明確にした「毅然」としたものにならざるを得ない。

この観点でユーラシア大陸の中央部を再点検する。元来J系統のアラブは「海洋勢力」である。アフリカの東側からアラビア半島その東側のイラン・パキスタン・インド・東南アジアの沿岸域で「活躍した海洋勢力」であるが、石油の登場と共にアラブがそれに大きく依存するすることで、その海洋勢力が「姿を消した」情勢にあったといえる。その為(力の均衡が崩れ)に、大陸性向のアーリア系が宗教原理主義と結び付いて「強権的な」動向をみせていると理解できるのではないか。

スラブにしても、バルト海や黒海と地中海に繋がる沿岸地域には「海洋性向」の勢力がいたであろう。ロシアにもバルチック艦隊があった。それが「大陸性向」の勢力と共産主義が相俟ってアラブ同様に「消えていた」状態にあったと言える。

支那に関してもO1系統の勢力は支那大陸の沿岸部が主体であり、「海洋性向」の勢力である。この繋がりは好ましいものではないが、中共のなかでグローバリスト勢力と同調しているのは上海閥(支那の海洋性向の勢力)である。

現在の人間社会では、国間の人の移動の主体は「航空移動」である。この影響で各地域の海洋勢力を弱体化(経済的な側面で)させた経緯があるように認識することが出来る。また、自動車の発達が同じく国内の移動と輸送に影響を与えたと認識する。これは科学技術が人間社会に与える様相の変異(動的変化)である。こうしたことも含めて、大きな観点から人間社会の変化の様相を理解しその与える影響まで見通して対処することが必要であろう。

現在は科学技術が人間社会の基本部分にまで浸透を始めている。「情報化と知識化」である。また、人口増加や産業技術の高度化で環境問題も重要な要素になってきている。学者の「直観」に頼るのではなく、社会学における多変量を扱う計算学の発達が促される必要がある。文系においても数学の応用が必須であろう。特に、日本の大学の在り様(特に文系)の点検が必要であろう。


大陸性向と海洋性向と既述したが、物事の見方の一つとして挙げた。より本質的なことは、人間社会は「人間という生物」で構成されている。人間社会も生物的様相を色濃く持っていることを認識することである。卑近な例を挙げれば「中共ウィルス」でありそれへの対応である。ウィルスを完璧に排除は出来ない。免疫力を上げて動的平衡を保てる状態を確立することで、その悪影響を回避できる。強毒性を発揮するウィルスには、自ら宿主を滅ぼし一緒に消滅することを前提に宿主を「分離状態」に置くほかはないのが「現実」である。ウィルスも宿主も同じ生物として相互作用を行う。ワクチンは免疫力を上げるための疑似的なものであるが、ウィルスも対抗して抵抗力を上げる。この観点で相互作用である。近代化以前の人間の在り様を露骨に示す観点(ヒトの原初的なものを体現しているという)で、「中共」そのものが現代の近代化された人間社会(先進諸国だけかもしれないが)における「ウィルス」と呼べるであろう。

人間には生物的な要素と共に重要なものが精神的な要素であることは言うまでもない。風土に培われた精神性というものもあると考える。精神文化というものである。その意味で「大陸性向」なり「海洋性向」を使っている。しかし、西欧近代科学文明が誕生して以降においては、近代国民国家の形成と共に精神的なものとして「理念」「思想」「主義」等が生まれてくる。現在は、ソ連型共産主義は崩壊したが、「悪性」のものとして「変異した共産主義」が人間社会に蔓延っている。

そうしたもの以前からあるものとして代表的なのは「宗教(教義宗教)」である。宗教は、近代国民国家では政治への参加を否定(突き詰めれば教義に妥協の余地はないからであろう)されたが、現実的には無理であることが今現在の人間社会の状況を鑑みれば明らかであろう。宗教の原理主義の問題の本質がここにあるが「答がない」のが実情であろう。無駄に強い精神力のある側に押し切られる蓋然性が高いことより、不作為にて鬩ぎ合に任せるのもいけない類のものであろうと考える。厄介な問題である。当該宗教への参加者達が宗教改革を行い解決するべきものであり「外部」に強要されるものではないであろう。更に、変異した分断と混乱を齎す共産主義(実現不可能であるが故に弱者に寄り添う姿勢で活動して狡猾なビジネスに結び付ける)が付け込んでゆく「隙」を与えている。露や中共がイランと呉越同舟の同調的な関係を体現するのは、中東地域に対する欧米先進国の歴史的経緯を踏まえた「中東弱者ビジネス(問題を解決するのではなく分断と混乱を引き伸ばし乗じる)」に加担するという類のものであろうと理解する。現在の人間社会の情勢においては、今だに日本に見られる「性善説」の立ち位置にて「無邪気な対応」で臨むことは、後々に禍根を残すことになる。現在の状況に至った「長い時間」の経緯を確り踏まえた対応が必要であろう。

人間社会を主導的に動かしてきたのはこれまで「男系」であるという認識から、Y染色体ハプログループの遺伝子系統の状況を理解して、更には「大陸性向」や「海洋性向」という精神的傾向に着目して、近時の「変異した共産主義」と「宗教原理主義」という観点から、ユーラシア大陸の中央州と亜州とそれら地域に対する先進国勢力との関わりを概略的に見てきた。

現在の人間社会で各種の公然化した事象より、西欧近代科学技術文明の功罪が問われる「局」に人間社会は来ていると理解している。今生じている「不均衡」はそのままにしては、獲得してきた「功」の部分も失いかねない状況に至っていると言える。日本がかくも長きに渡って継続してきた「意味」を此処で再考し、現在の米国の動向をよく観察して理解して、確りとした覚悟と矜持を持ってこの「局」に臨むことである。「3.11」で本当に助けてくれた勢力と一目散に逃げた勢力を思い出し、国内の各勢力がどのように動いたかを思い起こすことである。今だ10年が経過しているだけだが日本は忘却している面がある。

人間社会の「悍ましいもの」を克服するためには、日本は強くあらねばならない。そうあることが出来るのも日本であり、次の人間社会に移る為に「貢献」できる能力も充分に持ち合わせていることを自覚し、先達の叡智に真摯に学び妙なプロパガンダに惑わされずに突き進むことであろう。


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