人間社会と日本:転-12

ー 人間社会と日本:転-12

〇日本経済再興及び進化&深化の政策(経済安全保障の確立)

「経済安全保障」という言葉が世間に出て来たことの意味を翌々理解することではないか。先述したように平成に至る前からの「日米経済戦争(米国側の言い分がほぼ通り日本が唯々諾々することになる)」と揶揄された日米間の貿易交渉があり、日本は加工貿易の比重(経済大国になれば本来それ相応の立ち位置に移行する必要がある)を改めることなく、「安易に状況に安住(大東亜戦争へ突入した時と同じく自国の立場を確かなものとせず情勢の変化が読めず現実認識で錯誤を犯していた)」してきていた為に日米経済戦争に負けた。同時期に、民主化を否定(天安門事件)しそれまでに「成長」した成果を一段と上げることを「画策」していた支那(中共)(江沢民が党主席につき江沢民派が台頭)と米国の特定資産家(グローバリストが台頭とそれに連なる国際金融資本)の連携による「用日戦略」に嵌められてゆくことになる。この当時の日本の指導層は「お勉強エリート」で占められる政界(自民党の宏池会)であり、既得権が一段と強化された官界(支那(中共)の影響力が浸透し省益に拘る財務省閥官僚が主体)であり、グローバリズムに席巻される経済界(大企業の官僚化したサラリーマン経営者群)であって、そうした温い体質の者達には米国や支那(中共)に到底太刀打ちが出来なかったと言える。経済大国になった自国の在り様を大東亜戦争の敗北を踏まえて歴史観や国家観を鍛え直して確固のものとさせておらず、仕掛けられた「経済戦争」で再び敗北することになった。具体的には次のように理解できるであろう。

グローバリストは「資本の論理(実体経済よりも金入経済重視)」を強く押し出してきたことより、これに感化された「軸の無い経営者」達は株主側や自分達に報いることに精を出し従業員に報いることを疎かにし始める。四半期決算による利益重視と配当重視の経営になり、経営陣と管理職の待遇を改善してゆくが従業員の待遇は圧縮され低下させられた。他方で、日本では労働運動が左傾化(同盟と総評が合体して連合が成立するが左傾化が強い総評が主導権を持つ)によるイデオロギー重視に走り「待遇改善を行う条件闘争力や技術革新により職場環境の変化と労働の質の変化への対応能力」が低下してゆく。経営側と労働組合側の両側の変質により、従業員の待遇(給料等)が低く抑えられて行くことに成る。又、株主の意向が強く反映しない大企業では内部留保が厚くなってゆくという現在の状況に繋がる。更に、為替の円高傾向が定着することで製造業が韓国や台湾や東南アジアへ移転してゆく。日本から「職場が消えてゆく」事象が継続してゆく。従業員は生産者であり消費者でもある。国民の大半を占めるの消費者の可処分所得を劣化させれば「景気が後退する」ことは明かであろう。少数のグローバリストの跋扈による金融経済の拡大で特定資産家や国際金融資本は潤うが景気への波及効果は限られる。日本は「悪性のデフレ」が蔓延り抜け出せなくなる。

支那(中共)の用日戦略のもと日本のメディアへの影響力行使で、大東亜戦争の時と似て非なる同型の「支那に引き寄せられる」という事象がメディアを通じて煽られ、製造業を中心に支那への進出が一層拡大してゆく。この動きは日中国交正常化から始まっているが、天安門事件以降の日本企業の支那進出は初期とは「質」が異なる。日米経済戦争の余波もあり「支那を通じた迂回輸出」という弥縫策を経済関連官僚達(支那(中共)の影響力が行使されていた)は推進して、支那の用日戦略を補強することになる。結果的にかなりのもの(要素技術や素材の提供)を支那に依存(最終製品の購入等)する状況に日本経済は立ち至る現状に繋がる。中共ウイルスのパンデミックの影響もあり変化や深化してきた製造業の供給連鎖網(サプライチェーン)にも「綻び」が生じてきており、特に産業の米となっている半導体の供給体制に問題が生じて川下の最終製品の生産に大きな影響が出ている。それらを含めてグローバリストと支那(中共)の意図と合致した動きとなってきていたが、ここにきて支那(中共)の隠された意図が公然化して全体的に見直しが必須となる事態を招いている。

