人間社会と日本:安全保障-01

ー 人間社会と日本:安全保障-01

日本の「安全保障」の問題は、実は明治維新で構築してきた近代国民国家としての大日本帝国時から内包していると言える。大東亜戦争での敗北に繋り、戦後の経済偏重の復興から高度成長を経て日米経済戦争に繋がり「対処」出来ずに「後退」を余儀なくさてきれた。更に、グローバリスト勢力とそれに連携した中共にまで「用日」されてきた経緯がある。つまり、人間社会で国家として適切に自己主張する術を得る機会が、ユーラシア大陸の東端の適度な大きさの島国で独自性の世界に生きて来られた為に、その歴史が頗る長いにも拘らず人間社会のなかで日本を鍛える機会が無かった事に起因していると言える。逆に言えば、日本は「好位置に位置していた」と言える。

明治維新の際に犯した間違いの最たるものは、国軍の統帥権を天皇の直轄(軍の独自性を許す)にしたことと、総理大臣を天皇の代理(輔弼する)の如き立ち位置にして官僚機構(縦割り)を「纏める役割」にしたことである。つまり、複雑怪奇な人間社会において有象無象の国家群を相手に、日本国が適切に生存してゆけるよう総理大臣により国家を戦略的に動かす仕組みの内閣にしなかったことにあると言えるであろう。

敗戦後に議員内閣制になり間接的ではあるが総理大臣を国民が選ぶ仕組みになったが、官僚機構は大日本帝国時代のものが踏襲された為にその宿弊は引き継がれて今も問題を孕んでいると言える。

明治維新より150年間が経過し、昭和の前期には未曽有の経験を受容したにも拘らず、また昭和の後期から更に平成を通じて外部勢力に翻弄されてきている。そうした背景もあり、近時「安倍晋三氏による日本を取り戻すという意図の元で各種の修正や更新」により、日本が「戦略的な行動」が出来る下地が出来たと言える域に来た。

人間社会は、西欧近代科学技術文明の「功罪」が明確になり、支那の規模と歴史的に培われた精神文化により人間社会の趨勢に遅れてきたが、歴史的必然であろうか今現在で「罪」の部分が支那(中共)に集約するという状況を生み出した。支那(中共)は直近において歪に台頭したがそれは持続可能なものではないことが公然化してきている。人間社会は、現在「方向転換」を図ろうとする事態に至っているし、人間社会は近代性が希薄になったが故に安全保障が全てに優先する事態を招いている。

ここから日本が行うことは、以下の観点を踏まえてその方向性を考察する。

〇安全保障の様相の変化への対応
〇インテリジェンスの強化
〇戦略立案遂行部門の強化


直前の米ソ冷戦構造では、安全保障を背景的に担保するのは「軍事力とインテリジェンス」であった。お互いの状況をインテリジェンスを通じて確り把握し、あらゆる努力を傾注して「戦力の不均衡」が生じない様に対峙するというもである。莫大なコストを必要とし、ソ連の崩壊の一因にもなった。現在は、技術革新が進み情報化と知識化が人間社会に敷衍してきており、陸海空宙において全域監視体制が整い核抑止論もあり大国間の本格戦争は「起きない枠組み」が構築されてきた。然し乍ら「技術革新に伴う様相変化」から、また体制間(米ソ冷戦構造)の対立ではなく、ソ連の崩壊以降はより小局なイデオロギー間の対立に比重が移ってきている。つまり、国家の枠組みは残しつつその枠組みには収まらない勢力間の対立が生じてきており、テロリズムが色々の場面で横行する様になってきている。換言すれば、近代性が希薄化する状況に繋がってきていると言える。近代性というものは偶然に得たものではなく、西欧社会で宗教改革から始まり科学精神の涵養と発展で科学技術の発展が促され、その応用で人間社会に巨大化と複雑化を齎してきた。この過程で、より良く国家共同体を治める仕組みとして「近代性」が確立され近代国民国家が構築されてきた経緯がある。

