人間社会と日本:転-05

ー 人間社会と日本:転-05

混迷し錯綜の様相を深める現在の人間社会において、次を見据えた動きが見える状況に成りつつあると言える。特徴的なことは、「近代国民国家」を実現してきた諸国と実現してこなかった諸国の間には明確な違いが現れていることである。その違いは「現実への対応」であると言える。前者では民意を踏まえた手続き(問題解決であり間違いを正す方向である)が時間は掛かるが漸近的で適切な方向へ進むのに対して、後者では非近代(無謬性より全体主義的且つ独裁的な手法に行き着く)や前近代(公論が無い事より属人的で権威主義的な手法に行き着く)の在り様での対応で適切に「間違い」を扱うことが出来ずに悪循環に陥ってゆくことになる。後者の代表が「支那(中共)」であり、非近代且つ前近代であることは言うまでもないであろう。

現在の人間社会の混迷と分裂に繋がる大きな潮流の起点は、遡ること170年程前に生じていると理解する。西欧近代科学技術文明(大きな技術革新による産業革命を伴う)が発展し、それまで存在していなかった特定資産家(資産家は存在していたが桁違いの金融資産(新たな富の形式である資本や債券)を所有することが可能になった資産家で富の獲得の為に影響力を行使する)が出現し、産業革命を経て変異した巨大で複雑な経済社会で絶対多数である「搾取される側(労働提供側)」からの異議申し立てが必然的に生じてくる。その根拠を理論づける「共産主義者宣言(マルクス・エンゲルス:1848年)」が出されたことに起因している。この時期から、極端な自由主義(金融経済を志向しグローバリズムに帰着する)とそれに対抗する共産主義(世界共産主義革命の実現を目指すコミンテルンの発足から紆余曲折の分裂と変異を繰り返す)の「二大潮流」が、人間社会の情勢の変化(科学技術の革新と更なる産業革命)に合わせて其々に変異しながら拡大してゆく。その過程で現実的な近代性の在り様を追求するが徒党を組まない「保守派」が常に劣勢に追いやられてきた。二大潮流が今現在で「やり過ぎ感」や「出尽くし感」を迎える時期に到達したこともあり、人間社会が新たな展望を必要とするに際して「保守派」の出番が巡ってきていると言える。ここで重要に成るのは、単なる保守派ではなく「中今派」である。中今派は「日本的なるもの」が体現するものであり、日本の継続する長い伝統と慣習で培われてきたものであり「継続進化の知恵」を有する者達である。保守派の意味をより良く体現した名称でもある。

西欧近代科学技術文明では普遍性を持つ「近代性」を掲げてその敷衍が進行していたが、近代化が遅れていた中東欧より奇妙な第一世界大戦が発生し世界を巻き込んだ大戦争(第一次世界大戦)に発展した。その悲惨さの反省もあり人間社会で「国際連盟」を構築して近代国民国家群の集合に適切な秩序を維持してゆく「動き」が進行していた。されど、第一次世界大戦の「戦後処理」の影響や時を同じくして起きてきた第二次産業革命による社会基盤の構築等の進行もあり経済面での大きな変化の波が押し寄せて、人間社会は混迷と分裂に繋がり結果的に共産主義勢力の台頭が進むことになる。第一次世界大戦の終了時期に偶然なのかロシア革命が起こりソ連が誕生する。力を得た共産主義勢力により人間社会は一層複雑怪奇な様相を呈してゆき、ドイツに生まれたファシズム(ナチスによる全体主義)とソ連のファシズム(一国共産主義革命による全体主義)の関係から仕組まれた第二次世界大戦に人間社会は突入してゆく。結果的に、政治構造で一応の確立が成された「近代性」の拡大や水準向上が頓挫してゆくことになる。

第二次世界大戦後には共産主義勢力により「米ソ冷戦構造」という人間社会を二分する構造が否応もなく持ち込まれた。故に、第二次世界大戦後に設立された国家群の新たな調整機関である「国際連合」は、勝利国による連合体であり米ソの呉越同舟のものであった。当初の国連では先進諸国が優勢であったが、その後に参加国が増加し更に「中共」が遅れて参加し影響力を行使するようになり一層「左傾化」が進行してゆく。当初から国際秩序維持の使命感が薄い国連は、人間社会における秩序維持に貢献することはなく、権威主義的に発展途上国を指導するという様相に変質していた。共産主義勢力の筆頭のソ連が崩壊(自滅)するに及んで、その残滓が生き残りを賭けた在り様である権威主義的リベラル色が濃く成り、共産主義に替わる変異した権威主義(中共の人と金の資源の投入による影響力の行使で権威主義的な様相を体現している)が浸透してきている。直近では国連はこの傾向を強めて、中共による華為秩序の構築の野望の為に各国の「近代性」の破壊に暗黙裡に巧妙に勤しんでいると言える。

