人間社会と日本:政治-02

ー 人間社会と日本:政治-02

人間社会の全体的な動向への日本の政治の関わり方の課題を考察する前に、日本の政治家の「問題」について踏み込んで、その認識を明確にしておきたい。それを前提にその先を考察することになる。

日本の政治の課題の本質は政治家にある。どういうことかというと、現代の複雑な様相を深める人間社会を「総合判断力」で捉える力が弱過ぎる政治家が日本の政界には多いということにある。言うなれば、政局(政策よりは勢力を争う)にのみ重点をおく人間関係に依存するタイプが大半であるということである。実務経験のある専門分野を持ち「総合判断力」が鍛えられた人物が、今の日本社会では求められている。然るに、これまでの政治動向や官僚(官僚も近頃は蛸壺組織の弊害と利権に埋没して「鍛えられることがない」ために人材が払底している様子が伺える)への依存が許された為に、政治家の質が恐ろしく劣化したと言える。与野党ともに言えることであるが、特に代替案を出さずに与党の揚げ足取りしか出来ない野党系議員の劣化(日本国を壊すことが目的の支那&朝鮮系の外部勢力の影響が入り込んでいることにも起因している)が著しい。人の問題であるために一朝一夕には改めることは難しいであろうが、現在の変化の速い状況で国民は選挙他で政治家を鍛えてゆく他はないであろう。

国会議員というのは、国レベルの各分野の「方向性(立法により)」を決めてゆくのがその仕事(かなりの能力が要求されるが今は選択の基準になっていない)である。決められた「方向(法律)」を基にして、具体的な「手法」を編み出してゆくのが官僚の仕事である。軍事や企業を想起すると理解しやすいであろう。安全保障や企業経営の戦略を立てるのが参謀部であり経営企画である。それを実現する戦術を編み出し遂行するのが軍であり現場部門であろう。方向性は戦略であり手法は戦術である。戦略(企画や参謀)部門にはインテリジェンス(情報収集分析)は必至の機能である。それ無くして問題の本質を的確に掴めないであろう。この機能が明示的に欠けているのが現在の日本政府であり政党である。情報部門なりシンクタンク機能が充実していなければ、総合判断に必要な「収集され分析された的確な情報」が生まれてこないことになる。政治家個人の資質に依存するだけでは限界があろう。日本は、このままでは政治の水準を上げる必須な要素が欠けていると言えるであろう。しかし、中々改まらないのは政治家が自らの「センスの無さ」に覚醒していないことや、それらの政治家の存在を受容している国民の側にも原因があると言える。日本に危機を齎した「錯誤」を何度も繰り返さないためには、国民自ら覚悟(「日本的なるもの」を再考し歴史観や国家観を改めてその軸を確かなものとする)を以て、政治家達を鍛え日本の方向を確かなものにしてゆく必要があるであろう。

まだ始まったばかりの岸田政権であるが、宏池会(創始者の池田勇人を継がずに大平正芳以降の宏池会で分けても軟弱売国な宮沢喜一&河野洋平の流れを汲む)の「悪しきもの」が再現されているように伺える。国民が、総選挙で示した「意志」を岸田文雄氏(聞く耳を持つが聞く相手を間違えているようであるし抑々自身の「軸足」が明確で無い事が問題である))は本質的に理解できていないようである。

〇対中共への姿勢で悪しき宏池会の「宥和政策」に近いものが感じられる。一応遅ればせながら人権問題担当補佐官付けたが、重要な日本版マグニツキー法の推進は「回避」した。近代性の認識が希薄であり官僚の宿弊である「事勿れ」が色濃く出て来ている。この辺りに劣化宏池会の体質が滲み出ているようだ。

〇CPTPPに対する支那(中共)の加盟申請には、一応その基準に照らして満たしていないことで牽制発言はしているが、RCEP(来年1月発行で親中派と官僚主体で進められたであろう)に対しては何ら手を打てていないし、これに対する明確な姿勢を示す言及がない。この弱い姿勢は支那朝鮮に対して「宥和」に繋がるであろう。言動がチグハグである。

