ホモサピエンスの遺伝子と意志:現象編01

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右翼と左翼、保守と革新、資本主義と 共産主義 etc、多くの二項対立が喧伝されて何か解ったような気にさせられるが、こうした様式は実りが期待できないだけでなく、現実を見失いがちにさせる。人が違えば微妙な違いがあり許容範囲の幅で共有にもズレが生じる。人が生きている現実に沿って、どのような方向性を以て対応し対処するかが重要であろう。この角度から考察する。

複雑性を動的に進化させる側を総称して「今中派」とする。これに与する人達は、時間に耐えてきたものを踏まえて、状況の動的変化を捉えて時間の流れに耐えてゆけるものを見出そうとする。原則的に自由な選択をし鬩ぎ合いのなかで方向性を定める。培ってきたものに発展的に複雑性を良い形で加えてゆこうとする。動的であり生き物が発露する理を反映しているといえる。

思念が先行し不変なものとして崇める側を総称して「固執派」とする。これに与する人達は、時間軸が無くただ思念が先に立つことで「あるべき」に拘る。現実をあるべきものに強権的に作り変えてゆこうとする傾向がある。そこに体現されるものは支配的・無謬的・固定的な姿勢である。自由は封じられ反するものは排除なり消滅させられる。人には窮屈であるし生き辛い。

人にはその志向性によりそれぞれへの入れ込み具合がある。どちらにも優れた者がおり、良い意味でも悪い意味でも人集団を指導してゆく。結果、状況は常に錯綜すると言える。今中派に優れた者が多く良い指導をすればその社会は継続的に発展してゆけるだろう。逆に、固執派に優れた者が多く悪い意味で指導すればその社会は断続的で継続的発展はない。実際は、力関係もありその中間的な状況が出現することが多いのではないか。

長い時間軸で人間社会を見てみて、意外にも前述のような傾向が典型的に実現している地域がある。東アジアである。前者が日本であり後者が支那であると言えるのではないか。日本は万系一世で紆余曲折はあるが継続し発展してきている。方や支那は、易姓革命という様式を繰り返し断続的な動きが倣いになっている。


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ユーラシア大陸のハートランド・オリエント・ヨーロッパではどうなのか。アフリカから移動してきて、古くはハートランド・オリエントに文明が誕生しており、有力な人集団が台頭して劣化しそれに成り代わる人集団が現れるという現象を繰り返してきている。その様相からそこでは固執派が大半であろう。ヒマラヤと砂漠地帯で隔てられていた東アジアは、ある意味で特異な地域かもしれない。

文明は、ハートランドとオリエントに興りそれが栄枯盛衰を繰り返し周辺部へ拡散してゆく。その栄枯盛衰の痕跡が思いだしたようにふつふつと発生しており、今のハートランドやオリエントの地域の抗争の基層を成しているのではないか。例えば、イスラエルとイランの抗争は、歴史を紐解けばアッシリア・バビロニアとイスラエル・ユダヤの関係に引き付けて見ることができる。

特異な科学精神は、ギリシャ・ローマ文明に発し、インドへ伝わりゼロが誕生し、アラビアで十進法のアラビア数字がうまれて、当時のイスラムの進んだ天文学他が十字軍の遠征でヨーロッパに還元される。ローマ帝国では帝政の導入とキリスト教の導入により帝国の分裂と文明の衰退(暗黒の中世)を招いていたが、これに終わりを告げるルネサンスが興り再活性する。

アルファベットのラテン語と共に、回り回ってオリエントから齎された科学理論の表現を発達させる抽象的道具が揃い、西欧近代科学文明の基礎が構築されてゆく。ここにもE系統の人集団(ユダヤ)が関与している。オリエント・ヨーロッパ・ロシアでも数奇な宿命からか、最初は利用され力を持ち始めると迫害される。この集団の移動がヨーロッパ・ロシアでの各国の栄枯盛衰に複雑に関係する。