中共は経済面においてグローバリスト(新自由主義:ヒト・モノ・カネの移動の自由の実現)と連携し、自国の巨大な「規模」を利用して経済面で排他的な対応と人間社会を経済により支配する動きを強めて歪に台頭してきた。グローバリストが中共に協力してきたことで中共の台頭が実現した経緯がある。グローバリストが進めてきた新自由主義は、国家間の枠組みを蔑ろにして人間社会に巨大な不均衡を生じさせている。結果的に、疲弊した諸国からの移民や難民を増加させ先進国に混迷と分裂を引き起こし、多くの諸国を「崩壊」に導いている事態を招いている捉えることが出来るであろう。結局は、極左暴力主義(共産主義の行き着く先)も極自由主義(新自由主義の行き着く先)も何方も属人的で権力と富の独占に繋がり、何方も人間社会の健全な動的平衡を壊すことに繋がることを、近現代の歴史が示していると言えるであろう。

共産主義の筆頭のソ連の崩壊が未だ人間社会で総括され生かされていないことより、極左暴力主義と極自由主義が奇妙に結合した「中共」を歪に台頭させてきた。西欧近代科学技術文明の本質的な問題が奇妙な形で集約した中共の崩壊が人間社会で必然となることで、極左暴力主義と極自由主義の克服が人間社会で行われることになると理解される。歪に台頭した中共の崩壊が、支那で歴史的に踏襲されてきた「易姓革命」と同型のものと見なされるのではなく、支那王朝の如き前近代を再生して非近代を出現させてしまった支那(中共)の総括を人間社会は行うことで、「近代性」が頓挫しただけでなく劣化したことで混迷と分裂の状況にあることを再認識して、新たに近代性の水準向上を志向することで人間社会の昇華に繋げることが求められるてゆくであろう。それが此処から期待される「動き」であろう。ここにおいて日本の本格的な出番になるのではないかと思量する。ただし、それは感傷的な運動で実現できるものではなく、冷徹な戦略に裏打ちされた確かな意志と矜持で現実的に推進されるものであることを踏まえる必要がある。


西欧近代科学技術文明が台頭して近代性を実現してきたのであるが、当初はそれが人間社会に敷衍していた訳ではないので文明を拡大するためには、歴史的に経験している「覇権(パックスロマーナ)」が必要であった。最初がパックスブリタニカであり、次がパックスアメリカーナである。時間軸の推移により西欧近代科学技術文明に内在する矛盾の解決のために共産主義が生じるが、共産主義を推進する活動家達は近代性を深堀することなく前近代の強権的な在り様を持ち出して全体主義に陥り自滅した。今は自滅したソ連に代わり経済面に資本による自由経済(中共の統制付きで実質的に自由ではない)を取り入れた中共が台頭したが、支那精神文化には「覇権」を担う要素がなく単なる支配者(華為秩序を布く)たろうとする中華思想であることより西欧近代科学技術文明を引き継げないことが明白である。近代性を理解しない中共の所業が公然化して、人間社会から忌避される動きが拡大しているが「過ち」を認められない精神文化では人間社会から「分離」されてゆくのは致し方ないであろう。

人間社会は、ここ2年は中共ウイルスのパンデミックで「異常事態」にあった。中共ウイルスの起源とパンデミックの責任の追求が必要であるが、現状ではなかなか難しい。それでも同じことを繰り返さないためには人間社会で「必須の作業」である。各国の回復状況はマチマチであるが「再始動」に向けて動き始めている。然るに、記述して来たように「終焉」を迎えるものと「開始」に向かうものの動きが交錯する時期でもあると捉えられるであろう。つまり、近現代の人間社会において共産主義が台頭する前後当たりの人間社会の動的変化と似て非なる「動的変化のやり直し」の時期に現在はあると理解される。