換言すれば、大東亜戦争の時と同型のことが起きたと言える。「場と対象」を替えた戦争が「日本」対「米国グローバリスト(日本勢も含む)&支那(中共)」との間で行われたことになる。力の衝突ではなくビジネスの鬩ぎ合いであり、日本経済の強みが削られてゆくことに成ったと言える。日本は欧米先進国や支那に比較して成長していないとよく言われるが、その背景にはこうした「意図された動き(日本の弱体化に繋がる製造業他の産業移転によりGDPが削られてゆく)」が隠されていたといえる。グローバリズムによる「建付け」で特定資産家(グローバリスト)や支那(中共)の意図が隠されていたと言えるであろう。日本の「お勉強エリート」は事態を確り認識できていないのか弱みを持たされて保身に走ったのか、恐らく両方であろうがそうした者達が指導層に居たことは確実であろう。日本は「操られてきた」ということになるであろう。

一方で日本国民は標準的に民度が高く、予期せぬ巨大な自然災害も重なり復興に務めることで、言われている程に国力を劣化させている訳ではない。一般国民の努力もあり「国力は全般的に維持できている」と言える。人間社会で次に繋がる「もの」を研究開発出来てきておりそうしたものを如何に実用化に向けて企画し展開するか必要であり、総合的な判断力と価値を生み出せる人物の登場が必要な時機に来ているであろう。より大きな枠組みと方向性を示せる政治家の登場が必須であるが、そこが日本の明治維新以来の大問題であるということではないか。近代国民国家への移行を始めて150年が経過しているのであるから、二度の大きな錯誤を経験してきた日本国民は、現在の人間社会の変換期にあって確り政治に目を向け選挙等で行動することが必要である。機会を捉えて政治家に確り「言挙げ」を行うことである。本末転倒だが、指導層を動かさないと民度の高い国民がいくら努力し頑張りをみせても「日本の停滞」は克服できないであろう。今回の総選挙では嘗て民主党を選択した愚を再現することが辛うじて避けられたが、岸田政権はある意味で「最悪であった民主党(媚中派)」と同型(弱みを握られているのか親中派的様相が強い)であることが判明しつつある。中々物事は「思うように」にゆかないものである。

記述してきた観点にたてば「日本的なるもの」を前提にした歴史観と国家観に基づき、現在の人間社会の大きな変換点において日本が採るべき立ち位置は、必然的に大陸性向の全体主義国家群(特に日本が対峙するのは支那(中共)である)とは一線を画し、海洋性向の近代国民国家群と連携してゆくことは自明であろう。これまでの似非グローバリズム(本来の人間社会の統合を基本的価値観を共有することで果たしてゆくものとは異なる富の独占を図るための仕組み作り)では、人間社会は持続的ではないことが現状が既に証明している。

こうしたことを踏まえれば、想定される「日本の戦略」は以下のようなものになるであろう。

現在の人間社会は転換期にあり、第二次世界大戦後の体制で主要機関である国連に、「支那(中共)の手垢の着いた」ことより、同機関は既に機能していない。それだけでなく、米国の相対的な劣化より人間社会における「力の所在」がゆらぎ始めている状況に移りつつある。安全保障が全ての問題で表面化し最優先しなければならない「時期」を迎えている。この観点で新たな国家群の「統制」を図る機関的意味合いから「近代国民国家群による先験的で寄合的な仕組み」を先ず成立させて、核となる部分を推進諸国(日英豪米(AUKUS+J)で固めて、呉越同舟的な非近代又は前近代の国家群に対峙してゆくことになると考える。当面の課題は、非近代中華全体主義国家であり華為秩序を人間社会に押し付け「支配」しようとしている支那(中共)と戦争をしないで事態を「解決」することである。この為には、如何に政治軍事経済の各分野から支那(中共)を「分離(ディカップリング)」してゆくかである。既に、日本による「開かれたインド太平洋構想」で動き始めていたが、情勢の変化により米国が中心になりEUも巻き込んだ「動き」に変異しつつある。