〇日本人拉致問題へ自ら解決するとの言及であるが、これまでの政府の在り様を踏襲するようであり「解決しないことが確定」ではなかろうか。話し合いでは解決しないことは、これまでの長い年月を掛けての対応で朝鮮を増長させてきたことより明かである。力の整備とより強い制裁を加えなければ、解決の糸口すら見出せないであろう。つまり、岸田政権はその気がないということである。

〇対韓国では、早々に韓国官僚の竹島上陸という行動が示されたが官房長官は相変らずの「遺憾」のみの言及である。これもこまでの政府の姿勢を踏襲している。おそらく、韓国の現状認識に不足があることを露呈しているであろう。毅然とした対応をしないと核兵器の確保を隠密裏に進めているしSLBMの実験成功の喧伝もあり、韓国の動きには要注意である。同時に、北朝鮮と韓国が合同した場合も想定しておくのが必然である。何時まで温い対応を行っているのか。

〇国内政策(給付金の扱い)に見られる公明党とのやり取りも「お粗末」であるが、中共ウイルス禍からの「回復」に当たり「戦術」が先に立ち「戦略」が見えないのはどうしたことか。また戦術も少数派に「阿る」対応でありこれではこの先が見えるようである。新しい資本主義という訳の分からない「錦」を立てているが、現実が見えない見ない省益しか関心がない「財務省閨閥」の影響が色濃いと言われているがその通りであろう。今後の経済政策への期待も、はやくも雲散霧消したであろう。

〇政府内の「カルト的なグリーンニューディール」を念頭に置いているようである。環境問題では同じ傾向があり対中共宥和が見え始めているJRB政権との協調を伺っているように見える。日本弱体化(用日)の意図が透けて見える政策であることに「覚醒」していないようである。お粗末の極みである。

〇安全保障に関しては一応憲法改正に言及しているが、その真意は今だ明確ではない。自ら国防を担うという確固とした姿勢は無い様だ。台湾問題への言及でも米国次第の雰囲気がある様に見受ける。外交において日本の独自の姿勢を明確にする意図も考えも、悪しき宏池会の体質を反映しているようで無い模様である。

〇外国人労働者の受け入れが、当初の約束を違えて「移民政策」に質的転換が行われる方向のようである。早々に正体を現した感がありこのやり方は支那朝鮮系のやり方である。帰化条項も緩められていることでもあり、少しづつ浸透させ既成事実を作り支配してゆくというやり方であろう。やはり、政治家や官僚が相当に支那朝鮮系に「侵略」されているようである。自民党も全体で見れば保守派は少数勢力になっていることを、覚醒した国民は認識することである。

人間社会の情勢変異の動向に覚醒して、支那朝鮮への対応を「毅然」としたものに変えるという国民の意志が先行しているが、岸田総理を始め岸田政権の認識は「遅れている」ことが先述のように其処彼処に現れている。やはり、宏池会ではこの難局を乗り切れない様相が出て来ていると理解せざるを得ない。

岸田文雄氏は、宮澤喜一氏(厳しい言い方をすれば英語屋であり歴史観や国家観がなく状況に合わせるスタイル)の再来であろうと推察する他ない。自らの「軸」を持ち強い姿勢を言動に示すことはないタイプのようであり、国民にその「姿勢」で方向を示せないし「存在感」が薄いように見える。

日本政府のインテリジェンス機能が貧弱なために「人間社会の情勢」が的確に政治家(これまでの経緯より彼らが独自に努力することは殆ど無い)に伝わることがないのであろう。逆に、政治経済の中心的な動向を周辺から客観的に見ることの出来る国民の方が的確に情勢を認識できると言える。「公論」により突き動かされる国民の多数派の意向を認識できない岸田文雄氏では早晩「政局(政権交代)」に成らざるを得ないであろうと理解する。日本は、米国と違い議院内閣制(解散がある)であり駄目なら替えることに躊躇しないで行える。現在の人間社会は、それ程に重要な時期にあると言える。


