日本の伝統「中今」について 2022/07/12

ー日本の伝統「中今」について 2022/07/12

日本の伝統と慣習に従えば、日本には本来「保守」というものに該当するものはないであろう。何事にも「道」があるように、既に起きた「もの(物):過去」を踏まえて、それが生み出す「何か(思い)」を抽出して、未だ来ない「こと(事):未来」に投げ掛ける在り方が日本人の在り様であろう。

その事を「中今」と表現している。今の日本では殆ど使われない言葉である。それ程に日本が危うくなっていると言える。記録のある長い歴史において、日本は何度か大陸&半島から「影響」を受けて来た。大和朝廷の成立の頃でありかなり危うくなったが、本来に戻り「元寇」を退けた。

西欧近代科学技術文明に対峙して、明治維新で大和朝廷の頃と同様(当時は大陸様式の律令国家に行き着く)に「近代国民国家」を構築してきた。嘗てと同様に、官僚機構の宿弊により大東亜戦争を起こし敗北し、その後再興を遂げたがやはり政治&官僚の積弊で外部勢力の影響を受けて「低迷」している。

日本が嘗て「学んだ」大陸は今も同じ水準にある。だが経済的には力を得た(日本が支援した経緯がある)。西欧近代科学技術文明側は、内在するグローバリズム(非明示的)とコミュニズム(明示的で既に各種権威主義に変形している)に蝕まれている。

日本と同型の「中今」を体現している勢力は人間社会では限られている。安倍晋三氏は今思えば保守ではなく「中今」であり、真の日本を代表していたと推察する。中々理解されることではないが、彼は現実主義者であり現実的に対処していたであろう。上手くいかなかった場合も多々見受けられた。

この先の日本には、大陸も西欧近代科学技術文明も最早先例にはならない。日本は、歴史的両方をほぼ受容した今は「日本の新たな独自性」を追求することになる。つまり、鎌倉武士の出現と同型の時期に差し掛かることになる。ヒントを見出すには、江戸期に完成した武士道ではなく、台頭期の武家の在り様であろう。


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