【日本の近代化について】>考察ーⅠ:2022/10/10

【日本の近代化について】
>考察ーⅠ:2022/10/10

人類史的な大局の観点から現在の人間社会が危機的節目に来ていることを指摘してきた。それを引き起こしている要因が、西欧近代科学技術文明に内在する「グローバリズム&コミュニズム」にあることも指摘してきた。日本は明治維新において西欧近代科学技術文明と遭遇し受容してゆく過程で近代化を理解してきた。

西欧は近代化の推進者であり葛藤がないように理解されているが、恐らくそれは違うであろう。西欧の人々も社会の近代化の進行において葛藤を起しているであろう。産業革命により分業化が進み労働者が誕生して劣悪な経済状態に置かれ、前近代にあった奴隷と同型の境遇が出現したため、経済的な側面から社会の在り様の修正を求めてコミュニズムが出現した。

経済面では市場原理が浸透して競争が持ち込まれ、個人の分断(経済関係が広がり共同体の衰退)が生じてきた。結果的に伝統と慣習は希薄化してゆかざるを得ない。人間関係が濃厚な村社会から、人間関係が希薄な経済関係に還元される「都市化社会」が急速に発達してきた。輸送手段等も発達し産業革命を一層進展させてきた。

大航海時代に誕生した投資の慣行が「株式」に発展し、複雑化する経済関係を円滑に運営できる金融制度(銀行)が発達し「債券」が誕生してきた。新たに誕生した金融商品「債券」と「株式」が資本家を誕生させた。一方で経済の発展も影響し、封建制を「卒業」して近代国民国家が誕生し、西欧において「国際社会のひな型」が誕生した。

投資銀行が誕生し国家を相手にした金融商売が成り立つようになってゆく。君主間の戦争から近代国民国家間の戦争になり、規模が大きくなり軍事技術が発展し巨額の資金が必要になる。この金融取引に巨額な債券が利用されるようになる。イデオロギーというよりは先験的な積み重ねで巨額な金融商売が生まれ財閥を形成する資産家が誕生した。

この動きを推進した者達により、後にグローバリズムと呼ばれるものが政治経済へ関与を深めてきた。近代化で封建制度は克服されたが、新たな階級による格差社会が誕生してゆくことになった。欧州はこれらの動きを時間を掛けて継続してきているが、日本は欧州にコミュニズムが出現した頃に明治維新を迎え短期間で近代化の実現に動き始めた。

コミュニズムの日本への浸透は意外と早くに大学から始まっていた。明治維新以来近代化を目指して富国強兵策に邁進してゆき、時代状況から二つの対外戦争を遂行し勝利を収めた。ある程度の近代化の成果を収めたこの段階で、人間社会における日本の立ち位置や在り様の方向性を決めて、推進してきた明治維新の軌道修正を図るべきであった。

明治維新以来の中央主権国家の在り様が、嘗て大陸の影響で律令国家に変化し、その際に犯した錯誤の似て非なる轍を今回も踏み、人間社会の動向を冷徹に見ることができずに、日本は大きな流れに飲み込まれて行くことになった。政治経済の歴史的な過程は、新たに公開された情報等による歴史の見直しもあり、日本の錯誤の内容は明らかになってきている。

近代国民国家ではその水準を満たすには、政治経済の仕組みにおいて同型のもの(構築思想やそのもとに体現される制度)が要求される。こうしたものは外形的なものでもあり相対的に体現しやすいであろう。日本は着実にそうした仕組みを構築できた。歴史的出自に繋がる精神文化には伝統と慣習があり尚且つ内面的なものであり、近代化との葛藤が生じてくる。

西欧においてもこの内面の葛藤と言うのは文学や芸術の領域に現れてきていた。基礎的な領域に及び哲学が発展し、更に解析なり分析に及ぶ文系学問や文学が確立されてきた。西欧は近代化の推進者でありそうした認識の充実とともに進行してきたと言える。近代化の進展に応じて出自のある精神文化との葛藤も同時並行的に行ってきているであろう。

日本はどうかと言うと、相対的に短期間で変化しなければならなかったために、精神的な葛藤はより激しいものになったであろう。尚且つ、文明的&文化的に異質な出自であり一層激しいものになった。更なる悲劇は大東亜戦争に敗北し史上初めて「占領」を経験し、占領政策で「日本的なるもの」を否定させられた経緯がある。

大きく捉えれば、日本は明治維新で自らの意志で西欧列強に対峙するために近代化を受容し変化した。その後に、明治維新を自ら総括し日本の方向性を確認すべきところを時代背景と成功体験に流されて自己を見失い大東亜戦争へ突き進んで敗戦した。敗戦後は、占領施策で更に「日本的なるもの」を喪失する方向へ進んでしまった。二重の重みが加わっている。

この事について具体的に考えるに当たっては、次の動画が参考になるであろう。外的自己&内的自己として概括的に問題を扱った「もぎせかチャンネル:茂木誠/浜崎洋介の対話 5話」を参照されたい。日本は、今明らかに精神文化的にも社会的にも「根無し草状態(国民に確立した歴史観や国家観が共有されない)」にあるであろう。

自身について言えば、中学時代に夏目漱石の小説を読みその後は止め、高校時代の教科書の小林秀雄や亀井勝一郎の文章に触れて「日本」が心に引っ掛かり続けてきていることを思い起こす。人生の終盤を迎え日本を眺めてみると、これまで述べてきた各種の作用で伝統と慣習が壊れて人工的な「日本」に成りつつあるように見える。


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