人間社会と日本:転-10

ー 人間社会と日本:転-10

先に挙げた3項目について其々にブレークダウンして、日本の対処の方向性を見出す。歴史観や国家観に従い、これまでにも「ざっくり」と記述してきたが、方向性としては大きな間違いを犯さない様に明確な納得性を持つものに整理する。

〇安全保障体制の整備強化(集団&個別)

大東亜戦争(人間社会は第二次世界大戦)における日本の「敵」は、日本の国体(天皇がしらす国:一君万民)を否定し日本を滅ぼす意図を持つ「共産主義勢力」であった。現在の日本共産党もそれを踏襲している。自らを否定する勢力が国内に存在できるという「不思議な国:日本」である。当時の日本(大日本帝国)は、東アジア(日本を含めて)での共産主義勢力の浸透と台頭に全般的に対峙していたと理解できる。国内では治安維持法等で厳しく対処(細部に行き過ぎの面もあり戦後にこの部分を左翼により誇大強調され日本悪の仕掛けの一つにされた)していた。当時の内外の歴史資料の公開時期がきて、今は歴史の見直しが行われてきている。そこから改めて認識されることは日本は共産主義勢力により支那に誘引され支那大陸でのPKO(秩序維持活動)を背負わされ、さらに太平洋方面での日米決戦を仕掛けられ、それらの工作に嵌ってゆくことになったことが明かになった。その目的は、明かに日独両面対峙が不可能であり日本を東アジアに留めて尚且つ米国に相手をさせ日本国を弱体化することであろう。このために必然的に日本内部に共産主義勢力の工作活動が浸透してゆくことになる。日本は、大東亜戦争で東南アジア方面(当時はこの地域には共産主義勢力は十分には浸透しておらず資源確保の意図もあった)ではその地域の各国の西欧列強よりの独立開放の支援に繋がる動きを画策していた。支那大陸では共産主義勢力との対峙において国共合作勢力の破壊活動への治安維持で膠着し戦力を分断された。太平洋方面では強大な物量を誇る米国との戦争を強いられ勝ち目のない戦いに消耗して敗れることになった。結果的に日本国の滅亡の瀬戸際まで事態は進行した。大東亜戦争への経緯と敗戦は大筋はここに記述したものであろう。最近の資料で当時もインテリジェンスは確りしていたが、それを的確に利用できない指導層(特に独特の反日精神の近衛文麿の責任が最大であろうと現時点で認識できる)に問題があったと言える。

更には、敗戦後の日本において同じく共産主義勢力より「敗戦革命」が日本に対して仕掛けられていた。GHQによる占領政策でWGIPが実施されたことがその例証である。その中でも基本的な要素として押し付けられた「自虐史観」が日本的な反省と相まって生き残ってしまったと言える。敗戦直後からサンフランシスコ平和条約締結までの時期の日本の歴史が今後より解明されることを現在の情勢が必要としているように判断されるのではないか。今明かに成りつつあるが大日本帝国の版図において終戦に伴う「処理」に関して明かにされなければならない事柄が今だに多く残されていると考える。特に、当時の支那大陸及び周辺緩衝地域(特に旧満蒙地域は在留邦人も多かったであろうし残された財産や「引上げ処理」に関連しての事実関係)についてであり、当時領土であった朝鮮と台湾においての終戦処理と当該地への占領軍の進行と臨時軍政時期に関しての事実関係である。更に、ソ連との関係では日ソ中立条約が破られソ連の違法な参戦や終戦後の日本人(軍人や民間人も含めて)のシベリア抑留関連や領土に関するソ連の侵略(第二次世界大戦における領土不拡大の原則に明かに違反している))についても明かにされるべきものがあると思われる。然るに、サンフランシスコ平和条約で一応の区切りを付け日本は主権国家として再出発することになる。結果的に米ソ冷戦構造で米側に与し大正世代の頑張りで「敗戦革命」は退けられた。一方で、敗戦革命に失敗した共産主義勢力のなかで主力であった日本に浸透していた朝鮮系は静かになり深く潜行してゆくことになる。その後に日中国交正常化当たりから事情は変化してゆく。日本は「歴史の真実」を踏まえて適切な対応を支那&朝鮮に対して採らず、自国の再興と発展もあり結果的に日本的な対応である「忖度という曖昧な態度(日本の復興と大国化を恐れた米国側から強いられた経緯もあろう)」に終始してきたと言える。支那&朝鮮の特異な精神文化から彼等は日本は弱いと判断して日本に対して増長(用日)してゆくことになる。この「流れ」が現在の事態に通じるものを生じさせてきた。