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西欧近代科学技術文明が誕生する際の推進力である科学精神の持ち主の主流は今中派であり、ルネサンス以降は急激にその複雑性を高めてゆく。人間社会が対象ではなく真理の追究であることの反映である。方や政治や経済では固執派がそれなりに登場してくる。人間社会の方向性であり悪影響を及ぼし、悲惨な事態を招き克服するという断続的な過程を経てゆく。

ポルトガル・スペインによるキリスト教を背景とした強権の君主のもと大航海時代が出現する。初めて地球規模の展開になるが、他文明に対して力の優位が決定的であり、侵略と略奪(銀・金)に繋がった。ポルトガルとスペインで世界を二分する条約迄作られた。現在もその名残が、言語と地域の関係で中南米に残っている。しかし、国名がフィリピンの国ではスペイン語は使われていない。アジアの不思議がある。

ポルトガル・スペインの台頭はある意味で単純である。海洋航海技術の高度化とう科学技術の反映で、財力を高めた資産家が資金を提供し交易を拡大する過程で、宗教他の力のみを背景としたものが露骨に体現した。要は支配・被支配である。しかし、ポルトガル・スペインからオランダ・イギリスへ移行する段階では、初期はにているが次第に様相の変化が生じる。科学精神の涵養と宗教改革の動向を反映して、産業化・近代化が当該国で起こりその動向を反映してより複雑な関与になる。

西欧では、ポルトガル・スペインが衰退の方向へ進むと同時にオランダ・イギリスが台頭してゆく。その前に、オランダは東インド会社を設立し、日本との関係もありその力を利用してポルトガル・スペインを東南アジアから追放することに成功し、莫大な利益を獲得してゆく。その財力をもとに科学技術を振興し軍事技術への応用も進め、小国のオランダがスペインからの独立戦争に勝利を収める。

日本では戦国時代の後期である信長・秀吉・家康の人類史からの位置付けを再考する時期に来ている。この動きがあって江戸幕藩体制があり、日本では新たな日本的なるものの変異がなされてゆく。西欧の情報はオランダを通じて入り、経済も振興され豊かになり庶民文化も発展し、西欧とは異なるが近代化の先駆けを内部的に実現してゆく。その先に、幕末と明治維新を迎え短期間に日本の更なる変異を可能にした。


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オランダの動きには、ポルトガル・スペインにいたE系統の人集団(ユダヤ)が関係している。最盛期を過ぎて追い出される宿命にある彼等は、ポルトガル・スペインからオランダやイギリスや中央ヨーロッパに移動してゆく。科学精神の涵養や宗教改革もあり社会構造の変異につれてユダヤ系の一部が財力を高めてゆく。

同時に、西欧では封建領主の勢力争いもあり抗争を繰り返しが続く。折からの科学技術の発展が軍事力の発達を促進し悲惨な結果を招いた。政治分野では、専制君主の横暴を牽制するなり排除してゆく動きが興り、理念である近代性(自由・民主・法治)の確立に向かう。経済発展し家内工業から産業革命への方向へ進む。

経済活動が変異して複雑性が増してゆく。東インド会社を基に株式会社が誕生し、株式と配当とういうものが整備される。さらに複雑化して、実体とは乖離した権利である株式が取引の対象になる証券市場が誕生してくる。一方で、経済をより良く回すために紙幣発行権を持つ中央銀行のもと兌換紙幣(銀・金との交換を可能にする)が発行され債券と利息の銀行制度が整備される。市中銀行も発達してくる。債券の主体は国債であり、同じく債券取引が発生する。

西欧という枠組みで国際金融資本が生まれる。ここに、E系統の人集団(ユダヤ)の一部が深く関わっている。金融経済が複雑性を増し、科学技術の発達と相俟って産業化が進行し西欧の社会構造が急速な変異を遂げてゆく。ここに二つの複雑性を利用して巨大な富を回収する勢力が誕生することになる。