共産主義という「反作用」は人間社会がそれまでに推進していた近代化の「次期バージョン」ではありえなかったということである。それどころか恐ろしい程の悲惨さを人間社会は共産主義により経験した訳である。現在の人間社会の動きでは強大国の崩壊の順序が逆である。嘗ては清朝(中共)が崩壊してからロシア帝国(ソ連)が崩壊する順序を辿った。人間社会で西欧帝国主義が席巻して、それに対する反作用(共産主義)が生じて、その反作用(共産主義)が権威化し硬直し自滅に突き進んでいる。先ずソ連が崩壊した。その流れに逆らうように変異して台頭した中共は今極にありここから「崩壊」に向かい始めている。更に、それとは別に新しい「秩序」を求める「動き」が人間社会に胎動し始めていると理解できるであろう。

支那は清朝と同型を目指して旧態依然より悪化した「中共王朝」を形成し、人間社会にその精神文化(共産主義と似て非なる中華思想)の特徴を如何なく発揮して歪に台頭してきた。その本質が人間社会に公然化した今は「忌避」される方向へ進行し始めている。今は、清朝末期の「日清戦争」の時期に似て非なる状況に近づいているのであろうと捉えられる。当時は、朝鮮と満州にその鬩ぎ合いの「場」の中心があったが、今回は日本が日清戦争後に割譲を受けて統治した経緯があり「支那精神文化」から離れつつある台湾が「鬩ぎ合い」の場になっている。地政学的なものの範囲を越えて歴史的経緯が再考されつつ再秩序化が形成されつつあると理解できる。かなりの「緊張状態」が生じてきていると言えるであろう。同時に、欧州においても東欧を主体に「共産主義」の総括が始まっており、ここにきてのEUと台湾の関係の構築にはその動きが背景的にあることが捉えられる。実際に、これまでEUを主導してきた独仏(ここまでは両国とも中共との関係が深い)の影響力がそれほど大きく感じられないことがその証左であろう。後からEUに参加した東欧の頑張る姿勢が目立つ。また、ロシアもプーチンの登場以来変化が無く本格的な近代化を目指しているようにも見えない。共に独裁的権力者であり同年齢と思われる中共の習近平とロシアのプーチンの今後を見据えて、両国がこの先10年程でどの様に変化するか要注意時期を迎えているであろう。

イスラム圏は歴史的経緯もありイスラム宗教原理に捉われており、それを克服して「近代化」ができないまま従前よりの先鋭化を深めており、人間社会の「火種」でありつ続けていると言える。中南米は共産主義とラテン気質が相俟って「人間社会」としての体裁が維持できないほどの「崩壊状態」にあると理解される。アフリカはやっと途上国の立ち位置に甘えていることから脱却し自立する方向へ進み始めてきている。とは言え現状は各国の事情によりマチマチと言える。

端的に言えば、「共産主義により頓挫した近代性の深化と進化を求める動き」が再度人間社会に生じてきていると言えるのではないか。

こうした人間社会の理解の上で、現在の「力」の所在地域での動きを確り認識する必要があるであろう。特に、中共を中心とした東アジアの情勢を「錯誤」しないことである。同時に、人間社会で相対的に立場を弱くしてきたEU(二度の大戦で相対的に減退したが理念的なものでしか再興できないし危機も内包している)及び国連(ソ連の崩壊後に権威主義勢力が生き残りを賭けて利用してきた場である)が奇妙な「連携」で権威主義的リベラルを相変らず拗らせている。代表的なものは気候問題であり、それに託けた温暖化と称して影響力を経済分野にまで及ぼす「脱炭素化」の運動である。これ等に象徴される現実から目を逸らす動向にも確り注目して、現実を冷徹に踏まえない理念的な活動の危険性に「覚醒」して「共産主義」の「二の舞」を防ぐことが肝要である。

この観点から、明治維新以来開国し人間社会に参加してきた日本は、これまで何度か犯した「国家的錯誤」を繰り返さないことである。持てる力を的確に認識して人間社会で重要な立ち位置にいることを再確認して、人間社会のこれからに適切に貢献する意志と矜持を日本は持つことである。今回は、安倍政権(記述してきたことを踏まえれば其処に踏み出したと理解できる)を適切に引き継げるかどうかの選択の総選挙であったろう。日本国民は、安倍政権(後半は外部勢力に影響力行使をされて軟弱になりつつあった)の発展的な継続を期待していることを選挙結果で示しているが、果たして「岸田政権」が国民の真意を理解しているかどうかである。日本国民は諦めたり投げ出したりせず確り見続けて、折々の政治の選択の機会に適切な判断を示すことが必須で肝要である。

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