日本は、「人間社会での自分の立ち位置を的確に自覚する」こと、ここから先の自分の在り様(方向性)を決め、覚悟と矜持を以て進むことである。それに必要な「能力」を十分に持っていることは近現代史からも現在の持てる国力からも明かである。足りないのは「確り方向性を示せる政治家を筆頭に各界の指導層」における有為の人物達である。この課題は、長い日本の歴史において常に付いて回る課題でもあるであろう。これは、続いてきたものを受け継ぐ覚悟が日本に軸足を持つ国民に、この事にどれ程強く意識されているかに掛かっており、適切な政治家を生み出せるかであろう。大東亜戦争と日米経済戦争と二度も米国に「敗北している」が、その裏側で支那(中共)に強かに「工作なり用日」をされてきたことを確り総括し、日本は先ず現在の支那(中共)から「離れる」ことである。一方で、特定資産家達(グローバリスト)の似非グローバリズムに騙されることなく日本が生き残るには、その国体より「民を生かした修理固成の在り方」に立ち返ることである。特別な資源(今後は経済水域の漁業以外の新たに発見された海洋資源がある)がある訳でもない日本が永続する為には、明治維新の民を主体にした「富国強兵策」であり、大東亜戦争後に同じく民を主体とした「再興の為の殖産興業」であったことを再考し、これからは先の二つを合わせた「神武を備えた新殖産興業(加工貿易主体ではなく新たな政治経済ブロックを構築し内需を主体にブロック構成国間での相互貿易を行う)」であると思量する。従って、当該政治経済ブロックは相当の「規模」になる。

「神武」の実現の為には、現在の自衛隊を本来の国防軍に再編することである。現在まで、自衛隊は日米安全保障体制と更に米国の世界軍事戦略構想から、色々な意味でその戦略に組み込まれた体系(地域支援系)にあると理解する。この際、日本は日本国憲法を改正して米軍世界戦略との連携を再編し、東アジア・東南アジア・オセアニア・西太平洋方面で英と豪と台湾を加えた安全保障体制(米英日豪台)を確立することである。今すぐという訳にはいかないので、現在の台湾情勢の進化の先に台湾として正式に主権近代国民国家(支那(中共)の影響力の大方は排除済み)として存在することを支援しつつ、東アジア・東南アジア・オセアニア地域における新たな安全保障機構を確立する方向へ進めることであろう。日・豪で核搭載原子力潜水艦の運用を米国と合同で行うことで、この方面の米国の負荷を軽減しつつ対支那(中共)&露への抑止力の強化を行う。これは「核」の現在の拡散の方向に沿ったものである。これは、戦略核兵器の独自開発に関わる制限的・時間的・費用的な問題も考慮している。ユーラシアのイランやパキスタン等の核保有国に対しては、米&印の対応が主になるが支援体制として日・豪が加わることになるであろう事も想定する。東南アジアにおいては越(ベトナム)が重要国になり、その立ち位置と能力から準同盟になる可能性があるであろう。インド洋・南シナ海・東シナ海・西太平洋の「制海権」を握るには、日・豪・台・越が新たに変異することが必須であろう。更には、越が近代国民国家に共産主義から本格的に変異すれば、他の東南アジア各国も倣うであろうと想定する。こうした動きを日本と豪は共同で進めることが養成されるであろうと推察する。海洋方面は記述の通りだが、ユーラシア大陸は大きく広い。ハートランド部分において「モンゴル」と「トルコ系」という存在が歴史的に重要な役割を果たしてきた。ソ連が崩壊し支那(中共)が極を過ぎて劣化してゆくに際してこの地域にも力の「ゆらぎ」が生じてくるのであろう。東欧の旧共産主義国同様に、この地域の近代国民国家への本格的な移行が想定されるかであるが、歴史的背景を理解すれば支那同様に期待薄であろう。海洋性向勢力は、ユーラシア大陸の大陸性向の各勢力の推移の方向がどの様なものになるか彼等の動向(自立なのか停滞なのか)を見守りつつ、一線を画して自らの近代化の更なる強化に踏み出すことであろう。、