一つは、産業革命で創出した生産力に見合う原材料の発掘と生産したものを消費する自国だけでなく支配的な地域の創出である。これは帝国主義と呼ばれる。大航海時代とは異なる植民地政策である。これは国策として西欧列強が採用したものである。

一つは、社会構造の変異で複雑性を増してゆく金融経済が誕生してゆく。金融は、多分に情報に左右される。その性質を利用して実体とは乖離したものを取引するようになる。扱う価値の大きさ(金額等)が実体経済のものとは異なり、高額であり少数者で扱えるのが特徴である。実体経済から乖離しているため一般には見えにくい面がある。見え難い新たな権力集団の誕生である。

西欧近代科学技術文明では、それ以前の文明とは異質な変異をする社会構造がうまれた。その変異を促す産業革命が段階的に進行し複雑性を増してゆく。その社会構造の動的平衡を維持する仕組みであり、経済を回す「血液」の役目を果たす金融システムも一層複雑さを増してゆく。今の諸問題に繋がる素因がここにある。


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一方で、典型的な固執派である共産主義とそれを担う勢力が誕生してくる。何を背景に誕生したのか。産業化の進展で工場労働が誕生してくる。所謂労賃という製品の原価に相当する部分であるが、この労賃が経営者側から利益確保のため異常に低く抑えられて、それを担う人の待遇も劣悪なままに置かれた。新たな奴隷的な状態が現出したといえる。その状態を理解し克服するために考え出された思念である。

人間的な観点からは共産主義理論は理念的には適切な部分もあるが、労働条件の改善の対応には対処できるが、社会構造を変える現実応用の方法論がないのが欠点である。換言すれば、社会を理念的に変えることは現実的には出来ない。人間社会は段階を踏みながら変異してゆくものであり、共産主義思想からはその方向性が見えないということである。

西欧では、結果的に状態改善の社会主義に変質し、ソ連型では社会構造の進展がなかったため全体主義に堕落した。後者は、共産党の独裁とそれを支える官僚機構というロシア帝政の亜種が実現され、結果的に時間の重みに耐えられず崩壊した。しかし、共産主義の亜種が現在も人間社会には蔓延っている。それを生み出す要因の解決が人間社会で成されていないことによる。

共産主義に対して西欧で新たに変異してきた経済構造を資本主義というが、実際にはそれは主義(思念)ではない。先験的に必要に迫られて実現した経済取引の仕組みが複雑性を増して「資本」の概念が当て嵌められたものである。経済界の今中派が鋭意努力して作り上げてきたものであると言える。但し、その使い方に問題が多く含まれているのも事実である。


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西欧近代科学技術文明が西欧を中心に発展したが、遅れてきた周辺部である東ヨーロッパとロシアにまで影響してゆく。主体は、イギリス・フランス・ドイツ(多少遅れたが周辺部程ではない)であり、東ヨーロッパとロシアに関わってゆく。この動きの先には、第一次世界大戦が想起されることになる。それは、ヨーロッパ全体の近代化(ローマ帝国の影響の払拭)の実現であろうと考えられる。ロシアはヨーロッパ的でない部分もあり、状況はより複雑に展開される。

近代化と産業化で隔絶した軍事力と経済力を獲得した西欧列強はそれまでの力を背景とした支配という単純な植民地政策ではなくて、帝国主義という一層複雑な方式をアフリカ・オリエント・アジアに適用し巨大な富の収奪に進む。さらに力を獲得してゆく。その代表である大英帝国が誕生する。

ヨーロッパの事情で一旦は東アジアから後退していたが、力を格段につけた段階で東アジアに進出する。対象は、支那の清朝である。固執派の最たる中華思想の清朝はそれなりに強大であり力もあるが、西欧近代科学技術文明に関して中華思想があり殆ど認識がなかった。衰退傾向にあった清朝は西欧列強の巧妙な戦略により次第に「蹂躙」されてゆく。

