日本人の遺伝子と意志(005)
7300年程前の鬼界カルデラの爆発という歴史的な特異点がある。九州南部のその先の海域に位置する場所で、巨大な海底火山が爆発し日本列島に影響する災害を長期間に渡って及ぼしている。ヒトは、日本列島でより安全な場所へ、更には大陸・半島方面へ回避移動を行ったと想定できる。人口の減少も生じたが一層の交じり合いにも繋がることになったと考えられる。
こうした経験からも日本人は自然を制御できるかのような考えは持たない。また、巨大な災害にあっても挫けず復興する粘り強さを獲得してきている。現に生き残って進化してきていることがその証左である。
日本はある時期から稲と共に生きて来ている。神話にも稲を主食として扱い稲作を奨励している。稲の水田方式の栽培は支那南部の揚子江下流域と言われているが、もう少し深く考察して九州南部で始まり鬼海カルデラ爆発で支那大陸の南部へ回避行動と共に移動し日本が落ち着いた段階で再び戻ってきたと考えることもできる。
起源発生地と目される支那よりもその稲作技術への傾倒と向上や品種改良等日本の方が遥かに優れていることを考えるとそうした見方も成り立つのではないか。日本神話に稲が取り上げられているのも合致する。鬼界カルデラは「天岩戸の話」に通じるのではないか。
支那地域の文明度が上がるにつれてO系統のヒトの人間集団が台頭してくる。特に、黄河文明に繋がるO系統は今もそうであるが結構激しい気性の人間集団である。揚子江流域のO系統は比較的温和であると言われている。今は、D系統がいないのでその部分の歴史的な開明が今後必要である。チベットにD系統が残ったことも付記しておく。
歴史的に支那から一方的に日本側へ支那の文明が伝えられているように受け止められているが、実際はかなり古い時期よりD系統のヒトが残っていて行き来があったと考えてみることができる。古代の風習で支那と共通するものが数多残っているのが証左ではないか。
漢字の発明や応用にも関わっていて、日本側に伝わることで日本語の体系に組み込まれていったと考えられる。支那の古い地域性のある発音が日本語にあるのも、そうした地域と行き来やその地域から日本に渡来してきたと考えるのが妥当であろう。
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