ソ連崩壊から米国の一極覇権体制になり、意図を隠した支那(中共)の歪な台頭で米国の相対的な弱体化(米国自身は理解していないであろう)が進行する。同様に用日による日本の弱体化も進行する。日本の親中派(支那(中共)に影響力を行使されて親中派になった者達が殆どである)は「売国的結果を招く」ことに無頓着(歴史観や国家観が無い)であったし今もその状態にある。その根底には、自虐史観等の世界観が洗脳(無くされている)されているのであろうと推察するできるであろう。支那&朝鮮側の歴史の捏造による冤罪をもとに日本の弱体化(彼等の精神文化から発する用日であり更には差配下に置くことである)に対して的確な認識を日本側が持てなかったことが大きく影響しているであろう。こうした観点からいえることは安全保障というのはただ単に軍事力だけによるものではないということである。米ソ冷戦構造のような明確な対立構造は本来は稀なものであろうと理解する。人間社会と言うのは各勢力の冷徹で過酷な鬩ぎ合いが平常であるということである。日本は歴史的に人間社会との関りが「希薄」であり独自に発展してきたために、そうした観点が国民に共有されていないと言える。明治維新以来150年が経過し国が滅亡しかけたことも経験したのであるから、ここからは人間社会の現実をしっかりと見極めて(インテリジェンス能力を戻し鍛えて)「日本的なるもの」を取り戻し、人間社会を逆に感化するくらいの覚悟と矜持を持つことが必要であると考える。

日本を仮想敵としている支那(中共)及び朝鮮(北朝鮮と韓国)の昨今の軍事力強化を見れば、自衛隊の国軍化(戦争を起こさないための力の均衡に資する)を図る方向へ舵を切ることが必然である。同時に単独では対処しきれない現実があることより必要な集団安全保障体制を可能にすることや、自己防衛戦争や大災害時における対処のために「緊急事態法」も含めた憲法及び関連法の改正が急がれる。それを踏まえて「集団安全保障体制の強化」であり。さらに、国内における外部勢力の影響力の行使に対する牽制措置の立法化であり、国会議員の国籍条項(議員の出自を公開する)やスパイ防止法でありメディア等への影響力行使の防止法である。これまで敗戦で「歪な状況」にある安全保障関連の法整備を日本は促進しなければならない。人間社会は第二次世界大戦の構造の本質的な終焉と新たな展開を始めていることを日本国民も認識することである。

支那(中共)との関係では「相互主義」による経済措置をとることである。例えば、支那(中共)で日本人による土地取得が出来ない様に支那人による日本の土地取得は不可能にする。これまでのように支那(中共)に配慮した各種の措置の「撤廃」も行う。例えば、中共に関する好ましくない報道を規制する「覚書」があるがこれを明確に廃止することである。更に、歴史捏造で日本を貶めるプロパガンダには歴史的事実を根拠に明確にして毅然とした反論を行う。支那精神文化は「超限戦」に見られるように「世論戦・心理戦・法律戦」と軍事以外でも搦め手で攻めてくることより、明確に反論しないと奇妙な雰囲気(日本が支那に従う朝貢国の位置付けにされる)を確立されることになる。現在、支那を崇める奇妙な雰囲気が日本国内で醸成されているが、日本を委縮させる意図が働いているからであろう。支那は先進国からの支援や窃取で急速に発達したことより本来的な実力が伴っていない。このことから過大評価も過小評価も禁物である。ここにきて積み上げた「矛盾」が強権的で隠蔽的な対処では処しきれない事態が公然化してきている。翌々支那(中共)の現実を的確に掴むことが必要であり「インテリジェンス」の能力を高めることである。