西欧近代科学技術文明が敷衍してゆく過程で近代性が当たり前のように認識されるようになったと思われたが、米ソ冷戦構造から共産主義の台頭と崩壊を経て、特異なテーマを掲げて権威主義的に振舞う体質のリベラル勢力が生まれてきて、人間社会に「混乱と分断」を齎してきている状況になっている。近代性が非属人的な社会の在り様を追求しているのに対して、後発の「権威主義的リベラル」勢力は現実の活動をみると先進的であるかのように振る舞うが属人的な在り様で個人の極端な自由を追求しているといえる。一方で、グローバリストという極端に強欲を実現のために近代性の一側面である「自由」を利用する勢力も存在する。どちらもインターナショナルで無闇に個人の自由を要求するものである。ここにきて最大勢力として支那(中共)は超限戦と称して「混乱と分断を刺激」する方向で人間社会に作用し、相手を弱体化させて華為秩序を布くように人間社会に浸透してきていることが判然とした。嘗ての共産主義のように「明確な対立軸」による活動ではなく「権威主義的リベラルに影の様に背後から見えない形で寄り添い」入り込んでくると言える。結果的に、共同体的な要素がない支那(中共)の在り様にはグローバリストや権威主義的リベラルは都合がよい利用相手であり、「近代国民国家」における共同体的な側面に危機を齎し始めていることに繋がることになる。その意味で「安全保障」が全ての領域で第一義的な課題になっていると言える。

従来の様に「軍事力とインテリジェンス」での対応では対処しきれない事態になってきている。グローバリストや権威主義的リベラルを横行させるとどの様な人間社会になるかと考えれば、その極端な範例が支那(中共)に体現されていることに行き当たるであろう。今、人間社会は支那(中共)を忌避し始めている。であるならば、ここからは「近代国民国家」を再考し如何に近代性の水準を上げ守り育ててゆくかになるであろう。必然的に、この観点から安全保障を考えてゆくことになる。「過ぎたるは及ばざるがごとし」を理解しない勢力にどの様に対峙してゆくかである。同じ価値観を有しない以上は公論は成立たないので、「努める姿勢」を示しながらも冷徹に「政治的経済的に締め上げてゆく」戦略を取らざるを得ないであろう。そうした価値観は存在出来ない環境を構築してゆくことになる。支那(中共)よりも上位の立ち位置になる事に努めて、制約を支那(中共)に課して自滅を誘う戦略になる。そうした冷徹な動きが出来るようにならなければならないと言える。

大日本帝国時代の残滓であり大東亜戦争後も温存され的確な修正が行われてこなかった「縦割り行政」の官僚機構を適切に変更する。縦割り行政の弊害は今回の中共ウィルスの対処に当たっても実感されたことより言うまでもないことである。安倍政権のもとで修正が進められて下地はできているので、より組織構造を明確にする。

分かり易い例として、企業の組織構造を取り上げる。CEO及び担当役員で構成する役員会があり、これに相当するのが内閣総理大臣と各担当大臣で構成する内閣である。役員会を支援する組織として経営企画部門があり、これに相当するのが内閣官房である。現在の内閣官房もかなり手直しされているが、より本格的に改築する必要がある。

内閣官房は、内閣が適切な総合判断に基づき意思決定が出来るに足る適切に整理された情報を内閣に適宜上げることがその責務である。常設部門として以下のものを設ける。

・内外情報管理(国家統合インテリジェンス)
・国防管理(集団安全保障を前提の国防と同盟維持)
・通商産業経済(経済安全保障を前提)
・国家予算企画管理(内閣の意志を反映した経費と投資の予算)
・省庁幹部人事管理(内閣の意図の元で政治任用を前提の官民登用)
・特別目的管理(複数で期間限定)

緊急事態法(今後の課題として皇室典範・日本国基本法・緊急事態法の体系に移行を想定)に従う体制を準備する。今後の課題である。

総理官邸は、総理の補佐機関であり総理が任命する内閣官房と連携したメンバー及び民間から見識のあるメンバーで構成する。補佐官の権限も規定しておく。また、重要なことは政治家や官僚の無責任なり不作為を助長する現在の「審議会制度」を廃止することである。内閣官房は専門能力と責任感のある人物達で構成されるものとする。内閣官房の人員は民間人の政治任用も行い、官僚と民間人の交流を活発にする。合わせて官僚の天下りを廃止する。最終的に「キャリア制度」を廃止し、官僚の専門機能を強化し内外での若手の研修を充実させる。

総理官邸と内閣官房のもとに指揮される各省庁を設ける。各法で省庁の増改築や廃止を行うのではなく、内閣法の中に各省庁の増改築や廃止の権限を規定し臨機応変に組織改革が出来るようにする。