人間社会は、ここから混乱と混迷を一層深めてゆく。支那(中共)やグローバリストの勢いがこれまで強かったことよりその慣性が今は作用しているが、現実は時間軸の推移より彼らが「収奪」したところが疲弊してきている。やり過ぎた環境無視の行動による資源の簒奪や工業化(特に支那(中共)の勢力が進出した地域)での状況があり、これまでのような好循環から逆回転する悪循環に陥りつつある状況へ変化しつつある。ここは、インテリジェンス機能を確り確立して早急に人間社会の現実を的確に噛む努力を行うことが重要である。さもないと、日本はまたしても「錯誤」を犯すことに成る。同じ過ちを何度も犯すことは愚かであろう。今回そこに進めば三回目となる。大東亜戦争へ至る「錯誤」であり、日米経済戦争から支那(中共)への宥和政策(用日による日本弱体化)に連なるものになるであろう。日本国民は現在の日本の政治の在り様に注目して、三度目の過ちを犯さない様に言挙げすることである。

日本が平成時期に停滞してきているのは、グローバリスト(影響された日本人も含む)により用日されて、支那や台湾や韓国や東南アジアへ製造業を主体に「移転」してきたことによることは明かである。然るに、研究開発他の日本人に依存している重要部分が大きく棄損している訳ではない。先述したように、政治家をはじめ幹部官僚や経営者が「お花畑」であるが故にこのような事態を招いている。一部に、基礎的な生産物まで支那に依存する実態(中共ウイルス禍で明かになった)であり、自ら支那(中共)の「思う壺」に嵌ってきたことの証左である。この流れを作ったのが、宮沢喜一&河野洋平が主導した宏池会である。あの時は、グローバリストや支那(中共)は「上り坂」にあったが、今はそうではない。この変化を捉えれば、岸田政権に「嘗てのデジャブ」を感じるが、二重にお粗末な政権となる可能性が高くなってきたと言えるのではないか。この根底には親中派の者達が「支那&朝鮮の精神文化」を正確に理解していないことがあるであろう。これは、自虐史観を植え付けられた戦後の日本人(現在の日本の意志決定層)の危機でもある。逆に、SNSの発達と覚醒した日本人による情報開示等で若年層が覚醒してきていることに希望が見出せるであろう。

人間社会も「成長した」訳であり、戦争による解決を良しとしないものとなっている。しかし、非近代の支那や朝鮮はこの限りではないことは明かである。非近代は他にもおり規模や力は支那とはその能力と規模において比較にならない。しかし、テロリズムに陥っていることが問題であろう。何方にしても、自分の問題は自分で解決するような方向へ、此処から先の人間社会は移行してゆくであろう。各国(近代国民国家)の政治家はそうしたことを真剣に踏まえることを、人間社会の情勢が「要求」することになる。

西欧近代科学技術文明は「普遍性」を持つが、完全なものではなく功罪もある。これを的確に認識することである。前近代勢力(イスラム教圏他)や非近代勢力(支那(中共)他共産主義の生き残り勢力)と確執を行わない方向へ、先進的近代国民国家群は新しい技術革新を踏まえてそれらの諸国との「分離政策」を模索することになる。更に、それが可能になる安全保障体制の確立と経済ブロックの確立に向かうであろう。

それにつけても、近代性を踏まえた国家というものは、「昇華」するためには何度も手順を踏むことに躊躇せず、時間を掛けて進行するものである。この「隙」を前近代や非近代の勢力に突かれないようにすることが重要である。

日本は、大東亜戦争後に戦争を行った大正世代が仕組まれた敗戦革命を跳ね除け「日本を再興」を果たした。その後に、戦後にGHQにより強いられた自虐史観で教育された世代が「平成停滞」を招いた。此処からは、その影響で「就職氷河期」にある50代以下の層が大正世代同様に奮起する時期になるであろう。そのためには、覚醒した日本人中高年層が、現在の日本で蔓延ってしまった外部勢力に影響力を受けた同年層の者達(若年層にもいるようだが)を「排除」する露払いを行う責任があろう。岸田政権が「思わしくない方向」へ進むなら、再度政権選択の機会が近々に訪れるであろう。その際には、真に日本に軸足のある勢力への「篩」が出来るように選別眼を確かなものにする必要が国民にはある。

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