大局的な観点では、価値観が大きく異なる支那&朝鮮とは分離(ディカップリング)の方向で進めるのが妥当である。日本の性善説的な対応では支那&朝鮮との関係では日本側に不利である。人間社会の情勢推移により米国も相対的に「自立」が維持できない状態に成りつつあることより、日英豪米(AUKUS+Jとして核となる枠組みを人間社会で確立し、日本と英連邦と米国で「自立自存」が可能な政治経済ブロックを形成することである。更に、近代国民国家連合としてEUと連帯してゆくことである。肝心なことは、今は何度も訪れる人間社会の大局的な転換点にありここでの対応で「錯誤」を犯すことは、嘗て経験したように日本に危機を齎すことになる。米ソ冷戦構造では、米国側に与して「勝利者側」にいたが、一極覇権の米国の衰退が生じてきており一方で支那(中共)の歪な台頭を許したことから、ここからは「近代国民国家連合と非近代全体守護国家勢力(呉越同舟)」の対峙の様相が始まっている。より明確に捉えるならユーラシア大陸性向勢力と海洋性向勢力の対峙である。これは、西欧近代科学技術文明の新たな水準での新たな敷衍とも捉えられる。しかし、近代国民国家連合の内にも社会に不均衡や分裂を齎すグローバリストや共産主義崩れの権威主義的リベラルが蔓延っており決して楽観は許されない。

嘗ての米ソ冷戦構造は、イデオロギーの対立も然る事乍ら「核戦争の抑止(人類滅亡を想起させる)」が背景にあった。現在の近代国民国家連合と非近代全体主義国家勢力(呉越同舟)との対峙は、それに加えて人間社会の長い歴史的過程の似て非なる「再現」が想定される。更に科学技術は急速に発展進歩していることより、その「複雑性」は極限的なものが理解される。特に、人口の急激な増加や人間の生産力が地球環境へ与える影響が無視出来ない水準に成りつつあることである。必然的に人類が地球を離れることを可能にする技術体系も生じてきているが、人間性の持つ「あやうさ」もあり人類の今後を楽観視は出来ないであろう。事に当たるに際して「方向性」を決めるのは国民の負託を受けた政治家である。今、政治家が重大な役目を負う時期である。

嘗て、東芝を再建した土光敏夫という人物がいた。その経験を買われて「国鉄改革の臨調を差配した」人物でもある。彼の口癖は「知恵を出せ、それが出来ないものは汗を掛け、それも出来ないものは去れ」というものである。厳しいものがあるが一面で「日本的なるもの」を体現していると理解する。東芝は社風なのか何度も危機に見舞われるが、今は土光敏夫に匹敵する人物が出てきていない。東芝は現在の情勢では国益(経済安全保障の観点で)に関わる企業でもあるが、今いる政治家は適切にこの問題に関われないようであり実に情けない事態を招いている。

政治が軍事&経済に対して方向性を示せないことが、用日なり日本の弱体化を招いたことをしっかり総括することである。宏池会は嘗て間違いを犯したが、今また岸田文雄氏という宏池会が奇妙な選択により政権についた。やはり温い体質を既に「発揮」し始めている状況にあるであろう。宏池会の体質は「東芝」の体質に重なると言えるであろう。ここで土光敏夫の口癖を再考すれば、岸田文雄氏がどれに相当するかは明かであろう。麻生太郎氏の「軸」が日本にあることは十分に理解するが、宏池会の大元である吉田茂の系譜であり今は分派にいるが、既得権に胡坐を掻き堕落した財務省閥に絡め捕られている印象は拭えない。的確な歴史観や国家観をお持ちなことは理解しているので今期が最後の議員の務めとして「宏池会」を「始末(一端は引き鍛え直して再生)」してもらいたいと期待する。

軍事&経済における安全保障の「具体論」は別途にて。

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