此処で大事なことは、日本は古来より「中央集権的国家」ではないという理解である。それは歴史が示している。現代の近代国民国家はには必須のものであるが、中央機構は簡素化し国家として必要最小限のものに簡素化する。情報化と知識化で生産性を各段に挙げる。同時に国家による公共サービスの質も大幅に向上するように図る。必要な「省」は以下のものであろう。インテリジェンス機能の強化と財務省の専門機能(予算企画機能は内閣官房へ移す)への限定である。内閣法制局も議会側へ移行し議会の法制局と統合する。法律作成は議員立法を基本とし内閣は法案作成を行わない。与党へ法案提示し与党議員による立法とする。政党の立法機能の充実が必須となる。野党も法案作成能力を鍛えなければ政権交代もあり得ないことになる。国会では与党と野党の法案や案件を専門員会で質疑・議論を行うことになる。其処への大臣や官僚の参加は必要な人物とし総理大臣他の国会への現在の「釘付け」の在り様を改善する。本来の仕事が出来るようにすることである。

・情報省
・国防省
・内務省
・外務省
・法務省
・財務省
・通商貿易省
・産業計画省
・厚生医療省
・労働環境省
・文部教育省
・科学技術省
・国土管理省
・監査監察省
・特別専門分野省(複数)

安全保障がテーマにも拘らず何故に「行政組織」に関して言及しているかと言えば、近代国民国家の最重要な生存目的は、国民が安全な環境において自らの活力を生かして成長し、その統合で国家も近代国民国家として更に水準の高いものを目指すことになると理解するからである。その環境を適切に維持管理してゆくのが政府である。方向性をきめるのは議会と議員である。何事も安全保障(国益とも言い換えられる)を前提に行政の執行を行うことになる。日本は、この意識が希薄でその素因は明治以来の官僚組織の在り様(自己最適化に邁進し国益を損なう)にあった。人間社会の転換期に改めて組織の宿弊を取り除く修正を行うことである。そうして初めて「戦略的に動ける」仕組みになるであろう。

インテリジェンスの機能が劣化しているというよりは、日本では蔑ろにされてきた経緯がある。日本は古来より「インテリジェンス」には長けていると言える。隋唐の時代には確り支那の情勢を把握していたし、戦国時代は忍者を使い情報収集は必須であった。江戸時代は、幕府に忍者の後裔組織があり各藩の動静を把握していた。問題のある藩は「改易」された。明治維新以降は国際的なインテリジェンスが展開される。最も有名なのは、日露戦争時の明石元二郎による欧州側における露西亜攪乱作戦である。露西亜軍を東西に分離させ満州への終結を阻害し、日本軍の勝利に間接的に貢献した。こうした華々しいものとは異なるが、軍を主体に人間社会の動静の情報収集と分析は確りしていたが、それを国益に沿って統合的に有効に利用できる組織体制にはなっていなかった。この為に多くの「錯誤」を犯し国も進路を誤ったとさえ言える。戦後も官僚機構は温存され「縦割りの在り様」は継続されてきた。日米経済戦争や中共による用日戦略に嵌り対抗手段が採れない等同じ「錯誤の轍」を繰り返している。この先の人間社会の転機は前例がないものであり答えのない状況にはインテリジェンスを確りして的確に認識し国益を踏まえた戦略を練り対処してゆかねばならないであろう。情報組織の早急な整備とその応用を的確に行う中心組織と情報の官僚機構と有機的に連携する仕組みの確立が必要で必須である。同時に、詳細には語れないであろうが、国民向けに大切な情報を分かり易く時宜を踏まえて開示し、国民の理解を得てゆくことが重要であろう。更に、現在は情報化と知識化が急速に進展していることより、情報取集分析の迅速化が期待されると伴にこの分野独特のセキュリティへの対処も確り行うことである。

特に、日本は長い歴史があり「国体」は「天皇と民」「しらす」により体現される。政体は時の情勢により在り様を選択してきた。大きく発展し複雑化したが、日本は起源以来の本格的な「しらす」の政体を実現できる段階に来ている。つまり、明治維新に際しての「五箇条の御誓文」を実現できる水準にきている。

同じ時期に西欧列強に対峙して劣後し国内の大混乱の後に、結局は易姓革命に堕して「中共王朝」を構築して人間社会から忌避される存在になった支那(中共)が今の隣国である。東アジアにおける二大国の何とも言えない「皮肉」であろう。日本人は近年において、支那(中共)からかなり影響力を行使されて誤解や錯誤をしている者達もいるが現実をよく見て判断を行うことである。

日本の安全保障を確立するとは、確りした歴史観と国家観に裏打ちされた国益を重視する「戦略的政策」の遂行ができる内閣と官僚機構を確立し動かすことである。何度も同じ錯誤の轍を踏むことが無いようにインテリジェンスを向上させ、日本が本来の在り様で永続できる立ち位置に、覚悟と勇気を持って進めてゆくことである。

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