日本は先進的な科学立国でもあり現状では軍事は優先事項であることを考慮し、現在の民間主体の装備調達体制ではなく軍事機密の保持やスパイ防止体制の強化の為に「軍事研究&装備調達」の在り様を大きく改編し、国防省(国防を明確にするため防衛省から改名)のもとに研究機関(基礎から応用まで)と軍工廠(民間任せでなく自ら製造し維持管理する)を持つ。ここにJAXA等の研究機関を吸収することも想定する。軍事同盟国間で軍事技術交流も積極的に行うことが出来る体制にする。日本はその国情より試験場が決定的に不足しているので豪&米の協力を仰ぐことに成る。日本は大東亜戦争後の敗戦により強いられた「状況」をあらゆる観点で払拭し停滞感を払い除けて、本来の地域が健全に発展するに必要な「あるべき安全保障」を担う国に立ち位置を移すことである。

軍事技術も科学技術の発展で大きく変異する時期に来ている。日本にはその素材となる技術が広範囲に備わっていることより、軍工廠をもつことで民間事情に左右されることなく、より積極的に基幹技術の内製化を促進できるであろうし、生産技術の向上を図ることが出来るであろうと想定する。結果的に、これまでの民間からの軍事への応用と更には本来の軍事技術の民間への展開の相互作用が想定され、これまでの軍事や民生での展開力の無さからくる「奇妙な遅れ」が解消されてゆくであろう。換言すれば、日本経済にこれまでにない要素が加わる事で「成長」に資する事にもなるであろう。また、同盟国間での共同利用や民間での使用も想定され、これまでのように日本単独における状態からの展開と異なり、より円滑に利用範囲の拡大の促進に伴うビジネス展開が期待されるであろう。

軍事戦略における今後の喫緊の課題は、核技術応用の進化として「戦術核の応用の進展」と、進化している「生物化学兵器」と、急速に発展し軍事や生活基盤に浸透する「情報技術系におけるサイバー攻撃」であろう。大陸間弾道弾による核戦略はある程度は「均衡状態」であり今後は革新的技術が登場する可能性は低い。新たに無人超音速飛翔体を利用して目標を絞り範囲を狭めた攻撃(電磁波による情報通信体系の崩壊や範囲限定の小規模核攻撃)が登場してくるであろう。ユーラシアの情勢を考慮すればテロリズムは今後も続くであろうが、各勢力も力を蓄えており高度化が進行する可能性は否定できない。必然的にそうしたものへの対抗防御力装備が想定される。既には開発が先行しているレーダー技術の向上であり、砲弾の超音速化が可能なレールガンや、光の速度を持つレーザー兵器の登場であろう。日本は、超電導やレーザーに関しては先端的技術を確保しており今後は応用に向かうであろうが、現状では上手く推進できない体制であることより、先述した国防体制の再編を行いこうした情勢に迅速に対応することである。生物化学兵器と情報技術については複雑で巨大な被害を齎すものであり、核兵器同様に「管理可能」な仕組みを人間社会で構築してゆく必要があるのではないか。通常兵器群についても好むと好まざるとに拘わらず科学技術の発展の応用は進んでゆくであろう。軍拡はこれまで同様に「イタチごっこ」になる宿命であるが、人間性を鍛えて「無闇な暴発」が起こらない様に敷衍してゆく他ないであろう。「何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し」や「毒にも薬にもなる」というものでもあり、「確かな均衡と的確な認識」があってはじめて全体が機能することを確り自覚することであろう。

現在、日本は防衛(国防)予算はGDPの1%枠が嵌められている。隣国勢(特に支那(中共)が歪な台頭をする過程で大幅に軍事予算を拡大している)がそれを上回る予算を割いて軍事力の強化を行っている。「神武」の考えからしても日本は国防予算を拡大させる必然が生じてきている。現在の国家予算の在り様を再検討し、国防費関連に厚くする工夫が必要である。例えば、「男女共同参画」は無闇に日本の伝統や慣習を壊すことに勤しんでいるとしか思えない面があることより、ここに8兆円もの予算が当てられているのもどういう経緯か再検討することである。この部分を国防費に回す方が経済面からも国益や国民生活に資するであろう。その他にも「日本学術会議」という本来の役割を果たさず「名ばかりに劣化した存在」を廃止してその予算を国防に回すことである。その他にも見直すべき既得権化し本来の役目を果たさなくなった案件があるであろう。そうしたものを整理して、喫緊の課題である軍事を主体とした安全保障へ予算を組み直すことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?