日本は、オランダより西欧近代科学文明の実情を定期的に入手しており西国有力藩は「密貿易」等で清朝等の事情を把握していたのではないか。幕末の動乱が始まるが、実際は全体的には極めて冷静に対処し自身の変異を遂行する体制の確立に向けて進行していったと理解される。オランダと日本の繋がりを究めてゆくと今は開示されていない事実があるのではないか。この辺りは別の考察にて日本と人類史にような形で扱う。

日本の歴史では大騒ぎしたように捉えられているが、実際は違うのではないか。あれほどの短期間で切り替わるには、下準備が成されており他国に比較すれば充分に冷静であったといえるのではないか。

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ヨーロッパに目を戻すと、第一世界大戦と第二次世界大戦の間にはある種の変異でありズレが生じていると想定できる。米国の登場である。英国から独立し、地政学的な位置及びヨーロッパから諸事情で避難してきた人達によって特異な合衆国を建設してきていた。ここでもまたE系統の人集団(ユダヤ)が関わってくる。西欧列強とは異なる背景を持っている。産業革命の人材も受け継いでおり、ヨーロッパの動きに対処した政策等を実施している。

米国は、第二次産業革命の主役であり石油と内燃機関では先端的な動きをしてゆく。ここでも、この過程で金融資本に変異する勢力が出現する。遅ればせながらFRBを作り金融制度の整備が行われる。西欧の国際金融資本勢力とは同型ではあるが異質な勢力である。

西欧内でも傾向の違いがあることにも注目しておく必要がある。特に法体系に現れるものである。英米の判例法とドイツを代表の成文法である。ドイツの方がローマ帝国の法体系の傾向を引き継いでいる。現在も、その傾向はあり英米とドイツ(EUの代表)の関係の基層にある。EUが上手く統合できないのもここら当たりにある。両者は、西欧近代科学技術文明の枠内にある。

第一次世界大戦でローマ帝国の名残を清算したが、既に進行している西欧近代科学技術文明の諸問題が表面化してきた。米国で株式市場の大混乱(信用価値のバブルが弾けて急激な収縮)が発生し世界経済に波及してゆき、政治分野に影響し第二次世界大戦に繋がる。もう一つの要因である共産主義の変質(ソ連の誕生)とコミンテルン(世界共産主義革命を志向)の輻輳した関係も絡んでいくことになる。


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米国発の新たな国際金融資本は、第一次世界大戦で疲弊したドイツや新興勢力であるソ連に資本と技術の提供を行っていた。信用価値はもともと実体に紐づいていないので不安定である。それを安定的に確保するためには、時間軸による地域性や情報操作による差異を生み出し回収することが必須である。この手法の先に各国の政策が影響を受けて、時に悲惨な結果を招く。それが第二次世界大戦に繋がっていったのではないだろうか。

一方で固執派の共産主義は、コミンテルンを立ち上げ世界共産主義革命を志向している。この勢力とソ連型共産主義の指導者のスターリンの傾向の違いが如実に現れてくる。スターリンは飽くまでソ連に軸足があり、共産主義というよりはロシアのロマノフ朝に成り代わるという様相であったのではないか。

共産主義勢力は、各国へ浸透してゆく。西欧・米国・東アジアへと浸透してゆく。第二次世界大戦は国際金融資本を背景にして、英米とドイツの抗争に、共産主義勢力の二系統が複雑に絡むものであった。故に、戦後の国際秩序を暗喩していた。米ソ冷戦構造である。

米国の国際金融資本は、第二次世界大戦で疲弊した世界経済を立て直おすと共に自己優位のためにドル基軸の体制を確立した。米国が名実ともに英国に代わり自由主義陣営の旗手になる。一方の旗手はソ連である。共産主義の二系統により複雑な工作に晒されたのが米国・日本である。そのことに覚醒した米国は、米ソ冷戦構造のなかで日本を支配下に置き韓国を橋頭堡に、共産主義の二系統間で勝利したソ連に対峙した。

ここまで第二次世界大戦に至るまで概観してみた。この先には、現在に至るまでの変遷を主体に考察する。

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